第9話 未来は並走する
午後の陽が、部屋の床に細く差し込んでいる。
老婆幸子は、窓際の椅子に腰かけている。
若い幸子はまだ帰ってこない。
それでいい、と思った。
待つ、という行為が、
もう苦痛ではなくなっていたから。
老婆幸子は、自分に問いかける。
本当に説教したかったのは、
あの“キラキラしていた私”だったのか?
違う。
あの頃の自分は、
何も知らなかっただけだ。
では、誰に怒っていたのか。
何も変えられなかった現在の私。
失敗した選択。
叶わなかった関係。
誰にも選ばれなかった時間。
それらを、
「若さのせい」「過去の判断のせい」にして、
目を逸らしていただけだった。
老婆幸子は、気づく。
説教とは、
相手を変えるための言葉ではない。
自分が、自分を許さないための言い訳だったのだと。
時計の針が、静かに進む。
時間移動——
それは未来を変える力ではなかった。
過去を殴りに行くためのものでもない。
ただ、
“時間を分断していた自分”を
つなぎ直すための場所。
玄関の鍵が回る音。
若い幸子が帰ってくる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
言葉は、それだけ。
同じ空間に、
同じ時間が流れる。
若い幸子が、靴を脱ぎながら言う。
「今日ね」
「正解かどうか、わかんない選択した」
老婆幸子は頷く。
「そう」
それ以上、聞かない。
若い幸子は続ける。
「でも……」
「前より、怖くなかった」
「失敗しても、
帰る場所がある気がして」
老婆幸子は、少し目を伏せる。
それは、
かつての自分が一番欲しかった感覚だった。
老婆幸子は思う。
未来は、
過去の先に“ある”ものではない。
過去と、今と、
横に並んで歩いているものだ。
追い越す必要も、
引き戻す必要もない。
夜になる。
二人は、同じ食卓につく。
会話は少ない。
だが、沈黙はもう、敵ではない。
老婆幸子は、心の中で呟く。
「私は」
「生まれ変わる必要なんて、
なかったのかもしれない」




