1.46 - 封印の地で【エウローン帝国 : ナーストロンド迷宮/ゼント3ヶ月】
ゼントは、シャルマたちと別れたあと、再び迷宮の奥へと歩を進めていた。
(む、あっちは生徒か? 複数人いるようだな……。)
通路を進むゼントは、黒霧の姿だ。
召喚の授業での目撃者も多かったはずだ……と、ゼントは目撃されることを避けていた。
ミノタウロスを吸収し、感知能力が上がったことは、人目を避けることには大いに役立った。
(ん? 生徒……? そういえば、ここへ戻るときも生徒たちがいたな……。下層階で何日か過ごした気になっていたが……まさか、まだ期限の日数ではないのか……?)
ゼントはふと疑問を抱いたようだが、その答えを教えてくれるものはいない。
たとえ、残った生徒たちを捕まえて聞いたところで、正確な時間など把握出来ていないのだ。無駄に終わることだろう。
ゼントは出口までの道のりと同じく、生徒たちとの遭遇を避け、音もなく歩を進めるのだった。
――――
――
しばらく進むと、ゼントは再び件の大穴の付近に到達していた。
(封印を解くには……おそらく、このミノタウロスの神力を完全に取り込むことが鍵となるだろう……。しかし、神代の怪物の神力だ。まだまだ時間が必要な感覚がする……)
歩きながらも考察を進めていたゼントの目に、何かが飛び込んだらしい。
(ん? あれは……?)
大穴の前に、へたり込んでいるオーネスの姿があった。虚ろな表情で虚空を見つめ、ブツブツと何かを呟いていた。
(……オーネスか……。まだあんなところにいたのか……。いくら何でも三日以上あのままとは思えない。やはり、あまり時間は経っていないのか……?)
ふと足を止め、考え込むゼント。その考察は核心に迫っていた。
(しかし、邪魔だな……。あの大穴で一気に下層に向かおうと思ったのだが……。消すか……?)
ゼントは、集中するためと、さらなるヒントを探すため、もう一度あのミノタウロスの部屋に行こうと下層を目指していた。
階段を正直に下っていくより、一気に飛び降りた方が早く着く。
そう思ってここを目指してきたのだが……オーネスに目撃されず穴へ落ちるのは難しいだろう。
(オーネス……これ以上生かしておいても悪影響かも知れん。だが、今、吸収の力は……使わない方がいいだろうな……。たとえ人間ひとりだとしても……どういう影響があるかわからない以上、使うべきではないな……。)
ゼントは下層にいた時よりは幾分か安定してきてはいるのだが、未だ人型に戻ることも出来ないような状態だ。
ここでさらに微量とはいえ、新たな神力を取り込むなど、そんな無謀なことは憚られた。
(しかたない。死体を残すわけにもいかんだろうし、回り道をするしかないか……)
力術による殺害も、今は諦めてゼントは踵を返した。
「……ア……ア……おー……ズ……さマ……お……オわ……オワリ……ダ……ナん……デ……」
去り行くゼントの背に、オーネスの声にならない声が、小雨のようにパラパラと降り注いだ。
(お前の言う"オーズ"は、もういない。早々に諦めればよかったものを……。そもそも、オーズはお前をあまり好いていなかったようだぞ? オーネス。まあ、オレにはもう……どうでもいいがな。)
ゼントには、オーネスに同情する理由は、もう何ひとつないのだ。
むしろ、怒りすら感じていよう。
だが、すぐにゼントは関心すら失ったようだった。
一切振り返ることもせず、下層への階段を目指し、するすると進んでいった。
――――
――
体感時間にして、8時間程度をかけて、ゼントは再び最下層へと到着した。
(さて、誰とも会わずに済んだが……)
ゼントは広間を見回しながら奥へと進む。小ミノタウロスの死骸はすっかり消え失せ、体育館ほどの広さはガランとして、本来の広さが目立った。
(死体が……ないな。どれくらいの時間で消えるのだろうな……)
広間の真ん中を歩きながら、ゼントは物思いにふける。
(迷宮内の神力……濃度というのか、濃くなっているようだな。小ミノの死体か……地上のように、天に還らないのか?)
どうやらゼントは、リサナウトが置かれていた部屋へ向かうつもりのようだ。
(だが……いまやオレも、その神力の塊だ……。それも、そのミノタウロスの神力がほとんどだ……。この迷宮が、その神力に反応しているとすれば……コレを変質させなくては出ることが出来ない、ということだろうな……)
ゼントは、足早というほどでもないペースで歩いていた。考え込んでいるせいだろう。
(あの祭壇に何かあるだろうか……さっきは何もわからなかったが、他に手掛かりもない……行ってみるか)
鍵のようなものが置かれていた石台、おそらく祭壇だと思しきもの。なにかヒントがあるかも知れない……と、ゼントは考えているようだ。
そんなにあっさり上手くいけばいいのだが……。
体育館のように広い部屋から、教室大の部屋に入ったゼントは、さらに隠し部屋に向かう。
(結局、ここの品々はあまり持ち帰れなかったようだな……)
背嚢の空きにも限度がある。
かつての調査隊などが残したであろう数々の装備品など、全て持ち帰って売り捌けば、そこそこの小金にはなるのだが、それをするにも何往復かする必要がある。
だが、ここは迷宮なのだ。
ミノタウロスという怪物がいなくなったとはいえ、スラムからも遠いのだ。気軽に出来るものでもない。
(死体漁りに行ったバストスよりも距離はある、か。子供たちの仕事にしても、少々過酷だろうな……)
ゼントはそんなことを考えながら、隠し扉の起動部に触れた。
――ゴゴゴっと、石扉が開く。
エボロスから聞いていた通りに、こん棒をドアストッパーにして、ゼントは小部屋に入っていった。
(しかし……人間の身体でなかったのは、幸運だったのかもしれないな……。おそらく本来のオーズとシャルマでは、ミノタウロスから無事に逃げることすら出来なかっただろうし、な……)
ゼントの持つオーズの記憶をあさってみても、ミノタウロス戦の勝ち筋は全く見えないのだ。そんな感想にもなるだろう。
(どれぐらいで出られるようになるのか……そもそも出られるようになるのか……分からないが、やるしかない)
ゼントは、鍵型の神具らしきものが置かれていたという祭壇に触れてみた。
その瞬間、バチッと静電気のようなものが走る。
(む……拒絶されている……? なら、コイツはどうだ……?)
ゼントは、再び持っていた大きな鍵のようなものを、祭壇に置いてみようとしたのだが……
(……いや、戻すのは良くない気がする……)
言い知れぬ予感が走り、やめたようだ。
(シャルマやエボロスは触れたらしいのだが……どうやらこれもミノタウロスの神力に反応するらしい。置いてしまえば、持てなくなる可能性もあるな……)
ゼントは、祭壇から少し離れ、鍵を観察しだした。
(何か、内包する神力を感じるが……これは本来どう使うものなのか……。どこかに鍵穴があるのか……? だとすれば、これはただの"部屋の鍵"でしかない。だが、神具なのだとすれば、何かしらの力を秘めているのではないか……?)
そうしてゼントは――思考の沼に溺れていった。




