大きなスイカ
最近はすっかり遠出にも慣れてきた雪樹。
そんな夏の日に愛依がスイカを持ってきた。
どうやら仕事帰りに見かけたから買ったとのこと。
冷しておいて今夜みんなで食べようぜとなった。
「なあ、スイカというのは美味しいのか」
「美味しいよ、スイカには塩をかけて食べるのが美味しいんだよ」
「塩をかけるのか?甘いものに塩というのは不思議だな」
スイカには塩をかけて食べるもの。
似たような話でトマトには砂糖をかけて食べるものみたいな話もある。
「スイカというのは甘いのだろう?なぜ塩をかけるのだ」
「なぜと言われてもね、うちにはよく分かんないし」
「昔からそういうものだったという事なのか」
「だと思うよ、うちもスイカを食べる時は昔から塩だったし」
「スイカには塩、ふむ」
そんなスイカは今は冷蔵庫で冷やしてある。
冷えたスイカは夏には美味しいものだ。
ちなみにスイカは立派な野菜の仲間でもある。
「夏はスイカ、こっちではそういうものなんだな」
「そうだよ、スイカの種を食べるとお腹の中で芽が出るとは言われたもんだよね」
「流石にそれは嘘だろう?嘘だと思いたいが」
「嘘というか子供に教える危険だからやったら駄目だよみたいな話だよ」
「つまり子供がスイカの種を飲み込まないように誇張して教えていたという事だな」
流石に本当に芽が出たりはしない。
とはいえ子供はそういう事をしてしまう危険があるという事でもある。
愛依が言うには似たような話は他にもあるのだとか。
「スイカの種が腹の中で芽が出るというのは危ないからやるな、という事の例えなのだな」
「他にも夜に爪を切るなとか夜に口笛を吹くと蛇が出るとか言われたっけ」
「そういうのも危ないからやめておけという事の表現なのか?」
「夜は暗いから怪我をするみたいな事を言ったものだね」
「危険をそうしたものに例えて言うのはなかなかに面白いな」
愛依曰くそうした事は現代では危険も減っているものだという。
昔の技術が発達する前に言われていた事なのだ。
だからこそ技術の発達によって夜でも爪を切れるようになったという事である。
「今は技術も発達しているから夜に爪が切れるな」
「それが技術の発展だよね、うちはスマホがなかったら死んでるかも」
「通信技術の進歩は必ずしもいい事ばかりではなさそうだな」
「でもスイカの種とか爪切りとかもだけど、昔の人は上手く言ったよね」
「言葉というのは面白いものだと感じるな」
スイカの種が腹の中で本当に発芽したりする事はない。
ただ別の意味があるからそういう風に言っていたというだけである。
そんな事になったら大惨事どころではないので。
「スイカの種を飲み込むと危ないものだからそう言われていたんだろうな」
「流石にお腹の中で発芽したら飲み込んだ人が大変な事になってるもんね」
「つまりはスイカの種は誤飲する恐れがあるという事でしかないからな」
「大きい種じゃないけど、飲み込む危険はあるものだからね」
「そんなものを普通に食べていたこの国は凄いな」
スイカの種を誤って飲み込んだという話は実際にある。
もちろん発芽する事などなくきちんと出てきたわけで。
スイカとはそういう食べ物なのである。
「スイカという食べ物は種を誤飲するリスクを背負ってまで食べるものなのだな」
「子供は流石にそれもあるけど、この歳になってスイカの種を飲み込んだりはしないよ」
「そこは流石にきちんと覚えたという事でいいのか」
「そりゃ今は成長したからね」
「とりあえず楽しみにしておくか」
とはいえスイカに塩をかけるというのはなぜそうするのかはよく分からない。
昔からそうだからなんとなくそうしているという感じの話だ。
スイカには塩、みんながやっているからやっている食べ方である。
「そういえば夏の風物詩という事でいいのか?スイカは」
「そんな感じだね、夏はスイカを食べるってのは今では普通だし」
「冷たくて美味しいもの、夏らしい食べ物なのだな」
「スイカを川の水で冷して食べるとかは田舎の風景だしね」
「スイカ、夏の風物詩、そういう話もいいものだな」
そのスイカは夜にみんなで食べる事になっている。
今は愛依の部屋の冷蔵庫で冷やされているそのスイカ。
大きいものを買ってきたと本人は言う。
「今夜が楽しみだな」
「大きいの買ってきたから二郎とか碧流とかにもおすそ分けだね」
「それはいい、みんなでスイカだな」
そんな愛依が買ってきた大きいスイカ。
たまにこういうものを買ってくるのもメンバー達はたまにある。
買ってきたものをみんなで食べる。
それはバンドメンバーの仲がいいからこそである。




