knuckle puck_3
行列のできるラーメン屋――その名も、イエ家。
客席は横一列、僅か七席の小さな屋台だ。
そのカウンターの奥には、店主と思しき汗臭いミノタウロスの男性がひとり。
どうやらこの屋台は彼一人で切り盛りしているらしい。
「ヘイラッシャイコニャニャチワッショ~イッ!!」
「ヘイ、コニャニャチワ~。」
「へ……コ……コニャ……。あ、うっす……。」
そんな店主の気の良い「いらっしゃいませ」も、何故だか今は少々極まりが悪く思え、俺はペコリと頭を下げるだけに留まった。
まぁそれはさて置き、満を持して、ガチャ子と並んで奥の方に腰掛けた俺は――
「メニューが……よ、読めねぇ……。」
――早速、異国の壁にブチ当たっていた。
だがそれも当然だ。
言葉が解らないという事は、メニュー表のこのミミズみたいな文字もサッパリ読めないという事になるのだから。
いやまじで参ったぞこりゃ。
「あそっかぁ、シブッち向こうから来たんだもんね。ま、しゃーなしだな、あたしが読んだげるよっ。」
「おう、悪いな……。」
「えっとまず、これがショウユ。んで、こっちがミソ――」
俺の持ってるメニュー表を覗き込んで、ガチャ子が得意気に読み上げる。
して、そんな書き方をすると、まるで仲睦まじいバカップルのようだが――しかし実際には、どこからどう見てもホームレス小学生に甲斐甲斐しく世話を焼かれる高校生の図である。
ので、別の意味でとても恥ずかしい。
「これが一番スタンダードで美味そうだな。」
「うん、実際それが店の一押しだしね。あたしはそれにするよ。」
「なら俺もそれでいいや。」
「オッケー。あ、シブッち、お好みは? 普通に『硬め、濃いめ、脂多め』で良いの?」
「は? いや、常識的に考えて『柔め、薄め、脂抜き』に決まってんだろ。」
「え……うっわでたー。ラーメン屋一番来ちゃいけないヤツ~。」
「なんだと!?」
「あーゴメンゴメン。んじゃ頼んじゃうよ~。」
そして結局俺は、イエ家の一押しであるという「ショーユ」を「柔め、薄め、脂抜き」で頼むことにした。
「エックスボックスハー? プレステフォーハー? ソレトモスウィ~ッチ?」
「ダンゼンセガサターン。」
「セガサターン? イセカイオジサーン?」
「アハーン。」
「ア~ハン、ハマーンカーン。」
――もっとも、俺は言葉が解らなので、店主への注文も全部ガチャ子に丸投げしたわけだが。
「けどなんでだ? イェルプエルトもイェルシゲンテも、言葉は本大陸語だったし、文字も普通だったぞ?」
「そりゃそうだよ、あそこらは貿易が盛んで本大陸出身の商人も多いし。だけどローカルは別、こっちにはこっちの言語があんの。」
「いやでも、お前だって本大陸語じゃん。」
「うん、あたしは小さい頃からししょーに育てられたからねー。いわば両刀。まぁ、勝ち組だね~。」
誇らしげに鼻を鳴らして腕を組み、連れの乞食が笑う。
どうでも良いけど、しかしガチャ子のこの言い方からして、ヒト知れず北の大陸に渡ったであろうファラのお母さんは、ガチャ子と出会ってから随分長い事一緒にいるらしいことは解った。
そういえば今更ながら、コイツの言う「ししょー」とは、そして「魔女の弟子」とは、一体どういう意味だったのだろうか?
なにしろ息つく間もなくここまで来たがために忘れていたが、しかしファラのお母さんに会う前に、ガチャ子ことガチャ子・ガチャピンゲールとの関係については聞いておいても良いだろう。
「んで? お前ってなんの弟子なんだ?」
「なにって……そりゃあ魔法に決まってんじゃん。」
「魔法……?」
「え、うん。だって『魔女』だし。」
「え、魔法って何? どゆこと?」
「いや、あたしに聞かれても知らねーよ。てかシブッち、逆にそんな事も知らなかった癖に、師匠に何の用で来たのさ?」
「え、だから俺は……。う~ん?」
はて……なにがなにやら――頭の中がこんがらがり、俺は首をかしげてしまった。
「何その反応。」
「う~ん……。」
――この話、どこかおかしい。
***
「え、じゃあなに? シブッち、ししょーのこと『記憶を消す魔女』だと勘違いしてここまで来たの?」
「お、おう……せやな。」
「ばっかじゃーん。」
――正直、俺は今、かなり絶望している。
「だって記憶を消す魔女ってとっくの昔に死んだんしょ? それがこんな所にいるわけないじゃん。」
「いや、だから……魔女がこっちにいるって噂があって……。」
「だからそれって『ししょー』のことじゃん。いやー、ま~じでばっかで~。」
俺が大陸を渡ってまで追い求めた魔女は、どうやら全くのヒト違いだったらしいのだ。
魔女は魔女でも、魔法のスペシャリストの方――つまり、ガチャ子の師匠は、ファラのお母さんでは無いということになる。
確かにリンネではあるそうだが、それこそ「声を聞いた者の記憶を消す」なんて業苦もなく、アナスタシアさんは普通のドルイドの女性だという。
「ウチのししょーはっ、もーっとしょ~もないっ。」
「お前が言うな、このチンチクリン。」
「大陸渡ってこんなとこでラーメン食おうとしてるシブッちが言うなよ、ばーかっ。」
――クソ、俺が何も言い返せないのを良い事に勝ち誇った顔しやがって。
「ヘイオマチーッ!! エッチスケッチオノノコマチーッ!!」
「お~、来た来たー。」
そうしてドヤ顔のガチャ子から視線を逸らすのとほぼ同時に、ホクホクと湯気の立ち昇るラーメン皿が俺達の前に並べられた。
獣くさい黄金色のこってりスープ、見るからに肉厚でジューシーなチャーシュー、半熟の煮タマゴにノリ、太麺……。
その全てがあまりに懐かしく、家族のように愛おしい筈なのに――けれど正直もう、いまは何も食べる気がしなかった。
「はぁ……。まったく……。」
――俺は、何の為に海を渡って、こんな不毛地帯に来たんだろうか……。
そんなことを考えると急に無気力になり、思わずとも溜息が漏れるのであった。
「なんだかなぁ……。」
「あー……まぁ、ドンマイドンマイ。とりあえず食おーよ。マジでめちゃウマいからさ。」
「あぁ……うん……。そうだな……。」
――ガチャ子にまで気を使われ、俺は久しぶりに不甲斐ない気持ちになると同時に、正直かなりヘコんでいた。
しかしそれにしたって、今回ばかりは無理も無いことだと思う。
なにしろタイさんから念願の魔女の情報を得るまで、まず一年は待ったのだ。
そしてニールさんとの一件(本編ではまだ語られていないが)を経て、ようやくこの北の大陸へ渡る事が出来たというのに。
「そんじゃ、いただきまーす。」
「いただきます……。」
物語は、再び白紙に――振出しに戻った事になるのだ。
「んー、うんまぁ~~~……。」
そんな俺の気など知りもせず、隣の乞食はさっそく、天下無双且つ唯我独尊なる黄金の一杯に舌鼓を打ち、どっかのファラみたいに顔をほころばせている。
俺はそんなガチャ子に呆れつつも、今となっては無機物のように感じるラーメンを、おもむろに箸で口へと運んだ。
ズルズル――……!?!?!??
「う……う……これは……。」
「ん? どったのシブッち。」
「うんっっっっっっっっっっっっっっっまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ちょ、うっさ!?」
***
「いやぁ~、まじで美味しかった~。」
「よかったね~。」
「うん、また来ようぜ!!」
というわけで、10万文字を優に超える俺の美食レポは尺の都合で割愛しました。
早速お会計っと――
「あ、シブッち、20シャン持ってる?」
「……。シャン……?」
「ん? なに。」
「いや、シャンってなに?」
「え、シャンはシャンだよ、お金だよ、お金。」
「なにそれ。」
「え。」
「え。」
「え?」
「えー……。」
――もうやだ、外国。
「ったくも~。イェルプエルトのギルドに換金所あったっしょ、寄らなかったの?」
「いや、なんかマジ、ごめん……。」
「まぁ別にししょーのお金だから良いけどさぁ。」
「そもそもお前の金じゃねーのかよ……。」




