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あの女は紅いランボルギーニカウンタックを欲していた。  作者: 虫松
幸子は若いころはキラキラしていた。あの頃に戻って説教したい。

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第10話(最終話) 私は、本当の意味で生まれ変われる

世界が、ほどけ始めていた。


音が遠くなる。

輪郭が滲む。

自分の指先が、空気に溶けていく。


「あ……」


幸子は、自分が消えかかっていることを悟る。


若い幸子は、その異変に気づき、慌てて立ち上がった。


「待って!

ねえ、どこ行くの?」


声が震えている。


この子は、もう知っている。


目の前の女が、未来の自分だということを。


老婆の幸子は、ゆっくりと微笑んだ。


説教をしに来た顔ではない。

正解を持った人間の顔でもない。


ただ、長く生きてしまった人間の顔だった。


「ごめんね」


それが、最初の言葉だった。


若い幸子の目から、

涙がこぼれる。


「……私、間違えるんでしょ」


「失敗するんでしょ」


幸子は、首を振る。


否定でも肯定でもなく、

事実として言う。


「失敗していい」


「たくさん、後悔していい」


「それでもね」


少し、言葉を選んでから、

はっきりと告げる。


「私は、生き延びた」


その言葉は、慰めではなかった。


希望でも、成功の約束でもない。


ただの、結果報告だった。


若い幸子は、声を押し殺して泣いた。


「……じゃあ、

私は……」


「私は、

ちゃんと生きるの?」


消えかかる幸子は、

最後に一歩だけ近づく。


触れることはできない。


それでも、

目を見て言う。


「生ききれなくてもいい」


「ちゃんとじゃなくていい」


「生き延びなさい」


世界が、完全に白くなる。

若い幸子の声が、遠くで聞こえる。


「……ありがとう」



◇◆◆◆◆◆



次の瞬間、幸子は目を覚ます。


目を覚ましたとき、

幸子は見慣れた天井を見ていた。


低い。

黄ばんだ照明。

膝が少し、痛む。


過去から

現代に戻ってきたのだ。


老婆の身体に。

鏡の前に立つ。


深い皺。

重力に逆らわない頬。

白髪。


若い頃に、何度も嫌ってきた顔。


だが今日は、思ったよりも遠く感じなかった。


部屋は変わっていない。


未婚。

子どもはいない。

祝日の予定は空白のまま。


未来は、一切変わっていなかった。


幸子は、椅子に座る。


ため息をつこうとして、やめた。


その代わり、胸の奥にあった“重り”を探す。


あった。

確かに、ある。


だが、重さが違う。


若い自分に言えなかった言葉がある。


「失敗するよ」でもなく、

「その選択は間違い」でもなく。




「怖かったね」


「ひとりで、よくやってた」


あの時間で、未来は変えられなかった。


誰かが生き返ったわけでも、

失われた関係が戻ったわけでもない。


それでも


後悔は、“罰”ではなくなっていた。


幸子は、ゆっくりと理解する。


生まれ変わる、とは

別の人生をやり直すことではない。


同じ人生を、違う眼差しで引き受けることなのだ。


「私は、十分やった」


小さく、誰にも聞こえない声で言う。


その言葉に、否定も反論も湧かなかった。


窓の外で、子どもの笑い声がする。


それはもう、胸を刺さなかった。


羨望ではなく、通り過ぎる季節の音として

耳に届く。


幸子は立ち上がり、

外出の準備をする。


特別な予定はない。


だが、「何もない一日」を

罰だとは思わなくなった。


玄関で、ふと立ち止まる。


若い頃の自分が、そこにいないことを確認する。


もう、大丈夫だ。


幸子は、ドアを開ける。


今日という日を、

最初からやり直すためではない。


今日を、ちゃんと生きるために。


心の中で、静かに結論づける。


「私は——」


「生まれ変われる」


何度でも。


未来を変えなくても、

人生を、許せたその瞬間から。




幸子は若いころはキラキラしていた。あの頃に戻って説教したい。




ー完ー

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