第三話 酒癖の悪い女
最初に深く関わったのは、
居酒屋で働く、酒癖の悪い女だった。
年齢は俺より少し下。
顔立ちは悪くないが、目の奥がいつも荒れていた。
営業中から酒を口にする。
客が残したビールを、何事もないように飲み干す。
「別に、減らないし」
そう言って、彼女は笑った。
酔いが回ると、言葉が変わる。
客に向かって平気で言う。
「キモいんだよ、ジジイ」
止めに入ると、今度は俺に噛みつく。
「なに? 正義の味方?」
声は大きく、言葉は鋭く、
刺さる場所をよく知っている。
俺は何も言い返せなかった。
言い返せば、全部自分に返ってくる気がしたからだ。
営業が終わる頃には、彼女は別人になる。
裏口の段ボールに座り込み、
急に小さくなって、泣き始める。
「ごめん……」
「今日も、やりすぎた……」
その謝罪は、
誰に向けたものなのか分からなかった。
俺は缶コーヒーを渡す。
それだけで、彼女は救われたような顔をした。
「優しいね」
その一言で、俺の胸は少しだけ軽くなる。
次の日、彼女は必ず謝った。
昨日のことを、全部覚えている。
「ほんと、ごめん」
「最低だよね、私」
そう言って、自分を叩く。
俺は首を振る。
「そんなことない」
そう言うことで、
俺自身も救われている気がした。
彼女は、一人でいるのが苦手だった。
休憩中も、誰かの隣に座る。
スマホを見ていても、
常に誰かと繋がっている。
それが切れると、酒に繋がる。
酒が切れると、暴言に繋がる。
俺は、その循環を理解した気になっていた。
この女は、孤独なんだ。
だから、こうなる。
理解できる自分は、
少し賢く、少し大人に思えた。
そして、危険な考えが芽生える。
俺なら、救えるんじゃないか。
夜遅く、
仕事終わりに二人で座っていると、
彼女はぽつりと言った。
「ねえ、私さ」
「一人で家に帰るの、嫌なんだ」
それは、助けを求める声にも聞こえた。
俺の胸が鳴る。
チビで、デブで、
ハゲかかっている俺でも、
誰かの居場所にはなれる。
そう思った。
それは恋じゃない。
欲望でもない。
“役に立っている”という感覚だった。
俺は、彼女の地獄を覗き込みながら、
自分の人生がまだマシだと
確かめていた。
紅いランボルギーニ・カウンタックを
欲しがる女とは、
まるで違う種類の女。
こちらは、手を伸ばせば届きそうだった。
だからこそ、勘違いした。
救える女だ、と。
だが本当は、俺が救われたがっていただけだった。
自分はまだ、誰かに必要とされる人間だと
信じたかっただけなのだ。
そのことに気づくのは、もう少し先になる。




