18.二人の休日
目が覚めると夫の腕の中でした。すごく素敵な響きだと思う。だけど、今だけはちょっとご勘弁いただきたいな、なんて。
「おはよう、シャルロッテ」
魅惑の低音ボイスがまだ寝起きで惚けている私の名を呼んで、一気に目が覚めた。心臓に悪い。
昨晩のことは、しっかり覚えていた。子供みたいに泣き叫んでいた自分を思い出す。しかも泣き疲れてそのまま寝た。冷静になって思い返すと本当にみっともない。羞恥で死ねる。
「体調はどうだ」
「……大丈夫ですと言いたいところですが、生憎絶不調です。目も喉も痛いし声は変だし」
鈴を転がしたようだとよく言われる声も枯れて掠れている。目はきっと赤く腫れているし、今の私はきっととても不細工だと思う。そんな顔を見られたくないので、隣に座る夫を直視できない。
そんなことを考えていたら、リーアム様が立ち上がった。すぐ側のサイドテーブルに用意してあった水差しから果実水をグラスに注いで、私に渡してくれた。
「少しだけ薬草の成分も入っているから、喉がすっきりすると思う」
「……ありがとう、ございます」
なんて用意がいいんだろう。本当にこの人は気遣いの鬼だ。渡された果実水は爽やかな柑橘系の香りと、すうっとするような後味で、とても美味しかった。飲み終わったグラスを瞼に当ててみたら、ひんやりとして気持ちが良い。
そんなことをしていたら、ふと隣から視線を感じ、そちらを振り向く。じっとこちらを見る漆黒の瞳と目が合ってしまって、慌てて目を逸らした。
「……その、昨晩は大変お見苦しい姿を……」
「見苦しいことなんてあるものか」
「いえ、ですがおそらく今もなかなかに酷い顔をしていますし」
「ああ、多少目が腫れていても貴女の愛らしさに影響はない」
「!?」
本当にこの人は、面と向かって小っ恥ずかしいことを。思わず顔が熱くなる。余計に顔を合わせづらくなって縮こまる私の頭に、大きな手が触れた。
「初めて貴女が感情を吐露するところを見れた。貴女をより身近に感じて、私は嬉しく思うよ」
優しい声。どうやらこの人は私をとことん甘やかしたいらしい。私は褒められることには耐性はあっても甘やかされることには耐性がないから、とても困る。
簡潔に言うと、いちいちどきどきしてしまって、やばい。
「……感情的な方が良いなんて、本当に変なお方です」
また、照れ隠しに可愛くないことを言ってしまう。きっとバレているけれど。その証拠に私の頭に載っている手が優しく髪を梳いた。
今まで頭を撫でられたのなんて、お母様くらいだった。照れくさいような感覚に、胸にじんわりと暖かいものが広がって。気づいたら私は口を開いて、語りだしていた。
「……私の母は、とても優しいひとでした。短い間しか一緒にいられなかったけれど、たくさん愛してくれました。私は母が大好きでした」
唐突に始まった昔話にも、リーアム様は黙って耳を傾けていてくれていることがわかったから、私は話を続ける。
「でも、私が王宮に引き取られてすぐ、母は死にました。病死ということにされていますが、絶対に病死なんかじゃない。母は口封じに暗殺されたのです」
それを知った時から、私は父を父と呼ばなくなった。王妃様による母の暗殺を防げなかったことも、王宮であんな生活をしていた私を守ってくれなかったことも、父を信用しなくなるには十分すぎたのだ。
「そのときから、母のことは思い出さないようになりました。母との思い出は、優しすぎて私には痛かった」
優しい思い出は、私を弱くする。私は強くあるために、母との思い出を封印した。それを解いてくれたのは、他でもない、今黙って私の隣で話を聞いてくれている彼だ。
「だけど、ちょっとだけ、母のことを思い出せるようになりました。リーアム様のおかげです」
彼の方へ向き直って、ありがとうございます、と頭を下げた。弱い私を受け入れてくれて。母のことを思い出させてくれて。
頭を上げると、逞しいふたつの腕が伸びてきて、ぎゅっと捕まえられた。私はそれを拒むことなく受け入れて、肩の辺りに手を添える。身体も、心も暖かくなるようだった。
「……そうだわ、そろそろお仕事のお時間ではないのですか?」
「時間? ……ああ」
長々と話をしておいて今更だけど、今朝のリーアム様は随分ゆっくりしているし、誰かが起こしに来る気配もない。不思議に思って問いかけると、彼は真っ直ぐこちらを見て答えた。
「今日は休日だ。だから、貴女とゆっくり過ごしたいと思っていたのだが、構わないだろうか」
「!」
いつも遅くまでお仕事をしているリーアム様。その貴重な休日を私に割いてしまって良いのだろうかと、一瞬そう思った。けれど彼がそう言うなら、と思い直す。
「はい、私もリーアム様と過ごしたいです」
そう、微笑んで答えれば彼の口元が僅かに綻んで。ほら、やっぱりさっきの心配は杞憂だったのだ。




