第四話 泣き上戸な女
泣き上戸な女とは、昼の仕事先で出会った。
書類を運び、電話を取り次ぎ、
誰の記憶にも残らない雑務を回す職場だった。
彼女は感情が多かった。
多すぎて、いつも少しはみ出していた。
昼休み、缶チューハイを一本だけ飲む。
「一本だけだよ」と言いながら、
それで十分だった。
目が潤み、声が震え、
言葉が溢れ出す。
「ねえ、聞いて」
それが合図だった。
彼女は泣きながら、夢の話をする。
昔は、何者かになりたかったこと。
評価される人間になれると思っていたこと。
でも今は、疲れたこと。
何も変わらないこと。
言葉は多いが、未来はない。
俺は、相槌を打つだけだった。
「そうなんだ」
「大変だね」
それ以上のことは言わない。
助言を求めていないのは、
最初から分かっていた。
彼女が欲しいのは、答えじゃない。
耳だ。
泣きながら、彼女は言う。
「でもさ、私、やろうと思えばできると思うんだよね」
俺は何も言わない。
行動しないことを、俺は責められなかった。
責める資格がないと、どこかで思っていた。
話は、いつも同じ場所に戻る。
不満。
諦め。
自己憐憫。
円を描くように回って、決して前に進まない。
それでも、俺は聞き続けた。
理由は簡単だ。
誰でもいいんだ。
彼女にとって、聞いてくれる男なら。
それが俺だっただけ。
それでも、俺はその役を手放せなかった。
話を聞いている間、
俺は「必要な存在」だった。
チビで、デブで、ハゲかかっている男でも、
役割があれば、
そこに居ていい。
彼女は、俺の名前を呼ばない。
「ねえ」としか言わない。
それでも、俺は振り向く。
彼女が泣き止むまで、
黙って座る。
俺の時間は、彼女の感情に使われる。
仕事が終わり、
一人になると、
どっと疲れが押し寄せる。
体の疲労とは、少し違う。
心が、削られている感覚。
俺は、何をしているんだ。
そう思いながらも、
次の日も、
俺は席に座る。
話を聞く男として。
紅いランボルギーニ・カウンタックを
欲しがる女とは、
やはり違う。
だが、同じだった。
どちらも、俺を見ていない。
見ているのは、
自分の欲しいものだけ。
そのことに気づきながら、
俺はまだ、役割を演じ続けていた。




