屋根裏部屋のベッド
2025/12/13_改稿済み。
時刻は44時(地球の感覚では、だいたい23時頃だろう)。
ボーラさんのお宅に招き入れられて、俺とファラはスチャラカポコタンという惑星規模の舞台の上で離れ離れとなってしまった。睡眠薬入りのブラッディリンゴジュースを飲まされたことで、気が付くと俺はケズバロンから遠く離れた大海原のど真ん中にいて、荒ぶるポコマグロ漁船の上で生きるか死ぬかのダイハードを繰り広げている。一方のファラはというと、裏社会のお金持ちたちが秘密裏に集う人身売買のオークション会場へと担ぎだされてしまったと聞かされてさあ困った困った。
などというダークなハプニングは全然なく、現実での俺とファラはリビングでボーラさんと少しの世間話をしたあと、屋根裏部屋へと案内された。今日からここが俺たちが寝泊まりする空間になるのだが、長年放置され、埃が積もり、ヒトの気配が無い為にスレイヴスコロニーのひとつも見当たらない。もはや部屋とは名ばかりの、使わなくなった家財置き場と化していた。
まずは、家財に埋もれているという唯一のベッドを掘り起こすべく、今はボーラさんと共に積み重ねられた家具の山の解体を開始したところだ。ファラお得意の魔法”コニー(手のひらの上に光の魔素を集める魔法)”を頼りに、ブロックゲームみたく隙間なく器用に積み重ねられた丈夫で重たい木製家財の数々を、ボーラさんと共に息を合わせて慎重に移動していく。
タンス、キャビネット、クローゼット、埃を被った山の一部から幾つかの家具を動かすと、ようやくお目当てのベッドが姿を現した。大きさはファラの寝室にあったものと同じか、或いは少し小さいシングルベッド、恐らくは子供用と見える。最後にソイツを部屋のど真ん中に引きずり出したところで、俺とボーラさんは同時に額の汗を拭ってため息をついた。
「ひとまずこんなところですかね」
「ごめんなさいネ、散らかってて。ケズデットの村から歩いてきてクタクタでしょうに、すぐに休める部屋ならよかったんだけど」
「いえ、泊めていただけるだけでも有難いのに、そのうえ片づけまで手伝わせてしまって、ごめんなさい。そんなことよりボーラさん明日も早くからお仕事でしたよね。あとは俺たちふたりで片づけておくので、休んでください」
「いいのヨ、仕事のことなんか気にしないで。最近は気まぐれで焼きそばを売って日銭を稼いでいるだけだもノ」
「”最近は”って事は、本職が別にあるんですか?」
「あら、言ってなかったかしら。ウチはもともと名のある家具工房だったのヨ?」
「あぁ、それでですか、家の玄関の看板が凄い立派だったのは」
「ええ、そう。”フクロウの街”。フレンとふたりで築き上げた街一番の家具工房。あの頃が懐かしいわネ」
家具工房をふたりで切り盛りしていたというのがどのくらい前の事なのかは解らないが、ボーラさんが誇らしげな表情で少し寂し気な声音を零して笑った時、なんだかそれがとても遠い昔のような気がした。
改めて辺りをぐるりと見渡すと、ホコリ被った家具の山が俺たちと小さなベッドの周りを取り囲んでいる。どれも古いもののようだが、興味深そうに家具の山に歩み寄ったファラの手元の光に照らされて、今なお艶を放つ家具の群れは傷一つなく、素人目に見ても品質の高さがうかがい知れる。
「ねえねえ、これ全部売ったら幾らぐらいになるの?」
「そうねえ……?」
ボーラさんは視線を天井に泳がせて数秒ほど右手でアゴヒゲをさすった。
「ざっと、2500万レラってところかしらネ」
「二に二に2500万!? やっばーいっ! あっと言う間にお金の亡者じゃん! あ、じゃあ昨日の”やきそば好きなだけ半額”って、つまりお金に困ってないからだったのね! ボーラさんってば太っぱらぁ!」
「すスすスすごすゴご凄すぎる……。そんなに高級な家財が山のように……もしも泥棒に目を付けられたら大変だぞこりゃ」
「うふふ、ふたりとも大袈裟ねえ。材料費を考えると実際の儲けは800万強がいいところヨ。それに今の時代じゃ商売にならないわ。随分前にケズバロンも大都市化して家屋もコンパクトになってきたし、こんなに大きな家具を買うヒトはかなり珍しくなっちゃったから」
「だから工房を閉めたちゃったんですか、せっかく作った高級な家具が勿体ないなあ」
「違う」
瞬間、情熱的だったボーラさんの声音が野蛮で男勝りな調子に暗転する。ピリリと緊張感のある物言いで俺の憶測を否定すると、今しがた引きずり出したシングルベッドの頭の縁に手を置いて、ギュッと強く握るのだった。急に訪れた沈黙の中に、ファラの手元の光でも照らしきれない濁った影が浮き彫りになったように思える。
沈黙と共にうな垂れ、目元に影を落としたボーラさんが手を掛けたベッドの頭の辺りをよく見れば、”ルーシィ”という誰かの名前らしき文字列が掘り込まれている。その名前を囲うようにして細かい花の模様が施されているのだが、作業はもうすぐ完成するというあと一歩のところで停止しているようだった。僅かに伏し目がちとなったボーラさんの視線は、放置された花の模様を寂しげに見つめていて、丁寧に刻まれた何者かの名前を、まるで我が子でも撫でるようにそっと親指でなぞるだけだ。
製作途中で屋根裏に押し込まれた小さなシングルベッド、急に重たい沈黙を纏ったボーラさんの表情。ふたつの歪んだ感覚的な濁りの中に、家具工房を営んでいた頃の相棒である”フレン”という男性の影がチラついている気がした。
「そんなことよりも……アナタたち、ウチに泊まるのはいいけれど、これからどうするノ?」
隠しきれない動揺を作り笑いで誤魔化して、再び声の調子を女性的なものに戻したボーラさんが、ぎこちなく話題をへし曲げた。
「あ、あぁ……。まずは稼ぎ口を見つけないと……どっかのバカのせいであっと言う間にお金なくなっちゃったのでねっ。」
変な葉っぱのじゃらじゃらネックレスが首元でギラギラと輝いているカスを視線でおもくそ串刺しにしてやったのだが、なぜかファラは優し気に微笑み返してくる。
「そうよネ、困ったわねぇ。稼ぎ口といっても、旅をしているってなるとあちこち転々とすることになるでしょうし。そういえば、シーヴちゃん達はどうして旅をしているノ?」
「それは、大した理由ではないんですけど、俺達は”魔女探し”をしているんですよ」
「”魔女”……?」
「はい、記憶を消す魔女ってやつに興味のある知り合いがいまして。何でもソイツ、忘れたい過去があるんだとかなんとか言って、ホント何言ってるんだかって感じなんですけどね」
ギュッと眉間に皺を寄せて目を見開いたボーラさんをよそに俺が頭を掻いて与太話をさらに冗談めかすと、珍しく怪訝な表情をしたファラが”ねえ、それって内緒にしないとダメなんじゃなかったの?”と俺の耳元で囁いてきた。
「(いいんだよ、お前が魔女の娘だってことさえバレなければな)」
「(でも、ボーラさんなんか怒ってるよ?)」
「(え?)」
「う”う”う”う”う”……魔女めぇ!!」
突如として、腹を空かせた獰猛な肉食動物の低い唸り声が薄暗い屋根裏に反響し、俺とファラは同時に身を竦ませて硬直した。 血走った白目を剥いて首から上を真っ赤にしたボーラさんのシルエットが急にふたまわりほど膨れ上がったように思えたが、どうやらなにひとつ錯覚などではない。目の前でメキメキと全身の筋肉が隆起すると同時に逆立つモヒカン。皮膚の下からは人間とは思えないほど極太の血管がビクビクと浮かび上がり、急激に血の廻った全身の穴という穴から沸騰した水分が湯気となって立ちのぼっている。
「あの泥棒猫のドグサレドクソドビッチめが……。思い出すだけでもキンタマが煮えくり返るぜ……。」
ついに着ていたタンクトップまで弾け飛んでしまった。
「え、あの……俺なにか変なこと言いましたか?」
「うるせえザッケンナコラァァアアアッッ! ウガァアァァアアアアアッ!!」
凄まじい咆哮で小窓のガラスが振動すると同時に地面が縦に揺れ、何かが粉々に砕け散ったような音が鳴り響く。気が付くと、先ほどボーラさんと協力して脇に避けたはずのクローゼットの一つが瓦礫と化していた。
「あぁ! 売れば贅沢三昧だったのにぃっ!」
「言ってる場合かっ!」
この期に及んでもなお食い物のことで頭がいっぱいの箱入り畜生に俺は本気で怒鳴ったが、後にして思えばファラを見捨ててでも一刻も早くこの場を立ち去るべきだったと思う。
「そういやテメエ、なんとなく魔女みたいな顔しやがって……」
「え? あたし……?」
「ちょ、ちょっとボーラさん落ち着いて、ファラが魔女なわけ……」
白目を剥いたままファラを指さしたバケモノがゆらりと歩み寄り、ファラは絶望を前に戸惑いの表情を浮かべて一歩後ずさった。もはや俺の声はボーラさんの人間側の意識に届いていないようだ。
「ヒロシを……返せオラァァアアアアッッ!!」
「キャァァアアアアッッ!!」
「ファラ……ッ!」
とっさの事で何が起きたのか、最初は解らなかった。
「アッ!」
ただ、俺の目の前に赤い顔の鬼がいて、俺の身幅よりも太い右腕を振り上げている。その拳が振り下ろされる瞬間、俺は無意識に身を挺してファラを庇おうとしたのだと悟った。
――俺の両肩にファラの手が掛かっているとも知らずに。
時々、こんな事をしている場合ではないと思う事があります。




