2.19 - 新天地への先駆け【チカーム教国:聖良3ヶ月・アナスタシア派】
聖良が人力車に喜びをみせていた日。
アナスタシアは、ローザとの策を早速進めていたのだった。
「スヴィー。貴女には幾度も往復してもらうことになるわ。ローザ隊長から騎士を付けてもらえるとはいえ、道中はくれぐれも気をつけて。」
「はい。ありがとうこざいます。」
アナスタシアは目を細め、スヴィーを見つめていた。
そんなスヴィーの眼差しは真剣そのもので、使命感に燃えていた。
「もちろん、真の目的を教団に悟られないようにも、細心の注意を払うこと。」
「はい。もちろんです。」
アナスタシアの懸念はもっともなことなのだ。
この計画が明るみに出れば、国に残っている者たちは即座に粛清され、そして逃げた者たちには良くて追っ手が、悪くすれば旧エレミヤ領への派兵が決まるだろう。
「では、先発のみんなも気をつけて。」
「「はい」」
旧エレミヤ領には、ローザが先んじて派遣した騎士が数名滞在しているという話だった。
そこで今回は、スヴィー含む聖女候補が3名、騎士が2名という構成で旅に出るようだった。
スヴィーは、若い候補たちの移動が終わるまで往復し続けるという役を買ってでた。
罪滅ぼしのつもりなのだろう。
アナスタシアとしても、実際その提案はありがたかった。
教巡の旅からの帰還者でもなければ、聖女候補など世間知らずの箱入り娘でしかないのだ。
旅が成功する見込みすらない。
ましてや、荒涼とした戦地のような場所に赴くのだ。
案内がなければ、生命がいくつあっても足りないといえる。
教巡用のローブに身を包み、小さな身体には大きな背嚢を背負い、街をすり抜けるようにして歩く候補と騎士たち。
チカーム教国では時折見かける姿である。怪しむ者はいない。
そうしてスヴィーたちは旅立っていった。
アナスタシアは、いつもの執務室の窓から、遠目にその姿を見送った。
「……どうか、無事で……」
そして、小さく呟いた。
「……はじまりましたね」
それを見ていたメリダも、小さく呟いた。
旧エレミヤ領までの道程は、徒歩で3日ほど。この世界の人間にしてみれば、そこまで長いものではない。
だが、行先は紛争地域なのだ。送り出したのは箱入り娘たちだ。メリダも心配なのだろう。少しその表情は硬く、色も青かった。それは日々の疲れだけでは決してなかっただろう。
「さて、悟られてもいけないわ。普段通りに過ごしながら、準備を進めましょう。」
クルリと向き直るアナスタシアの表情は、いつも通りに戻っていた。
「はい。そうですね。」
アナスタシアの言葉に、メリダも頷くと、ふうと大きく息を吐いた。
――――
――
3日後、旧エレミヤ領。
およそ廃墟としか見えない街の中に、スヴィーたちの姿があった。
この街は、かつてのエレミヤ王城があった場所だ。
待ち合わせの場所としては、分かりやすさだけならば最上級だ。
王国が存在したころであれば、広場などは、恋人同士の待ち合わせなどにも使われたのかもしれない。
だが、今は無残な廃墟でしかなかった。
そして、先日チカームの神官ソックが磔にされた場所でもあった。
この街でローグラッハ派は、そのほとんどが生命を奪われたのだが……今は、誰の手によってかは謎だが、その死体も片付けられているようだ。
目につくのは、山のような瓦礫と、穴だらけの建物だけの風景だった。
「えっと……ここでいいはずだけど……」
スヴィーはキョロキョロとしながら、ゆっくりと歩を進めていた。顔色が優れない様子である。
その右少し前にひとりの武装した女騎士、少し後ろにふたりの聖女候補と、ひとりの騎士がいる。
どうやら全員無事でここまで辿り着けたようだった。
「これが……教国の行ったこと……なのですか…………」
「知りませんでした……」
まだ幼さの残る聖女候補2人は、その廃墟の光景に面食らっていた。死体がそのままであれば、卒倒していたかもしれない。
「目の当たりにすると……」
「ああ……」
女騎士2人も、顔を見合わせて頷き合っていた。
ローザ隊は護衛任務ばかりで、あまり大規模な戦場に出ることはなかった。見慣れていないのだろう。
一行が、おそらく街の中央だっただろうと思われる広場を少し進むと……
「……スヴィーか。」
廃墟の陰からひとりの男が姿を現した。
「オプレールさん!」
スヴィーと密会していた連絡係の男だった。
「……5人か。少ないな。」
オプレールは一行を見渡してぼそっとこぼした。
「そういう話だったでしょう? 一気には無理ですよ……」
ふぅと息を吐くスヴィーは、腰に手を当てて口を尖らせた。
「ああ。そうだな。先に騎士が何人か来ている。案内しよう」
――――
――
そこは、街から少し離れた場所、山裾から広がる森の中だった。
「ここだ。」
目立たないように隠れ住んでいるのであろう。
多少切り開いてはいるが、森の外からは建物の存在が見えないようになっていた。
「へー。こんなところに作っていたんですね……」
スヴィーはしみじみとした口調だった。
幼い日に聖女候補として、元居た村から出たスヴィーは、教団の外の話は、話としてしか聞いていなかったのだ。
「ここは、隠れ村のひとつだ。ま、比較的荒くれの少ない場所だ。」
「それはありがたい。」
オプレールの説明に、ひとりの女騎士が礼を述べた。
「ふん。ま、チカームの奴ら全てに恨みを抱くエレミヤ人も、いると言えばいる。だが、ここの奴らはそうではない。上手く開拓してくれ。……それで十分だ。」
「は、はい。わ、わかりました。」
聖女候補のひとりが少し青い顔をしながらも返事をした。
修行生活しかしてこなかった聖女候補たちである。サバイバル的な開拓民生活など、不安しかないのだろう。
だが、オプレールの言葉には嘘はないのだ。
戦には戦う人間も当然必要なのだが、資材や食料が必要だ。それがなくては戦う事は出来ないのだ。
破壊されつくした廃墟などでは、それらを生み出すことは難しい。少なくなった人口で、自然の恵みに頼りながら再び人口を増やしながら、生産量を増やさなくてはならないのだ。
ローザとの交渉で、オプレールが拒否反応を示さなかったのは、この部分がかなり大きいのだ。
結局のところ、アナスタシア派は、戦う場所、そして相手が大自然に変わっただけだ。
ヒトから奪うのか、奪われるのか。それともヒトでないものから奪うのか、奪われるのか。それだけの話なのだ。
「では、私はまた教国に戻ります。2人とも、しっかり頑張ってね。」
「はい。」 「スヴィー。ありがとう。」
スヴィーは聖女候補2人に一時の別れを告げ、騎士ふたりと帰路についた。
果たして次なる大きな動きの日までに間に合うのか――。
「ここで、頑張らないとなんですね……」
「あれ以上ひどい目に遭いたくなければと、アナスタシア様は仰っていましたけど……」
スヴィーを見送った2人の元聖女候補は、開拓村を改めて見渡した。
切り倒した生木で作られた簡素な小屋がいくつか点在し、小川を挟んで、小さな畑がある程度の、まだ村の体裁すら整っていないその光景に、絶句してしまったのだった。




