Lyla_2
ファラの回復を待ち、賞金を受け取って闘技場を出るころにはすっかり日が暮れていた。
その為ギルドを訪ねるのは明日になり、今夜はファラへの慰労会も兼ねて俺は初めて酒場を訪れた。
ハンターや闘技場の戦士、荒くれ者たちの集まる酒場――マッシュルームヘッド。
他にもお洒落な酒場や落ち着いた雰囲気の隠れ家的な場所もあったのだけど、ファラがど~うしてもここが良いとまた駄々をこねたので、俺は泣く泣く、というか恐る恐る足を踏み入れた。
大きな木の扉を両手で押し開いた途端、まるでパチンコ店のような喧騒とむさ苦しい酔っ払い達の笑い声に包まれる。
そんな光景を前に気後れする俺を引っ張ってズカズカと入店し、カウンター奥の店員を呼ぶと、ファラは早速気張ってお酒を注文した。
「ヘイメ~ン? ノットブランドのサイコソーシャル、ヘヴィでプリーズ!!」
なんか慣れてて嫌だなコイツ。
ケズデットにも酒場はあったみたいだし、決して不思議ではないが――
「ちっ、あいよ……。」
え? なんで舌打ちしたのこのヒト?
ファラがウィンク交じりに左のヒト差し指をピっと立てて注文をすると、カウンターの店員は眉間に皺を寄せてなんとも嫌そうに返事をした。
余程気に食わない事でもあったのだろうか?
なんか感じ悪いなこの店。
「??? しー君は?」
「え? 俺は……じゃぁ、水……。」
「たはーーー! なんだアンタ! 吞まねーなら帰れよ!!」
はぁ、さーせん……。
「ってぉい……。デコピン姫のウマモンじゃねーか! うわーーーーっはっはっはっはっはっ!!」
店員はファラを指さして遠慮も無しに突然腹を抱えて笑い始めた。
まぁ、まぁ……。いいか。
「ちょっ! なによいきなり失礼ね! キーーーー!!」
「おいやめろバカ! あ! おじさん!! 俺ミルクでいいです!!」
「たーはっはっはっはっ!!」
あ? なんでまた笑った?
明らかに俺に対しての嘲笑だったぞ今の。
「このマッシュルームヘッドで、ミルクを頼むやちゅ! 開店から30年は経つがアンタがはじめてでちゅ~!! ばぶっ!!」
んだこの店……。はやく潰れろ。
そんな苛立ちを抑えながら、今にもおっぱじめそうなファラの手を慌てて引っ張って席へ着く。
しばしガルガルと周囲を威嚇するファラをなだめていると、注文したドリンクが届いた。
さっきの店員だ。
「はいよ、サイコソーシャルおまち。それと――」
あ、なんか嫌な予感が……。
店員が眉と口角をにゅっと上げて嬉しそうに俺を見る。
「こちらは、ミルクでちゅぅぅううう~~~!! ママのおっぱいが恋しくなったでちゅかぁ?
ボクゥ~??? はーっはっはっはっはーーーー!! ばぶっ!!」
「…………。」
店員はミルクのたっぷり入ったジョッキを俺の前にガンっ! と置くと、にんまりと殊更嫌らしい笑顔を浮かべて楽しそうにそう言った。
はぁ、なにはともあれ――
「なにはともあれ、お疲れさまでしたぁっ!」
景気よく乾杯し、一気にジョッキの酒をグッ! と飲み干すファラ。
豪快な飲みっぷりはオヤジのそれだ。
「ところで身体はもういいのか?」
「ん? あ~あの程度、どうってことないわっ! へーきへーき!」
あの程度って…あの巨漢のデコピンをゼロ距離で食らって平気とは、こいつ一体……。
ファラは右肩をグルグルとどっかのコングみたいに回してニコッと笑った。
まぁともあれ、無事に戻ってこられてなによりだ。
この賞金も結局のところファラのお陰だし、今日の所は好きにさせてやらないと、流石に罰が当たるよな。
「おっ! 手品のねーちゃんっ! さっきの試合、惜しかったなぁっ! ガハハッ!」
酔っ払ったゴツいおじさんがご近所さんみたいな距離感で突然話しかけてきた。
酒くっせぇ……。
「手品は余計よ! まったく、あの解説! きっとアタシのこと嵌めたんだわ!」
そうしてやいのやいのと騒いでいると、次から次へとヒトが湧き、ファラの周りに集まってくる。
気が付くと人気者に、しまいには腕相撲大会が白熱していた。
まぁ、あれだけのショーを繰り広げたのだから無理もないか。
あれ、なんか俺、孤立してるような……。
これは…唐突な当たり前のこど……ではないか。
まぁ、いいのだ。
俺は一人で静かに飲んでいる方が落ち着くし。
こっそりと大男たちを搔い潜り、少し離れたところの長椅子に席を移しファラを見守る。
「あそーれウッ! マッ! モンッ!! ウッ! マッ! モンッ!!
うっ! まっ! のっ! りっ! モンチッチッ!!!」
こうして祭りのような騒がしさを端から見ていると何だか懐かしい気がするな……。
そんな夢見心地で物思いにふけっていると急に頭がボーっとしてきた……。
俺もなんだかんだ疲れてるのかも――
「あれ……。腕相撲…クラスメイト…?」
ふと知らない景色が頭に浮かんでくる。
ここじゃないどこか、見覚えのあるような懐かしい奴らと、同じように腕相撲で盛り上がっている。
相変わらずその友人たちの顔は、すりガラスの向こう側にいる人の様にボヤけて表情は見えない。
けれど、楽しそうな光景、何故だか懐かしさで胸がいっぱいになる。
デジャブ――いや、これは、きっと前世の記憶だ――
「隣、いいか。」
ふいに聞こえた低い声に意識を引き戻された。
俺に――言ったのだろうか。
声の主を見やると、闘技場でゴライアスと対峙した青いリザードの戦士、確か「メノ」だ。
いや、リザード違いかもしれないが――
「あ、どうぞ。」
突然のことで動揺し、反射的に肯定してしまった。
俺が気持ち程度、腰の位置をずらすと、そこへメノがため息交じり腰を掛ける。
なにやらお疲れのようで。
「この街の酒場の空気は、他よりずっと賑やかなのだな。少し疲れてしまった。」
「あの、今日闘技場で戦っていた方ですよね、恰好よかったです。」
「ん、あぁ、みっともないところを見られたな。まさかシールドブレイク技とは思わなくてな。」
も~……。
格が下がることサラッと言わんでくださいよ……。
「気を使わなくていいぞ、オレは初戦敗退だ。それよりも、あの手品の娘の戦いを見たか? 凄かったな。」
あ、このヒトも見てたのか、決勝戦。
「あぁ、彼女は俺の旅仲間、ファラです。申し遅れました、俺はシ-ヴ。
あと、かっこいいと思ったのは本当です。自分より何倍も大きな相手に拳一つで立ち向かう姿、勇気もらいました。
なんといっても、リザー道! 最高にカッコイイ!」
「うっ、それなんだが……。
恐らくあの男が盛り上げるために勝手に言っただけで、そんなものは無い……。
恥ずかしいから…はやく、忘れてくれ……。」
「え?」
無いって、何が? リザー道のこと?
メノは俺から顔を背けると、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
あぁなるほど、このヒト、犠牲者か。
てかあの解説、いよいよまじでテキトーだったわけだ。
「えっと、よければあなたのお名前も教えてください。」
「メノ・セレンティスだ。メノでいい。」
あれ……。それファイターネームじゃなかったのか。
リザードの男はそう名乗ると、どこかぎこちなく酒をあおった。
「ところで、シーヴというのは名字か? フルネームはなんという。」
「え? フルネーム……。」
あれ……。俺の、名前……?
そうか、普通「シーヴ」というのはこの場合名前になるんじゃないか?
名字、名字……。
ウン・チーノスケ……。
あれ、そういえばファラも「ファラ」じゃないか?
「キミ、リンネか。」
「あ、はい。ヒト世界からきたみたいですけど……。」
「ヒト。そうか。その様子からすると、ここへ来てそう日が経っていないようだな。」
俺がそうして考え込むように少しの間黙っていると、メノさんがこの世界の事を少しずつ話し始めた。
「通常リンネの名前や名字というのは、育ての親から受け継ぐものだ。
ヒトに恵まれず、そういった関係を築けなかった者は自分で考えたり、逆に名字を捨てる者もいる。」
名字を、捨てる……。
そんな悲しいことが、あるのか。
「名前だけという者もまれにいるが……。
それでも結婚するときには相手の名字を使ったり、新しいものを考えることになる。」
すると俺の場合は……。
「シーヴ・チー」…………。
え、やだ……。やだやだ、普通にやだ。
ファラは……。「ファラ・チー」か……。
「ぷっ。」
「ん? どうした?」
「あ、いえ、別に……。
恥ずかしながら、俺を助けてくれたヒトの名字を聞きそびれてしまったもので……。」
あ、またどうでもいい嘘が増えた。
「そうか。まぁ名前だけという者もそう珍しくはないからな。いまはソレで良いのではないか。」
そう言ってメノさんはジョッキのお酒を一気に飲み干す。
そうか、名字か――まぁ、その内それっぽいのになるだろうし、今は深く考えなくても別に良いかな。
「シーヴ、酒は飲まないのか?」
ふいに俺のジョッキの中身を見て問いかける。
「俺はたぶん未成年なので、お酒は飲めません。」
「未成年……?」
ん? なんだ?
奇妙なモノを見るような目でキョトンとしている。
なんか変な事言ったか俺……。
「あぁ。それなら問題ない。
この世界ではパッと見だいたい15を超せば、誰にも咎められずに酒が飲める。」
はい?
「シーヴは他のヒト/リンネよりも若く見えるが、落ち着いた性格をしているからな、まぁギリだろう。」
なんだそれ……。ザルにもほどがあるだろ。
じゃぁぱっと見15に見えない20歳とかだったら飲めないの?
んなバカな……。
「基本的にこの世界に法はない。」
は? 法が――
「それぞれの倫理観にゆだねられるのでな。」
無い、だと?
「だがどの世界でもおおむね基本的なルールは同じだ。
細かい違いはあれど、ヒュムはヒュム、リザードはリザードと、それぞれの種族ごとに生活するエリアを分けているからな。
ゆえに法など無くても、ほとんど問題がないのだ。」
どういうことだ……。それで秩序が保たれているのか……?
いくら住処を分けたって、そんな簡単な話じゃないだろう。
一体どうなってんだ……。
だからグッドシャーロットみたいな無法地帯が出来上がるんじゃないか!!
「法律もないのに、どうして……。例えば種族同士の争いとか起こらないんですか?
それに、思えばこの世界って王様とかいないような気がしますけど、一番偉いヒトってどんなヒトなんでしょうか?」
「争いか。当然そーゆー事を考える者もいたそうだが――」
てか起きてんのよ実際。
しらないのかよヤンブタ爆走族を!
「だがしかし、ドラゴンがいるからな。」
え、ドラゴン?
ドラゴン――その言葉に思考が冴えわたるのを感じた。
「世界の統治者、つまり治安や秩序を守っているのは実質、ドラゴンだといえよう。
ヒトには行き過ぎた技術や科学などは、それが繁栄するより前にドラゴンによって滅ぼされる。
特にヒトやドルイドの世界から来た者の中には、野心家、革命家、科学者、技術者、と世界の均衡を破壊しかねない者が多くいたそうだが、その全てがドラゴンによって知識や力を封殺されてきたそうだ。
ドラゴンの強大すぎる力が、過度な文明発達の抑止力になっているらしい。
そうだな、そういう意味では、ドラゴンこそがこの世界のルール、という事になるやもしれん。」
「はぇ~……。」
ドラゴン……。なるほど…確かに……。
今までの疑問が一気に片付いた気がする。
しかしあれだな、どこの世界でもやはり、力に勝る支配は無いという事か。
「まぁこんなご時世になっても未だに世界征服を目論み、ドラゴンを抹殺しようと暗躍している組織があるとも聞くが、所詮はそれもオカルトだな。」
「え。」
ん? それまさかヤンブタ爆走族じゃねーだろな……?
「……。」
まぁ、いいや……。
俺はチビっとミルクを飲んだ。
「おかしいとは思ったんです。
ヒト世界からも俺と同じようにリンネが大勢来ているのに、どうして化学とか技術面が発展していないのかなって。
そうか、ドラゴンかぁ~。」
「まぁ、そういう事だ。」
ドラゴン――そういえば、それは神の使いと呼ばれているのだっけか。
なるほど、どうりで。
たしか、前世の記憶を見せているのもドラゴンだとか、チーさんが言ってたような……。
「初めてなのだろう。オレから一杯奢らせてくれ。なにしろキミはオレのファン一号だしな。」
ふとメノさんが店のヒトを見つけ静かに手を上げると、それに気づいた店員の男性が軽く頷いてにこやかに近づいて来る。
「ありがとうございます。それじゃあ、軽いのを、一杯だけ。」
「エンジェルフォールを1つ。それとオレにはクワーティを頼む。」
「かしこまりました。」
こちらの店員さんは丁寧にお辞儀をすると早速カウンターの方へ注文を通した。
なんだ、紳士な店員さんもいるんじゃないか。
「オレの知る限り、エンジェルフォールは比較的飲みやすくてな。初めて飲むのであればこれがお勧めだ。」
そして間もなくジョッキが2つ届けられた。
静かにジョッキをメノさんと交わす。
ー 乾杯 ー
細やかに。
お酒かぁ……。
エンジェルフォール――名前もいかしてるな。
澄んだ綺麗な薄緑色の液体…恐る恐る口に含む。
炭酸にほのかな苦み。
あぁ。飲める、ん? うっ!!
「ゲッホ!! うぅ……。」
突然脳まで突き抜けるツンっとした妙な味に襲われ思わずむせてしまった。
まっず! 酒って、こんな味なの……?
これ、美味しいんだろうか……。
俺のその散々な様子を見て、ハッハッハッと大声で笑い、メノさんの表情が緩んだ。
「そぅ探るように味わうものではない。まぁ、そのうち楽しめるようになるだろう。」
「はぁ、そうですかねー……。」
「……。ところでシーヴ…よくカーズ顔だと言われないか?」
「え? んん…まぁ……。」
な、なんだ急に……。
多分相当に疲れた顔をしていたのだろう、突然メノさんは心配そうに質問してきた。
「そうか……。気をつけた方が良い。
キミのように哀れで不幸なマヌケ面は、不思議とカーズの的にされやすくなるそうだ。」
「えっちょっ酷い……。」
「それだけじゃない、カーズの効力も明らかに跳ね上がるという。
そしてキミを的にしたわけでなくとも、もし近くにキミがいれば、その術はキミの方に牙をむくだろう。」
メノさんは俺の事など気にもせず淡々と続けるが……。
いやまじでひでぇんだけど……。
「ところで、実は先ほど街で気になる噂話を聞いたんだが、ひょっとすると『カーズマン』と言うのはキミの事じゃないか?」
ん?!
「え、ちょ、ちょっなんですかカーズマンってっ! ちょちょちょちょっと詳しく!!」
思わず顔が近くなる、そして自分でもキモいなと思うほど食い気味に声を荒げていた。
「いやなに、大したことではない。」
あるよ!!!
「哀れな不幸顔のマヌケ面のヒュムが、ヒト喰いボーラにお持ち帰りされたとかなんとか……。」
あぁ!?!?
「なんっだよそれ! ぉいまじでシャレになってねぇぞ!!
ヒト喰いボーラって! 掘られてねぇよちくしょう!!」
「まぁ落ち着け、ただの噂だ。それにヒト違いという事もある。」
「いや絶対俺の事だそれーーーー!! あーーーーー!! ちくしょうなんなのよもうーーーー!!」
なだめようとするメノさんを尻目に、熱くなった俺はやけ酒を一気に掻き込んだ。
くそがーーーーー!! いまなら余裕で飲めるぜぇ!!
「カハーーー! うめぇっっ! もういっぱいオラァ! ファーーーーック!!」
「おい…無理すると後がきついぞ……。」
そうして少しの間、俺は怒りに…我を忘れて、酒に溺れた。
当然と言えば当然、一度に無理しすぎた、のだろう。
悪乗りで、はしゃいだ、典型的なバカ学生のように、飲んでしまって。
頭がふにぃ~っとしてきて、クールダウン……。
眠気と、心地よさに、クテ~っとしていると、メノさんに、水を奨められた。
「ひっぐっ……。ありがとうっ、ございまっつ……。」
「もはや呂律も怪しいな……。ところであの娘と旅をしていると言ったが、シーヴはどこから来たのだ?」
「ふぁあ…そぅでつね……。」
俺は、ボーっとする頭を、埋もれかけの理性で、イッショウケンメイ動かし、ここに来るまでの、事をはなしはじめた。
確か、2日前、ケズデットから来たばかりだ、ということ。
明日ギルドを、訪ねようと思っている、こと。
メノさんに奨められた水も手伝ってか、そうして話していると、段々いつもの調子に戻りつつあった。
もっとも、頭は依然ボーっとしたままだが。
「なんか、俺の話ばかりですみません。メノさんの事、聞いてもいいですか?」
「ん、あぁ、そうだな。オレがここに来たのはキミと同じ一昨日の夜だ。
実は同族を探していてな、赤いリザードだ。街で見かけなかったか?」
そう言うとメノさんは、腰の物入れから一枚の紙を取り出した。
どうやら探しビトの似顔絵を描いた紙のようだが――
「こんなヤツだ。」
「う~ん……。」
いやわかんない……。
リザードがみんな同じに見えるってのもあるけど、多分シンプルにこのヒトの絵心が無い。
なんでこの手の話になると、こぞって皆絵下手になるんだろうか。
とはいえ、赤いリザード――知らないわけではない。
一昨日カツアゲされた時、真っ先に助けてくれたあのリザードの男。
探しビトかはわからないが、赤いリザードだった。
「赤いリザードですか。探しビトかはわかりませんが一昨日の夜に、助けられました。
急いでいるとかで、名前も聞けなかったので、そのヒトかどうかは解りませんが――」
「助けられた……。そうか……。」
あれ……。なんだろうか、急に思いつめた様に俯くと、そのまま静かになってしまった。
もしかして、メノさんも眠いのかなぁ。
「そのヒト、なにかあったんですか?」
「いや、こちらから聞いておいてすまないが、事情は話せないのだ。
そして出来れば、他言無用に頼む。
もしまた見かけたらギルドにいる『ウタ』という者に報告してくれると助かる。」
「わかりました。そのヒト見つかると良いですね。」
そう言うと、メノさんは再び考え込むように視線を落として黙り込んでしまった。
段々頭も冴えて来たな。
赤いリザードの探しビトか……。
他言無用。
あの助けてくれたリザードのヒトは、なんだかソワソワした様子で名乗る事も無く、逃げる様に去って行った。
訳アリなのかな。
そして多分、あのヒトで間違いない。
そうして俺が水を飲んだ時「ギャーーーーッッッ!!」という怪獣のような悲鳴と共に騒ぎは起きた。
「いったぁーー! 折れたーーー! 絶対いま折れたっ!!」
見やれば、いつの間にか決勝戦でファラが戦ったあのゴライアスまで腕相撲大会に参加している。
アイツあの巨体でどーやってこの酒場に入って来たんだ……?
どっかに巨人専用の出入り口でもあんのか??
そしてその足元を見ると、バカ笑いする酔っ払いに囲まれ、ファラが床を転げまわってる。
あちらはまるで別世界のように盛り上がっている。
一体何をやっているのやら……。
まぁ、そう悪い物でもないけれど、頼むから怪我しないでね。
「賑やかで良いですよね。俺は入りたいとは思いませんが、見ていると何故だか心が和みます。」
俺がボケーっと独り言のように呟くと、メノさんもポツリと呟くように話し始める。
「不思議なのだが、リンネの中には外見と中身が一致しないものが多い。
あの娘は外見こそ20くらいに見えるが、中身は10そこらという感じだ。
対してキミは若いが、精神の方は25かもっと上のようにも感じる。」
このヒトさりげなくファラに対して辛辣だ……。
まぁだいたいあってるけど。
「あぁ、でもファラは確かリンネじゃないんですよ。お母さんいるみたいですし。」
「ノーマルか。それはすまなかったな。」
あ、ノーマルって。
確か、ボーラさんもノーマルがどうのって……。
ファラの事か?
「あのメノさん、そのノーマルってなんですか?」
「ん? あぁ、簡単な話だ。生みの親がいる者は、この世界ではノーマルと呼ばれている。
この世界の9割がリンネだが、実際に転生してきたリンネはその中で3割程度だ。
実の親を持たない『リンネ』そして親のいる『ノーマル』。
どちらもカテゴリー上はリンネとして分類されているがしかし、ノーマルに関しては恐らく転生という扱いにはならない。
まぁ結局のところ、原住民族である『ベンゼロイ』との棲み分けに過ぎないな。」
「な、なるほろぉ……。」
ちょっと混乱して頭バグったが、要するに洞窟生まれの俺はリンネ。
母親の居るファラはノーマル、ということか。
俺がボーラさんに「前世の記憶」について尋ねた時に、ノーマルだから解らないと言ったのはそういう事か……。
ノーマルは転生ではなく、純粋にこの世界に生まれたヒト、生命ということになるからなのだ。
「例えばヒトであるシーヴの場合、『ヒュム族ヒト/リンネ』という分類になる。あの娘もヒトだな?」
「あぁそうですね。確かそうです。」
「そうか、であればあの娘の場合は『ヒュム族ヒト/ノーマル』だな。
ちなみにオレは『リザード族ネオリザード/リンネ』だ。」
ネオリザード?
階級みたいなものかな?
って――
「え? メノさんもリンネだったんですか?」
「あぁ。オレもここに来てかれこれ20年にはなるな。」
「そうだったんですか……。ちなみに今おいくつですか?」
「今年で27だ。」
ここに来て20年か――メノさんなら例の大災害についても何か知っているかもしれない。
「しかしあの娘はノーマルか……。となるとあの娘の幼稚な言動は、親から受け継いだ業苦による症状か。」
「え……? えっと、どうして分かったんです?」
「あの黒印、そうであろう。
リンネの業苦を背負うヒュムは、右目の下に奇妙な印が浮かび上がると聞くが。それも知らなかったか。」
「あぁ、そうでしたね。……。」
あぁ、そうか、そうだった。
そういえば黒印とかそんな話もシルフィさんとしたな。
うん、俺の記憶力、結構ヤバいかも。
いやまぁ、酒のせいもあるのかもだけど……。
「しかし、あのように幼児化してしまう業苦を見るのは初めてだな。」
そしてどうやら変な勘違いをされてしまったらしい。
まぁ、話すと長くなるから黙っておこう。
存在すらも不確かな伝説のバナナ、マジカルコトバナナとか面倒くさいのもあるし。
黙っていた方が今は都合がいい気がする。
「実はいま旅をしている目的の一つに、ファラの業苦を解くというのもあるんです。
そんな方法が本当にあるのか、俺には解らないんですが。
今のところ、願いを叶えると解消されるとか、そんな曖昧な情報しかなくて。何かご存じないですか?」
「ふむ、業苦からの解放か。
業苦に蝕まれた者、それから解放された者、噂は様々聞くが果たして……。
多くの者は業苦から解放されることを諦め、それを背負いながら生きていると聞く。
そうだな…オレが聞いた話だと、業苦は親から子へと遺伝する、という事くらいか。
そしてどうやら、あの娘もその類のようだ。
残念ながらオレが享受できるような話はほとんどなくてな、すまない。
すると、明日ギルドに行くのも情報収集のためか。」
う……。まぁ、説明せねばなるまい。
メノさんの問いに一瞬、嘘でも「はい」と答えそうになった。
しかし嘘が込むと後々面倒だ、そう思った俺はメノさんの耳元で声を潜めて、囁くように事情を説明した。
「あ、いえ、えっと……。恥ずかしいので誰にも言わないでくださいよ。
一昨日ここに来てすぐ、ファラが屋台の食べ物を食いたいだけ食ってまわって……。
その時に旅費を全て溶かされまして……。
幸いにも今日はアイツのお陰で賞金が入りましたけど、先行きが不安なのでギルドでお仕事でも――と。」
「……………………。」
あ、メノさんのこの表情、とても反応に困っている。
「大丈夫か、シーヴ……。その…そんなのと一緒で……。」
「う……ん。」
何故だか居たたまれない気持ちでいっぱいになりメノさんから顔を背けてしまった。
ゴツンッ!!
「ひでぶぁっ!!」
突然後頭部から鈍器で殴られたような衝撃に見舞われ、視界が真っ白に――
「ぅ、いってぇ………なに……?」
「おい、大丈夫か?!」
何だってんだちくしょう……。
じんわりと視界に色が戻り、ぼんやりとメノさんが心配しているのが見えた。
いってぇ……。なんか飛んで来たのか?
「おい! 手品のモンチッチ! ジョッキ投げんな! ヒトに当たったらあぶねーだろ! 次やったら出禁にすっぞ!!」
思いっきり食らいましたけど……。見えてるかー?
酒場の主人らしきヒトが厳しく注意するが、なぜだか癇に障る物言いだ。
「うっさいわね! そんなもんも避けれないトロいザコカスが悪いのよ!
あと手品の、は余計よ! 馬乗りモンチッチ!! 馬乗りモンチッチ様と呼びなさい!
ほら、酒がもうないわ! もってきて!!」
どうやらとばっちりを食らったらしい、おおかた先程の騒ぎだろうとは想像できる。
ファラが、飛んでくるジョッキも避けられないトロいザコカスが俺だと気づいたのはその数秒後だった。
「え! 嘘!? ごめん! しー君いたの?」
慌てて駆け寄ってきて、表情は一転、目を潤ませてとても悲しそうだ。
うっ……。コイツ酔ってんな、すげー酒くせぇ……。
憐れむような目で俺を見ながら、頭を雑にグリグリと撫でてくる。
あでで、いてぇよちくしょう……。
「あたまぁ~……。だいじょうぶぅ~……?」
コイツ煽ってんのか……?
めちゃくちゃ心配してるのが解るから余計に腹が立つ……。
思えば旅が始まってまだ3日と経っていないというのに、既にこの乞食デブウシによって旅は破綻し困窮を極めている。
挙句の果てがこの様だ。
今日までで何度泣いて何度死にかけた?
そして少なくともコイツといなければこんな目にも合わなかったはずだ。
俺はふと旅立ちの前夜、あのキレイな満月の晩、チーさんに言われた言葉を思い出した。
ー 他者を傷つけるとしても、ファラは言葉を話せた方がいいと思うか ー
あーーー! ちきしょう! こういうことかぁ!!
俺はファラに担がれ、酔っ払い達の遠慮のない笑い声に背中を押されながら酒場を退場した。
「あー! おいモンチッチ! お金お金!」
…………。
長い夜、街はこれからもっともっと活気づくのだろう。
ガンガンと鳴り響く頭痛、遠のく意識。
空にぼんやりと淡く浮かぶ無数の星。
最後に見えたのは、怖いくらい大きな月だった。




