花火という美
最近はすっかり遠出するようになった雪樹。
そんな遠出先で花火大会の告知を見た様子。
雪樹の世界にも火薬はあるが、花火のような使い方は珍しいのか。
花火とはなんなのか気になっているようだ。
「なあ、花火というのはなんなんだ」
「花火ですか?そうですね…火薬を決まった形に爆発させる…とか?」
「火薬なのか?」
雪樹には花火はよく分からないらしい。
火薬は理解出来るが、花火というものはどうにも難しいようで。
「花火大会という告知の張り紙を見たのだが」
「それでですか、花火というのは大会なんかだと火薬を詰めた玉を打ち上げるんですよ」
「つまり天高くで火薬を爆発させるという事なのか?」
「はい、決まったパターンで火薬を詰める、だったと思います」
「火薬を決まった形で並べ、それを詰めた玉を天高く打ち上げる…よく分からんな」
口で説明するより映像で見せた方が早いと思った凛音。
動画がある筈なのでそれを見せてみる事に。
大会で言うような打ち上げ花火である。
「これは凄いな、これが花火というものなのか」
「はい、これを何発も打ち上げるんですよ」
「火薬でこんな事も出来たのだな、大したものだ」
「ただこれはあくまでも花火大会で使うものなので、家庭用だともっと別ですね」
「家庭用の花火まであるのか、凄いな」
そういえばと凛音が押し入れから大きな花火のセットを出してくる。
家庭用ではこの程度の規模のものが基本だ。
アパートの前というかラーメン屋の前は割と広い道なので花火も出来るのだ。
「家庭用だとまた違った感じなのだな、花火とは」
「打ち上げもありますし手持ちもありますね、あと最後はやはり線香花火ですか」
「ふむ、どれも面白そうだ」
「なら今度一緒にやりますか?全員休みの日にやる予定なんですけど」
「いいのか?なら混ぜてもらうか」
どうやら近いうちにバンドメンバーで集まって店の前でやるらしい。
店は深夜営業も一応するものの、客は少ない。
なのでそれぐらいの時間にバンドメンバーと碧流や卯咲子なども誘う予定だという。
「花火というのは芸術に近いものがあるな、大したものだ」
「でも花火大会は基本的に河川敷などでやるものですからね」
「それだと近くにある家からでは見えてしまうのではないか」
「見えますね、まあ見えても困るというような事はないみたいですよ」
「そうなのか?見るのに金を取るという事があるものだと思っていたが」
花火大会の近所にある家からでは普通にその打ち上げ花火が見えるものである。
とはいえ見えてしまって何かが困るような事もないようではある。
なので花火大会の花火は近所に住んでいるのなら家から見るのも全然ありなのだ。
「しかしこれだけの人が集まるというのはそれだけ文化になっているという事か」
「そうですね、この国の文化として根付いているものだと思いますよ」
「火薬をこんな風に使うという発想はなかったな、驚いた」
「雪樹さんの世界にも火薬はありますよね?」
「火薬はある、だが花火のような使い方ははじめてだな」
火薬のこうした使い方は雪樹の世界からしたら珍しいのだ。
花火のような技術はありそうでない、という感じである。
雪樹から見たら花火は意外な使い方に見えるのだから。
「花火大会というのは近くに大きな川があるような場所でしか出来ないのか?」
「大きく開けた場所が必要ですからね、それに仮にも火を扱うわけですから」
「家に燃え移ったら大変という事か」
「はい、花火の火は結構下まで落ちてくるらしいので」
「だから河川敷のような広くて開けた場所でやるんだな」
花火大会は大きく開けた場所が必要である。
河川敷でやるのは火が落ちてきても平気なようにという事だろう。
仮にも火薬であり火を扱う以上広い空間が必要なのだから。
「花火というのは実際に生で見てみたいものだな」
「大会に行くのはスケジュール的に厳しいですね」
「だから店の前で集まってやろうという事なのだな」
「はい、それなら予定も合わせられますからね」
「なら僕もそっちに混ぜてもらうとするか」
そんな花火というものへの感じ方。
雪樹の世界では火薬はこうは使わない。
それが新鮮に見えたのだろう。
「とりあえずもう少し買っておかないとですね、花火は」
「人数も集まりそうだからな」
「これは楽しくなりそうですね」
花火はそれこそ炎の芸術である。
大きな大会の最後に打ち上げたりする事もあるのが花火だ。
祝いや閉幕の場面でも使われる事がある。
そんな美しさに見入るのも花火の醍醐味である。




