アニーク樹海
2025/01/19_改稿済み。
照り付ける太陽がもうすぐ天辺に至ることから、そろそろお昼時だろう。
ケズデットの村を離れた俺たちは、チーさんに教えられた通り道なりに西へと進み、その後は分かれ道の標識の指示に従ってケズバロンを目指している。
チーさんから譲り受けた地図の通りならば、もう数時間も歩けば第二のチェックポイントである”アニーク樹海”に突き当たる筈だ。
「ふんふふんふふ~ん♬☆ なんななんなな~ん☆♪」
先ほどよりファラの鼻から垂れ流しにされている陽気なメロディは、色とりどりの蝶が舞い踊る初春の花畑をも彷彿とさせる良き旅のBGMとなっている。
俺は大義を見失わないようまっすぐ前を見据えて歩きながらも、横目では俺の隣を活き活きとスキップしているファラの行動を注意深く観察していた。
常に落ち着きがない彼女は、地面に落ちているものを拾ってみたり、通りすがりの野性のセルバッシュ(シカのような生き物)を木の枝を振り回して不必要に追いかけまわしてみたり、ハゲボーボーだなんだという変な替え歌を歌い始めたりと、子供じみた言動が目立ち少々危なっかしく感じられる。
副声虫を取り込んだ現在の彼女の精神年齢は小学6年生のワンパク小僧がいいところで、もし仮にここが往来の多い大都市ケズバロンの雑踏の最中だとしたら、ファラは秒で姿をくらませているであろうことは裕に想像できる。
「ねえねえ、音痴のヒトって鼻歌も音痴だったりするのかなあ?」
「さあな、けどお前の鼻歌を聴いてる限りじゃそうなんじゃねーの。」
「え、じゃああたしより音感の鈍いしー君はどうなっちゃうの? 音痴よりもふた回りくらい下ってなると……”う”ん痴?」
「俺は”ウンチ”じゃねえ!」
「わー怒った~! 図星を指されるとヒトはキレるっておじいちゃんが言ってたよ~?」
「あのなあ、あんなホラ吹きの言う事を真に受けるなよ。」
「や~い、しー君のうんち~。大大おんち大うんち~♪」
ひとりで舞い上がったファラが陽気にくるくると身を翻して俺のことをあざ笑う。
このように、殆ど一方的ともいえるクソガキとの対話は、やたらとヒト懐っこく顔の周りを飛び回るハエを思わせて少々鬱陶しく感じられた。
「や~い! ばーかっ!」
「バカは余計だろ! てかお前が言うな!」
「あ、またまたリンゴの木はっけ~ん! 無限タダ飯バンザーイ!」
「お~い……またかよ……。」
道端にリンゴの木を見つけるや否や一方的なコミュニケーションさえ振り切って突っ走っていくファラに、俺は自らの表情に滲んだ絶望を隠しきれない。
困ったことに、村を離れてからの俺たちの歩みはろくすっぽ進んでいなかった。
グッドシャーロットを離れてからかれこれ3時間は経過するだろうと思われたが、性懲りもなく横道へ逸れていくファラは、先ほどから俺の制止を幾度となく振り切ってタダ飯三昧の限りを尽くしている。
「ん~、うまし~!」
いまも呆然と立ち尽くす俺をよそに、ファラが背の低いリンゴの木を器用によじ登り、熟した真っ赤なリンゴを一口で平らげていく。
「しー君も食べたら? 全部タダだから誰も怒らないよ?」
「いや、俺はいいよ……それより先を急ごうぜ。こんな調子じゃ、あっという間に日が暮れちまうってば。」
「えー、もしかしてリンゴ好きじゃないの?」
「いや、リンゴは好きだけど……って、そーゆー問題じゃなくてさ。とにかく早く行こうよ。」
「ふ~ん。じゃあ、ぜ~んぶあたしのネ♡」
ファラはきゅんと甘えた声で微笑んで赤らんだリンゴにキスした。
「だめだこりゃ。」
かくして本日、通算8度目のボーナスタイムに至る。
本日中にケズバロンに着くという俺なりの目標は木端微塵に爆散、既に俺とファラの旅の目的はすれ違い仲違い。
その原因は1~100まで彼女なのだが、大脳の前頭葉(思考を司る部分)を胃袋に支配されているであろうファラは、目先の赤い宝玉に心奪われ欲望の限り暴食を繰り返している。
片腕で太い枝にぶら下がりながらウキウキと楕円形のリンゴを頬張る姿は、厳しい野性を生きる逞しいサルの如く。
次の獲物めがけて軽快に飛び移っていく様子は、伊賀甲賀の伝説の忍びを思わせた。
彼女の体のどこにそれだけのリンゴを蓄えておけるスペースがあるのかは判らないが、脳から足のつま先に至るまでの全てが胃袋の延長線であろうことは想像に難くない。
「ん~、デリ~シャスッ♡」
ものの数分たらず、山と果実をこさえていた彩鮮やかなリンゴの木は不毛な更の木へ変容を遂げ、どこかどんよりと陰鬱な影を落として老い萎む。
リンゴの木からありったけの生命の源を略奪し尽くした死神は、太い枝の上で悠々自適に寝転がって満足そうにお腹をさすっている。
これまでのボーナスタイムの経験から言って、食後の腹休めにファラが寝転がったら暫くは断固として動かない、口で言っても無駄なのは疑惑塗れの俺の音痴よりも明らかだった。
「こんなことなら、喋れないままの方がよっぽど楽だったろうな。」
降り注ぐ日差しは容赦なく、また俺の頭上ではピンク色の変な鳥が数匹ほど輪を描くように旋回を繰り返しており、俺に対する嫌がらせなのか何なのか、脱力感のある耳障りな声で”アホーアホー”としきりに鳴き喚いている。
この状況の全てに嫌気がさし、唐突に眩暈感を覚えた俺は、腹休めのファラが再起動するまでの間しばし身も心も休ませることにした。
食い荒らされた見すぼらしい木の根元に腰を下ろし、背負っていた荷物と身の重さを幹に預け、日に焼かれて熱のこもった三度笠を外してひと呼吸。
ホッと気が抜けてすぐ、足の裏からジリジリと沸きあがる沸騰した熱に耐えがたい疲労感を覚え、両足の草鞋も外した。
履きなれない草鞋のせいで、両足の親指の付け根は青痣でも作ったかのようにズキズキと痛みを訴えてくる。
それでもこの履物が、ブーツなどよりずっと歩きやすく長旅に向いていることは理解できた。
「ま、スニーカーが一番良いと思うけどね、無いけど。」
足の裏に溜まった血液を循環させるべく、土踏まずからゆっくりと揉み解そうとしたとき、不意にリンゴがひとつ、俺の目の前にポトリと落ちてきた。
「それしー君の分ね。」
どうやら頭上の死神さんなりに俺に気を使って放り投げたらしい。
「やせ我慢しないで、食べられる時にちゃんと食べておかなきゃ体もたないよ?」
「あ、うん。サンキュー……?」
ふと奇妙な違和感に襲われたのは、呆れ半分に礼を述べてリンゴを拾い上げた時だった。
「なんだ、この絶望感は……。」
穴のないドーナツを彷彿とさせる楕円形の赤いリンゴの模様が、俺の運命をあざ笑う悪魔の顔に見える。
ふくよかで豊かな果実――頭上の死神からの贈り物を懐疑的に見つめ、ふと俺の思考は奇妙な魔境へと旅立った。
「ファラ……更の木……穴のないドーナツみたいな、リンゴ……。」
――思い出せ。
まるでそう訴えかけるように、遠い記憶の彼方に忘れ去られていたであろう地獄の門を、この胸の内側にいる何者かが力任せに叩いている。
――否、思い出すでないわ。
「うっ……。なにか……バカげた真実が……。」
やがて天から降り注ぐ何者かの忠告を無視し、不意に俺は意識の片隅で、この世界で目覚めた日のことを思い出していた。
慣れない四肢を動かして洞窟を抜け出したあの夜、雄大なスチャラカポコタン星の大自然を目の当たりにして俺は感涙し、やがて空腹を覚え、運よく更の木の根元に落ちていたリンゴをひと齧りし、また泣いた。
それから腹を空かせたままケズデットの村を目指して歩く道中、飢えをしのぐ術は一切見当たらず、やっとの思いで村にたどり着いた俺は、想い半ばで遂に空腹に倒れたのだ。
一体どうして更の木の根元にリンゴが落ちていたというのか――考えれば考えるほど奇妙な出来事であった。
要するにあれは更の木などではなく、リンゴの木だったのだ。
つまり、何者かによってあのリンゴの木は収穫、或いは乱獲された後であり、俺があの時拾ったリンゴはその名残りだったということになるのだが――。
「ねぇ、お前ひょっとして……村の外に出かける時、村周辺の木の実も全部食って回ってたりするの?」
もしやと思った俺は、頭上におわす死神様に静かに語りかける。
「うん。村の周りで果実の生る木は一つ残らず収穫時をチェックしてるし、誰かが見つける前に独り占めしてるよ。」
「ふ~ん、なるほどねー(お前が犯人か)。」
――ヤバいなコイツ。
「実は俺さ……この世界で目覚めてすぐ、餓死しかけたんだよね。ケズデットの村にたどり着くまで、どこを探しても食い物が見つからなくてさ。」
「ふ~ん、それは災難だったね~。」
俺が何を伝えようとしているのかを解ってか解らないでか、腹を満たして夢見心地なファラはふわふわと短絡的な相槌を打った。
「ホント、誰のせいだったんだろうな。」
「でももう過ぎた事なんだし、過去の嫌な出来事ばかり思い出してくよくよしてたって何も良いことないよ? 幸運は自分の思考で呼び込んでいかないとね。とりあえずリンゴ食べて元気出しなよ、ファイトッ!」
ファラはむくりと起き上がると、入り組んだ枝の隙間から顔を覗かせて俺を励ました。
彼女の穢れなき笑顔と真っすぐな励ましの言葉から、俺の伝えたかったことは1ミリも伝わっていないことが解ったが、逆に彼女の心根の優しさみたいなものはしっかりと伝わってきて、例えようのない虚しさが込み上げてくる。
「うん、そうだね。」
「それに、村の入り口で倒れてたしー君を見つけたのはあたしなんだよ? あの時にしー君が餓死しかけてなかったら、最終的にこうして一緒に旅に出ることも無かったかもしれないし、逆に超ラッキーだったって感じじゃない?」
「そいつはどうも。」
「どういたしまして。でも……そういえばおじいちゃんも”ケズデットの村の辺りでは餓死したリンネの死体がしばしば見つかることがある”って言ってたけど、なんでなんだろ? あんなにたくさんリンゴの木があるのに、どうして誰も気づかないのかなあ? すっごい不思議だよね。」
――まさに死神の所業。
***
「ぅわ、でっかい木だなあ。」
日は随分と傾いて、もう一時間もすると夕方という頃。
ボーナスタイムの遅れを取り戻すべくキビキビと歩みを進めた俺たちは、やがてこの世のモノとは思えない怪物のように巨大で不気味な森の入り口にぶち当たり、その入り口の前に呆然と立ち尽くした。
「それになんか、凄く暗い……。」
空高く真っすぐに聳える幽霊みたいな細い樹木の群れは、陽の光に渇き、欲深く枝を伸ばすほど森の入り口に暗い影を深く濃く落としている。
幹は病的に細く青白い灰色に爛れており、痛々しく歪に枝を伸ばした先の細い葉の僅かな彩は、色彩が薄く、明度が低く。
影は風に揺れる度にゆっくりと黒くぼやけて見え、混沌とした森の奥深くからは、生暖かい湿った風が怨念の重苦しい遠吠えと骨の軋むような怪奇音をここまで運んでくる。
日の照り付ける俺たちの立ち位置から影を隔てた向こう側は、死後の虚無を彷彿とさせる混沌とした闇の世界。
終わりは愚か始まりすらも暗く閉ざされた森の入り口は、死後も永久に浮かばれずに苦しんでいる亡霊たちの住処を思わせた。
「あれ、ここがチーさんの言っていた樹海?」
「うん、ここが”アニーク樹海”。」
先ほどから不自然に生ぬるい嫌な風が絶えず闇の奥深くから漂ってくる。
木々の細い葉が唸り、恨めしく不吉な嗚咽を奏で、見えない手でそっと俺の頬を撫で、何者かが俺の首筋をべロリと舐めた気がした。
怨霊の嗚咽に鼓膜が震え、不自然に大きくなった耳鳴りに背筋が凍り付く。
死に腐っていく風の悲鳴に全身の毛は逆立ち、俺の心臓は不安定にペースを上げ、死の予兆を感じ取った本能が警鈴を鳴らし始める。
足元に伸びる影から逃げるように後ずさりをして、ふと俺はチーさんから譲り受けた地図をリュックから取り出して広げた。
ケズデットの村を中心として、西に大都市ケズバロンが描かれている。
ケズデットとケズバロンのちょうど中間くらいの位置に、行く手を遮る形で巨大な禍々しい円が描かれている。
「あたし、ここの雰囲気苦手なんだ。薄気味悪くて……。」
アニーク樹海――記憶が確かなら、チーさんが”絶対に近づくな”と言っていたいわく憑きの場所だ。
業苦を身に宿した者たちが死に場所を求めてさ迷い、果てに訪れる終焉の樹海、死の名所。
入り口は自発的に外界から閉ざされているように思え、光差す世界を疎み、救いを拒み、運命を呪っているかのようだ。
この得体のしれない虚無を前に、流石のファラも表情を強張らせて息を呑んだ。
ここを抜ければケズバロンまでの到着時間をかなり短縮できるのだが”樹海は必ず避けて行け”とチーさんから忠告されているし、その忠告を無視できるほど、この場所の空気は軽くない。
いずれにせよ、この境界線に長く留まることは精神に異常をきたしそうで恐ろしかった。
よくみると、森の入り口の近くに小さな赤い札の掛けられた古い柱がポツンとある。
もしかすると、この場所の危険を旅人に知らせる為のものかもしれない。
「ファラ、回ろうか。」
「うん。しー君、早く行こ。」
足元の影から逃げるように樹海の外周を歩き始めた俺たちの背後を、赤黒く奇妙な視線がべったりと張り付きはじめた。
終始無言となったファラもその邪悪で恨めし気な視線に気づいているらしく、時折、俺の手を強引に引いて歩くペースを不自然に上げた。
俺たちは運よく生き延びた、そう思った。
――出来る事なら、二度とここには近づきたくない。
悲劇の大エド大火災から半年、ようやく立ち直ることができたヨシネンの前に新たな危機が迫る。
たいへん!! 今度は華の都、キョートが燃えちゃった!!
トラウマを抱えたままのヨシネン、それでも逃げることは出来ない。
アナタの帰りを皆が待っている、急げばまだ間に合うわ!!
勇気を出して頑張って!! ヨシネン!!
次回!! ヒケコイ268話!!
「ヨシネン、道に迷って大大大ピンチ!!」
お楽しみに!!




