1.8 - スラムのラメント 【エウローン帝国 : ゼントの新たな現実】
前回のゼント:シャルマはムキムキ
エウローン帝国の帝都は、帝城を中心に普請され、年輪を刻む様に拡張されていった歴史がある。
元々は小高い丘の上に建てられた、軍事拠点としての城だった。
その城の周囲には、今では高い城壁と深い水堀がぐるりと取り囲んでおり、正面のみ石組の橋が架けられている。
その城壁を中心にして、放射線状の道が広がり、美しい貴族屋敷で構成された区域は、丘街と呼ばれ、更に高い壁に囲まれている。
その高い壁の外側には、多数の商店や、綺麗な民家などが中心の中街があり、エウローン帝国学園もここに位置している。
中街もまた、高い壁に囲まれており、その壁の外側を外街と呼んでいた。
外街は、防壁には囲まれておらず、拡張は用意だった。
いつしか難民や浮浪者が集う場所が出来上がり、スラム街までもが形成されていく地区すら出来上がっていったのだ。
外街までは辛うじて租税と戸籍の概念があり、ギリギリ管理されているが、スラム街に関しては行政も放棄している節があり、流入などで膨れ上がっていく人口は、帝都民の半分を超えているのではないかといわれてはいるが、その実態を正確に把握している者は、皆無といえた。
そんなスラム街や外街では、当たり前の様に諍いや争いが絶えない。
――――
――
中街と外街を繋ぐ門を出て、しばらく歩いていたシャルマとオーズ(ゼント)。
街並みを飾る建物が、次第にみすぼらしく、ごみごみとしたものになっていく。
「先ずは鉄鋼団のアジトに行くからよ。」
と、オーズ(ゼント)を連れ出したシャルマ。
彼にすれば見慣れた街並みを、スタスタと早歩きをしていた。
「お、シャル坊じゃないか」
「シャルちゃん、こないだはありがとねぇ」
「シャルマ〜! てめぇこないだの事忘れてねーからなぁ!」
「お、シャル! 今日は寄ってくか?」
「あらぁ、シャルマ〜。今日もいいオトコねぇ〜」
本人が語った様に、かなり顔が広いらしく、道道ですれ違う人々に声をかけられ通しのシャルマ。
「あー、今日はちっと忙しいからよ! またな!」
などと、律儀に返していた。
ゼントはその様子に圧倒され、ひたすら空気に徹していた。
「あの広場から向こうがスラム街だな。んで、そこが俺の家だ。」
シャルマの伸ばした指の先には、木造二階建ての民家があった。
周りにある建物の中では、上等な方ではあるが、丘街や中街の建物に比べるべくもないものだ。
「……ダグ公夫人に挨拶でも」
と、言いかけていたゼントだったが、
「いや、それはまた次の機会にしてくれ。」
と、シャルマに被せられてしまった。
「ああ、でも、母上は喜ぶかも知れねぇからな。今回の件サクッと片付けたらよ、頼むわ。」
だが、提案自体は却下はしないようで、そう言ってバシッとオーズの背中を叩くシャルマだった。
シャルマの家から程近い広場。
広場では、子ども達が遊んでいるようだった。
手に棒を持ち、振り回している子ども達は、戦争ごっこだろうか。
走り回っている子ども達は、追いかけっこなのだろうか。
身に付けている物から察するに、外街の子どもなのだろう。
貧相な品ではあるが、ボロという程では無い。
広場のスラム側の一角に、そのボロを纏った集団があった。
スラムの住人なのだろう。
その集団は、一人を取り囲む様にして、大人も子どもも入り交じり、円を描いて座っている。
その囲まれた人物は、何かを話していたようだが……
その集団の喧噪が収まった瞬間――ゼントの耳に届いたのは、この世のものとは思えない程の、美しい波。
(歌……? なんだこれは……)
それは、限りなく透明であり、様々な色彩もあり、全てを包む様な優しさもあり、だが、海よりも深い悲哀を歌っていた。
「ラメント、今日もやってんのか。」
ぽそりと呟くシャルマ。
(ラメント……? 哀歌……だったか?)
「アイツも鉄鋼団のメンバーなんだよ。そのうち終わるだろうし、少し待つか。」
シャルマはそう言って、その集団から少し離れた場所に立ち止まった。
(ああ……人の名前か。それにしても……なんて声だ……。本当に人間なのか……? 神だと言われても疑わないくらいだぞ……。)
ゼントは、未だかつて体験した事のない美声と、その旋律の創り出す世界に、迷い込んでしまった感覚を覚えていた。
――――
――
美声が止んだ。
しばらくの余韻。
堰を切ったように湧き上がる歓声と拍手。
「おいおい……お前、何泣いてんだよ?」
「……え?」
ゼントは、シャルマに言われ、頬に触れてみる。
「……あ……いや、何だろうな……」
確かに伝う雫の跡。だが、その理由は分からなかった。
「はぁ〜? 大丈夫かよ?」
腕を組み、顔を顰めながら、オーズを覗き込むシャルマ。
そこにトコトコと足音が聞こえた。
「シャル兄。居たんだー」
べっとりと重く汚れた頭髪はグチャグチャで、元の色すら分からない。
そして、その重たそうな髪は、顔を覆い隠していて、表情もあまり見えない。
衣服は、茶色なのか何なのか分からない、穴だらけのボロ布を一枚だけ纏っている。
それが先程の美声の持ち主のようだった。
「おー。ラメント。協力者、連れてきたからよ! 作戦会議するぞ!」
「協力者? この綺麗な人?」
ラメントは、シャルマの少し後ろに居たオーズを指差した。
「ああ。オーズってんだ。……まぁなんつーか、昔馴染みっつーか、学園の奴っつーか……。」
シャルマは、オーズとの関係性を説明し難いようだった。
「ふーん。えーっと……お貴族様ってこと?」
「あー、俺と違って廃嫡されてねーからな。お貴族様だわな。だろ? オーズ。お前まだ廃嫡されてなかったよな?」
シャルマに話を振られたゼントは、何と答えるか少し戸惑ったが、
「……そう、だな。まだそんな話は来ていないな。」
と、オーズの記憶を引っ張り、現状を答えた。
「えー。お貴族様に頼んじゃって大丈夫なのー?」
怪訝そうなラメントの声色だった。
そんなラメントにシャルマは
「大丈夫大丈夫。コイツ問題児だからよー。多少の事は今更だっての。まぁ、それなりに力術とか使えるしよ。戦力にはもってこいってなもんよ! な?」
などと言い放ち、オーズの肩を組み寄せ、顔を覗き込んだ。
そんなシャルマに困惑するゼントである。
(……なんか、距離……やたら近くないか? シャルマとオーズって、こんな感じだったか? そんな記憶は無いんだが……。どうなってるんだ……?)
「何だよ? 返事ぐらいしろよ?」
「あ……ああ。多少の力術は使える。」
「ふーん。そっか。確かに黒いし夜目立たなくて良いかもねー。」
「だろ? 夜襲向きな髪色だよな! まぁこれでヤツらを追い出せるってモンよ!」
「うんうん! えーっと、オーズさん? 様? あたしラメントって呼ばれてんの。よろしくね!」
二人の盛り上がりに全くついていけないゼントは……
「あ、ああ。よろしく……。」
とだけ、何とか答えるのだった。




