My Mental Health_5
森の奥へ駆けて行った三人の中年ハンターを追いかけた先で、今度はまた別の中年男性と縄張り争いを繰り広げるガチャ子を俺は見つけた。
体格差もなんのその、ガチャ子と大人げなく取っ組み合いを繰り広げていたのは、小太りの陰気そうな中年男性。
彼もまたさきほどの中年達と同様に珍妙な恰好をしており、ガチャ子と組んず解れつ転げまわるその姿は、正に裸の大将であると思われた。
「やっちまえ~ビト!」
「姫ちゃんに恥かかせんなよビト! 良いとこ見せろよなー!」
―― ビトさん、頑張って! ――
「うぇ~~~いっ! うぇ~~~いっ! がんばうぇ~~~いっ!」
土にまみれ、麦わら帽子が宙を舞えば、ここぞとばかりにガヤが湧く。
泥仕合いを見守る大人げないガヤの方には、さきほどのゴボウと根暗、銀髪おばちゃんに加え、特に特徴らしいものは何もない「アル」と呼ばれる中年のモブが特にイキッていた。
「俺達の縄張りを荒らしやがってこの負け犬が! 二度とこの森に足を踏み入れんなよ! ぺっ!」
「んだこらこんチクショウ覚えてやがれ!!」
「やーい、死ねバーカ!」
「お前が死ねー!」
間もなく俺が仲裁に入りどうにかその場は収めたものの、しかしその後も幼稚なゴボウがしつこくヤジを投げてくるので、ガチャ子を宥めたりと他にも色々と大変であった。
易い挑発に乗り、再び噛みつこうとした傷まみれのガチャ子の首根っこをひっつかんで、俺はその場を後にしたのである。
***
さて、時は過ぎ、時刻は夕方の五時。
昼過ぎに、変な名前の植物たちをアナさんに届けた俺達は、遅めの昼食に少しのゲーム休憩を挟んだ後、イェレクタランの酒場「トラッシュボート」を訪れた。
「あ、また来たのかこのチビ!!」
「うるせぇ解ってんだよ飲めないのくらい!」
「なら来んな!」
「あのー、おじさんどうも。」
「おう、兄ちゃんはいつでも大歓迎だぜ。こないだは悪かったね。好きなとこ座ってくんな。」
ガチャ子が店の戸を潜るなり早速オオカミ顔の店主が声を荒げるも、俺に対してはむしろ好意的であった。
その後、店主はあちこちから上がるオーダーに応えつつも、えらい量の空ジョッキを抱えながら小走りでカウンターの奥へと消えていった。
夕方でも街中は閑散としているのに対して、この狭い空間だけは相も変わらず賑やかである。
俺はカウンター以外で空いてる席を確認しつつも、前回とあまり変わり映えしない店内の若者グループたちをグルリと見渡した。
「 「 「そんじゃ、かんぱ~~~いっ!!」 」 」
「うぇ~~~いっ!! 姫ちゃんもかんぱうぇ~~~いっ!!」
―― みなさんお疲れ様でしたー! ――
「げ……。アイツらって、さっきの……。」
さて、俺が店内右手の窓際にちょうど手頃な空席を見つけた時、妙に見覚えがあり尚且つこの若者酒場には不釣り合いな年ごろの集団を見かけた。
窓際の空席から更に奥の隅っこテーブル席――そこに、お昼にロームの森でガチャ子がやり合った中年ハンター五人組がいる。
恐らくは、一狩り終えてここに戻って来たという感じだろうか。
成果のあるなしはともかく、年甲斐も無く楽しそうに呑んでやがる。
しかし、何故ここに――なんて、そんなこと考えるまでも無い。
こんな辺境では、イェレクタランの街に戻って飲むか、ナックルパックの市場で葉っぱキメながら騒ぐくらいしか選択肢が無いのだ。
よく考えれば解る筈だが、俺は自らとツチノコハンターどもの運命を呪った。
しかし幸い、奴らもこちらにはまだ気付いていない。
多分だが、ガチャ子が普段着(いつもの小汚いブカブカの黒いローブ)に着替えているからというのもあるだろう。
ハンター然としていないガチャ子の普段着は、どっからどう見ても「どこからともなく迷い込んだホームレスの子供」なわけだから気付くはずもない。
「ん、どったのシブっち。」
「いや、別に。」
またガチャ子もガチャ子で、彼ら中年ハンター達の存在に気付いている様子はなかった。
というより、本人曰く、他人にあまり関心が無いようで、ちょっと顔を合わせたくらいの相手だとすぐに忘れてしまうらしいのだ。
ともあれ、何が起こるやも解らない、今日もなるべく早めに立ち去るのが良かろうなのだ。
「あ、あっちの方にするか。」
「うん、どこでもいいよー。」
俺は出来るだけ目立たぬよう、カウンターを挟んで彼等とは真反対の空席へ移動した。
***
「シブッち今日は飲まないの?」
「あぁ、今日はこれで良いよ。」
店主にオーダーを通すと、俺の向かいに座っているガチャ子が不思議そうに小首をかしげた。
俺は無理に笑って誤魔化したが、しょうじき今日はあまり飲む気にはなれない。
だから俺が頼んだのはアルコールではなく、ホットミルクティー。
底冷えするこんな北の夜には、温かくリラックスできる飲み物が必要だ。
明日はいよいよ二月の八日。
夜にはアナさんと共に、再びライクパシフィックの森を訪れる事となる。
幻の泉、ユースファウンテンを求めて。
その前日ともなると色々と余計な事を考えてしまうので酒に逃げたい気もしたが、けれどこういう時に飲む酒はあまり気持ちの良いものじゃないのも事実だ。
今は堕ちない程度に冷静でいる必要がある。
そう思った。
「へいお待ち! ここ置いとくよ!」
注文を通して間もなく、ぶっきらぼうに飲み物が届けられた。
ガチャ子はオレンジジュース。
俺はミルクティー。
さっそく乾杯をして、ジョッキの中身を煽る。
そう書くとまるで楽し気に思えるが、実際にはもっとひっそりと落ち着いた光景だろう。
「ぷはー! オレンジジュースさいっこー!」
オレンジジュースで飲んだ気になったガチャ子が、急にテンションを上げる。
そんな俺の視界の隅に、先ほどの中年ハンターたちが陽気に笑い合っているのが見えた。
昼の一件はさて置き、こうして見ているとなんとも楽しそうなヒュムのパーティである。
中年男性が四人、更にもう一人、銀髪の喋れない女性。
底辺っぽい中年男達が大声で笑うのに混ざって、喉の病気だというあの女性は声も無く笑う。
楽し気な彼らの様子をジッと見ていると、不意に村に居た頃の事を思い出し、なんだか急にあの頃の生活が懐かしくなった。
けれどそれすらももう、遠い昔の出来事のように感じてしまう。
「……。」
あれから二年。
たった二年で、こんなに見える世界が変わってしまうとは思わなかった。
あの頃、記憶も守るものも無かった俺は――もっと純粋で、もっと優しくて、ワガママで、心も魂も自由で、もっと大きかったのだ。
記憶を取り戻した今、大切なものが増え過ぎた今、俺は身の程をわきまえずに世界を広げ、後先考えずに多くを知りすぎたが故に、自分がこんなにも小さくなってしまったと感じている。
今の俺だからこそ解る俺自身の小ささが、ただ惨めで不甲斐なく、耐え切れなかった。
「しぶっち、さっきからなに見てんの? 今日元気なくね。」
「いや、別に。ちょっと昔を思い出してな。そのせいかも。」
「ふーん。」
ガチャ子に気を使われるとは、俺の顔色の悪さは余程のものだと解る。
やはり酒を入れなくてよかったと、そう思った。
ガチャ子から視線を逸らし再びジョッキを口に運ぶと同時に、あちこちの楽し気なノイズに交じって、嫌にあの中年ハンター達の笑い声だけが大きくなって耳に飛び込んで来る。
その瞬間、俺は彼らの事を意識してしまっているのだと解った。
そして彼らの笑い声に、今度は中高の友達と無邪気に騒いでいた日々を思い出してしまうのだった。
皆でロケット花火やバクチクを持ち寄って、ドンパチを繰り広げたあの夜を。
仲間内だけで行く夏休みの旅行の計画を立てた昼休みを。
みんな、俺のお見舞いに来てくれて、そしていなくなった――あの時の引きつった笑顔を。
俺は今でも、嫌でも鮮明に思い出してしまえるのだった。
「昔ってさぁ、それってどんくらい昔? もしかして前世の事とかなの?」
恐らくはただの興味本位だろうけれど、心ここにあらずの俺に気を使ったのか、純粋な笑顔のままガチャ子が急に喋り出した。
そういえばガチャ子にはまだ、俺の奇跡の事やこれまでの出来事を話したことが無かった。
特別ガチャ子に話す必要も無ければ、逆に隠す必要もないであろう俺の経歴。
言わばその程度の世間話、どうでもいい他人事だ。
「あぁ、前世の事だよ。俺はここに来る前……。」
応えながら、俺はより鮮明に、"あの日"エンベリィさんの奇跡に見せられた映像を思いだす。
この世界に来る前、俺は10年余り、あの硬く冷たいベッドに縛り付けられていた。
動く事も出来ず、喋る事も出来ず、ただ意識だけが空間と時間を認識していた――虚無。
出来る事なら、あの悪夢だけは相手が誰であろうと話したくない。
「かなり前だけど、学校っていう、色々と世間の事とか教えてくれるところに通ってたんだ、俺。」
「学校かぁ……。」
脳裏に浮かんだ映像から意識を逸らそうと俺がゆっくり天井を見上げてそう言うと、何かを思い出そうとするように、腕を組んだガチャ子もボーっと天井を見上げていた。
「そういやそーゆー教育の場みたいなの、あたしの前いた世界にもあったかも。」
「え、そうなのか? てことは、ドルイドの……学校?」
「そうだねー。まぁ実際、大体どこの世界にもあんじゃない? そうでなきゃ共通認識と概念、その言語として『学校』なんて言葉、この世界には存在して無いんだろうしさ。」
「お、おう……。なるほどなー。」
正直ガチャ子が何を言ってるのか、俺にはよく解らなかった。
しかし思えば、ガチャ子の口から家族の話とか一度も聞かなかったので、薄々感づいてはいたが、やはりガチャ子もリンネだったらしい。
「それにしても、学校ねー。ま、あたしはそーゆー感じのとこに居なかった気がするから、特に何も覚えてないけど。」
そしてどこの星でも似たような仕組みはだいたい存在するのだろう。
とすると、ドルイドの星にある学校って、やっぱホグワーツみたいな壮大な感じなんだろうか。
俄然そちらの話題に興味が湧いたが、記憶のないガチャ子に詳細を聞いたところで、それ以上のなにかが解る筈も無かった。
「んで、それってどんな所だったん?」
「あぁ……。学校では、友達がたくさんいて、一緒に勉強したり、たまにサボって遊んだり、ご飯食べたり、休みの日も一緒に遊んで過ごすんだよ。」
「なんだよ、遊んでばっかじゃん。」
小馬鹿にするようにガチャ子が笑う。
「お前が言うなっての。でも確かに、やってる事は今とそんなに変わんないかもなぁ。」
「ふーん、なんか楽しそうだったんだねー。」
「うん。」
――あぁ、そうか……。
「楽しかったよ、毎日。」
ふとガチャ子の言葉に、胸の奥がキュッと締まるのを感じた。
自らの言葉がこの喉を震わせ、一瞬のうちに数え切れない感情となって、あの日々の映像をここへ連れて来る。
皆の笑顔が、嫌でも鮮明に、脳裏へと浮かんでくる。
声が、感情が、懐かしさが、温もりが――俺の中に、こんなにもまだ、暖かく、生きている。
――それが、たまらなく悔しい。
「毎日、毎日、本当に楽しかった。」
「そっか……。」
ガチャ子はそれ以上を俺に聞かなかった。
代わりに目を逸らし、あくび交じりにオレンジジュースを飲んだ。
それからどうなった――なんてこと、たぶん言わなくても、今の俺を見てなんとなく分かったのだろう。
あまりにも幸せ過ぎて、消したい記憶がある。
二度と取り戻す事の出来ない、残酷で忌々しい過去がある。
そう感じてしまうのはきっと、俺の魂が未だあのベッドの上の肉塊に縛り付けられたままだからなのだ。
そして純粋に毎日が楽しかった学生時代を思い出すと、やはり俺は随分と変わってしまったような気がする。
時間だけが無為に流れたなんてことは無いものの、決して前には進んでいない。
ただ周りの景色や、見え方が変わっただけの話。
きっと俺の想いもまた、あの世界の映像の中に取り残されてしまったのだろう。
俺はまだ、この世界で生きる理由を獲得できていない。
俺はまだ、この世界にいる自分に納得できていない。
気の向くままに旅をして、世界を広げるだけ広げて、身体だけ大人になって、むしろ俺は不完全になった。
心は真っ二つに引き裂かれたまま、俺はこの世界で過去と妄想に囚われて、初めからありもしない自分の居場所を探して今も彷徨い続けている。
アナさんの手を取った俺は、決して希望を掴もうとしたわけじゃない。
どう足掻いたところで結局、今の俺が空っぽであることに変わりがないのだから。
けれど――このまま何もかも消えてしまえばいい――なんて、そんな風にはもう、二度と思いたくなかったのだ。
――明日。
もし何も起こらなかったら、もし泉になにも現れなかったら――ファラのお母さんの足掛かりは、再びゼロになる。
嫌でも、今はそればかりが気がかりだった。
しょうがないさとアナさん達に笑いかけて気軽に立ち上がれるだけの気力が、今の俺にあるとは思えなかった。
今はただ、この結末を知る事だけが怖い。
その先を考える事が億劫でならない。
そして、どれだけ頭の中でこねくり回しても、時間は待ってはくれない。
どう考えても答えは出る筈がないし、その時が来るまで解らないのだ。
今の俺にはただ待つ事しか出来ない。
夜を。
満月を。
この物語の終わりを――この夜に祈り、ただ明日の夜を待つばかりだった。
「……にしても、今日はやけに冷え込むよな。」
気を紛らわそうとして出た独り言のような俺の問いかけに、ガチャ子は何も言わなかった。
気付かない振りをしているのか、或いは本当に聞こえなかったのか、いずれにせよ、その沈黙を最後に、俺たちの間から言葉は失われた。




