Failure_2
「あらおかえりなさい。今日は随分遅かったわね。
冷めちゃったけど、ご飯出来てるわよ。お腹空いてるでしょう?」
休むことなく走り続けた俺達は、ボーラさんの家に着く頃にはヘトヘトだった。
荷物を2階の部屋に置き、濡らしたタオルで汗をふき取り、服を着替えてリビングへ戻る。
ボーラさんは食事の用意をしてくれていたようで、テーブルの上には美味しそうな食べ物が並んでいた。
それを見た時、腹が抗議の悲鳴を上げた。
そういえば結局…何も食べていなかったんだよな……。
「わぁ~! ありがと~う!
アタシもぅすっごいお腹空いちゃって倒れそうだったのっ! いっただきま~すぅっ!」
ファラは飛びつくように席に座りさっそく食事に手を付ける。
ん? おまえ散々食ってたろ。
「ほら、ボーっと突っ立ってないでシーヴちゃんも座りなさい。 さっさと食べないと全部なくなっちゃうわよ。」
「あ、はいっ。」
ボーラさんにせっつかれ、言われるままいそいそと席に着く。
「今日は大変だったみたいね。それで、その子のお母さんは結局みつかったの?」
束の間の団欒、温かく穏やかな、食卓。
ボーラさんは俺達が食事をとっている姿を見て、嬉しそうに笑っている。
今だけ、今だけは――あの事は忘れよう……。
「あら、それじゃぁその子のお母さんは無事に見つかったのね。シーヴちゃん、お手柄じゃない!」
初任務の事をボーラさんに話しながら、無理な嘘をついた。
気が付くとファラの表情も少し暗くなっている。
冷めているけど、それでも美味しい料理。
スープを口に運ぶたび、喉の奥がギュゥっと痛んでしばらく飲み込めなくなる。
食事も喉を通らない、こういう事なのだろうか。
笑顔を取り繕う度、泣き出しそうになる。
「さ、しー君、明日も早いからそろそろ寝よっ。ボーラさん、ご馳走様ですっ!
ご飯ありがとうございました、残りは明日の朝いただきます。お風呂、お借りしますね。」
ファラが、食事を残した。
そして席を立つと、早々に浴室へ行ってしまった。
突然、賑やかな食卓がシュンと静かに冷たくなるのを感じた。
「ファラちゃん相当疲れてたみたいね。
片づけはやっとくから、シーヴちゃんも今日は休んだ方がいいわよ。」
「はい。ありがとうございます。」
どっこいしょーいちのすけのしんっ!と。
ボーラさんも席を立ち食器を片付け始めた。
俺は気が抜けてボーっとした頭を抱えて、フラフラと階段を重力に逆らいながら2階の部屋へ向かった。
暗い寝室。
薄い、月明り。
作りかけの小さなベッドの上。
静寂。
沈黙。
耳鳴――
わずかにカチャカチャと皿を洗う音だけが聞こえる。
「ふぅ……。……………………。」
ベッドに横たわり、泥の様に沈む意識の中、その暗い天井を見つめて考えていた。
先ほどのファラの不自然な立ち居振る舞い。
美味しい食事を残したのも、席を立ったのも、あの会話を止める為。
俺が無理してるのに気づいて、庇った。
なんで、こんな時ばっかり、気付いて、気使って。
「何してんだ…おまえ……。」
ずっと、誰かに守られている。
村に居た時と、何も変わっていない。
俺はまた守られて、沢山のヒトに迷惑を掛けて。
皆の想いを信じて、奇跡を信じて、自分を信じて、ここまで来た。
この奇跡があれば必ずヒトの力になれる、ヒトの想いを救えると、そう思っていた。
それがこうも容易く、成す術もなく打ち砕かれるなんて……。
脆く、弱い自分が、情けなくて堪らない。
「ざけんなよ……。」
ひとりごとのように、目まぐるしい思考に支配されていた時だった。
キィッと静かに扉の開く音と、そこから漏れるキッチンからの明かりが静寂と夜の闇を遮る。
慎重にゆっくりと扉が開き、そこからゆっくりと静かに閉まる。
足音を殺して狭いベッドの隣に、それは静かに潜り込んだ。
「ファラ。」
さっさと寝てしまえばいいものを、思わず声をかけてしまった。
「しー君……?ごめん、起こしちゃった……?」
ファラが小声で答える。
「いや、いいんだ。起きてたから――眠れなくて。……。さっきはありがとう。」
少しの沈黙の後、ファラは静かに喋り始めた。
「しー君、無理しすぎだよ……。さっきもそう。見てて辛いよ……。
それに、アタシが気を使うなんて滅多にないんだからね。ボーラさんのごはん、全部食べたかったのに残しちゃった。」
「あぁ……。」
ごめん――そう言いたかった。
けれどその謝罪がまたファラに気を遣わせる。
そう思った。
無理しすぎ。
そう言われてもこんな時、俺はどうすればいいのかわからない。
「ねぇ。これからは抱え込む前に相談してね。アタシ、きっと力になれるから。」
「……。あぁ、そう出来るよう頑張るよ。ファラも困ったときは相談してくれ。」
おやすみ。
そう言って話を強引に切り上げた。
子供じみた受け答えだったと思う。
けれど、抱え込む前に相談なんて、できるはずがない。
状況なんていつでも同じではないし、気付いた時にはいつも袋小路だ。
「人」の悩みに、他人から享受するような簡単な答えなんてない。
きっとファラもそれを解っている。
それを知っていて、けれど掛ける言葉がみつからなくて、解っていても「近くにいる人を頼って欲しい」と伝えたかったのだろう。
解ってるんだよ――そんなこと……。
「スン……。」
微かに鼻をすする音が聞こえた。
ファラが、泣いている――そんな気がした。
思えばファラもライラと同じように、生きているかもわからない母親をずっと探している。
業苦を背負った者が、最後に死に場所を求めて訪れる樹海――嫌でも想像をしてしまうはずなのだ。
今日だって彼女なりの想いがきっとあったろう。
20年、母親の顔も声も、影も形も知らず、独り業苦を背負い、いつ破滅するともわからない日々に、ただただ不安だったろう。
ファラの性格の明るさはヒトを集め、いつも場を賑やかで華やかなモノにする。
けれどその裏には、ヒト知れず暗い過去や、日々水面下で進行する業苦との葛藤があるはずなのだ。
バカ野郎……どっちが無理してるんだか……。
思わず手が伸びた。
向こうを向いて静かに眠る、ファラの小さな頭をそっと撫でる。
ー しー君……。元気だしてよ……。 ー
奇跡を通して想いをきいた。
こんな時でもそんな想いを、こんな優しさを…涙を流すファラを愛おしく思った。
その時。
「きゃッ……! ちょっと、なに……?!」
「ぅえ?」
え? え? 何その顔。
突然ファラが驚いたように飛び起きる。
「うそ……でしょ……?」
は。
「まさか、夜這い……?」
は?
「やめてよね…もう。」
は!?
「なん、だと……?」
「困ったときは相談してって、そういう意味じゃないから……。」
おい……。
「男は皆オオカミだっていうけど、流石にこれはちょっと引くわ。」
おい!!
「え……。いや……! ちがう、ちがうちがうちがうっ!
俺はファラが泣いてるのかと思って! そう思って――そう、思って……?」
そう思って――あれ、なんだろ……。
そう思って頭撫でて、愛おしくなって~…寝込みを襲ったのん?
いや! いやいやいや!! いや、違う!!
愛おしいと言っても意味合いが違うんだ!
女性として見てたとかじゃなく、俺の母性と言うか父性というか、娘を見守るお父さん的な意味で……!
弁明しようと思考を巡らせたが、どうにも説明のしようがない事に気付く。
なによりこの状況で、言い訳をすればするほど嘘くさく、哀れだった。
「そ! そそそれに! おまおまえだって! よく俺の事抱き枕にし! してたじゃんかっ!!」
「はぁ? ちょっと、何言ってんの……? アタシそんな子供みたいなことしないから。
ホント、まじでクソキモいから床で寝てよっ。ほらはやくっ!!」
「は! はっ!? だ、だれがっ! お前みたいな、ブ! ブサイク、襲うかっ!
この! メスブタッ! 乞食デブウシッ!! ブタザル……。ハッ――」
あーやっべぇ……。
っべぇわ……これべぇわ……。
あー、あの目だー……。
馬乗りのファラ、再臨。
これ、まじでっべぇわ……。
「いっぺん、死んでみる?」
ん、あれ――気のせいかな……。
一瞬、地獄から舞い戻った黒髪美少女の姿が重なった気が……。
「あ、えっとー。ははは。」
「あ?」
「お、おやすみなさいって、言いたかったんだぁー。」
「なら一生寝てろやブタクソゴラァアアアアアアアッッッ!!!」
ー そう、気付いた時にはいつも袋小路だ ー
「死ぃぃいいいいいねえええええええ!!!」
あいやー、死刑執行。
必死になるあまり我を忘れ、思わず口をついた罵詈雑言は取り返しのつかない事態を招いた。
全治3か月ってところか。
ボッコボコのボコにボコボコられ、ギリ半殺し。
左手で胸ぐらを掴まれ、右手で髪を鷲掴みにされ、ベッドの縁に頭が割れるほどガツガツ叩きつけられた。
既に瀕死だが更に椅子の脚の角で滅多打ち。
薄れる意識の中、馬乗りで顔をガボガボ殴られ、痛みに何度も目を覚ました。
ふっ――と気が付くと、見事なジャイアントスイングの最中。
「オラァァアアアアアア!!! このまま頭と足がブチもげるまでブン回してやらぁぁあああああ!!!!」
ボーラさんが騒ぎを聞きつけて止めてくれなければ、きっと無残に頭部と四肢がもぎ千切れて無残に死んでいたと思う。
「コォォオオオラァアアアアア!! テメェら今何時だと思ってやがるぅうううう!! 掘るぞコラァァアアアアアア!!」
そう、状況なんていつでも同じではない。
それに人の悩みに、他人から享受するような簡単な答えなんてない。
それを俺は痛いほど、嫌というほど、この夜に身をもって知ったのだ。
ありがとう世界。
そしておやすみなさい、永遠に。
完。




