第六話 死にたがる女と、生きたい俺
その女は、静かだった。
これまで出会った女たちのように、
感情を撒き散らさない。
怒鳴らない。
泣き叫ばない。
ただ、
壊れていた。
夜勤の職場で、休憩室の隅に座っている。
スマホも触らず、ただ天井を見ている。
「疲れてる?」
俺がそう聞くと、彼女は少しだけ首を振った。
「ううん」
間があって、続ける。
「生きる意味が、分からないだけ」
あまりにも自然な口調で、
それを言った。
俺は言葉を失った。
これまで、
泣く女も、
怒る女も、
依存する女も見てきた。
でもこの女は、何も求めていない。
それが一番、
怖かった。
彼女は言う。
「朝起きて、仕事して、帰って寝るでしょ」
「それを何十年も繰り返すって、
考えると、気持ち悪くならない?」
俺は、答えられなかった。
否定も、肯定もできない。
なぜなら、俺も同じことを考えていたからだ。
ただ、
一つだけ違う。
俺には、紅いランボルギーニ・カウンタックを買うという
馬鹿みたいな夢。
身の丈に合わない欲望。
それでも、
俺を今日に縛りつける理由。
彼女には、それがない。
俺は、隣に座った。
何か言わなきゃと思うのに、
言葉が出てこない。
「大丈夫」とも言えない。
「頑張れ」とも言えない。
どれも、嘘になる気がした。
彼女は、俺の存在を気にする様子もなく、
ぽつりと言う。
「誰かがいなくなっても、
世界って、普通に回るんだよね」
その言葉が、胸に刺さる。
俺は、世界が回り続ける側の人間だ。
誰にも気づかれず、
消えても困らない。
それでも、
俺は生きていたい。
汗をかいて、金を稼いで、
夢を数えて。
たとえ滑稽でも、惨めでも。
彼女は、救いを求めていない。
俺も、救えない。
その事実が、
はっきりと分かった。
誰も、誰かを救えない。
できるのは、隣にいることだけ。
俺は、何も言わずに座り続けた。
時間だけが、過ぎていく。
彼女が立ち上がる。
「ありがとう」
何に対しての礼なのか、
分からなかった。
彼女は去っていく。
俺は、一人残される。
胸の奥が、ざわついている。
俺は、生きたい。
はっきりと、
そう思った。
理由は、
立派じゃない。
紅いランボルギーニ・カウンタックを手に入れる。
それだけだ。
それでも、十分だった。
誰かの絶望を前にして、
俺は自分の欲望を
初めて肯定していた。
それが、正しいのかどうかは、
分からない。
ただ、
俺は今日も生きる。
働く。
欲しがる。
そのことが、少しだけ、
恥ずかしくて、少しだけ、
誇らしかった。




