Rise_7
書ける時は書けるのにね。
まぁ頭に熱さまシート巻いてるけど。
かれこれ一時間近くになるだろうか――随分長いこと、彼とは家の前で話をしていた。
まだ何か未練があるのか、こうして世間話をしていると時折悲し気な表情になる彼に、私は気付かないふりをしてやり過ごしていた。
それは勿論、私自身がこれ以上彼に情を移さないの為でもあったが。
けれどそれ以上に、家族への想いに別れを告げて、独りここを離れていく彼の為でもあった。
そしてそれももう、いよいよ終わるという時。
「――それじゃぁ、そろそろ行きます。ウィラさんにも、よろしく伝えてください。」
その時、やはり彼は無理に笑っていたと思う。
必死に取り繕ったであろうその笑顔には、曇りがあった。
「……あぁ、気をつけて。」
――本当にそれしか、言えないのか……。
「はい。」
こんな最後まで、必死に平生を装って。
見え透いたやせ我慢の末に、ただそっとはにかんでいるだけの彼に。
そうする事しか出来ない今の彼に――私は他人であるが故に、それしか言えないのだろうか。
「……。」
彼は今もまだ泣いている――私の中に父を想い、取り戻したいと思っている。
そしてそれを私に押し付けることなく、独りでどうにか想いを押し堪えている。
彼の想いは――この子の物語は、未だ救われずにいるというのに。
「……。」
このまま黙っているつもりか――本当に、何も出来ないのか。
例えそれが必要な事だったとはいえ、ウィラの想いを救ってくれた彼に。
煙たがられながらも、怯えながらも、卑屈な私の奇跡を乗り越えてくれた彼に。
こんな辺境まで逃げて来た私達夫婦の生き方に、一筋の希望をくれた彼に。
そんな誠実で真っ直ぐだった彼に――私というヤツは、それしかしてやらないつもりなのか。
「……。」
このまま見て見ぬ振りをするつもりなのか。
何も出来ないふりをするつもりなのか。
私にしか出来ない事が、まだあるというのに……。
「……。」
まるで私の決断の為に彼が時間を止めたような――そんなどこか名残惜しい間の後。
「……それじゃぁ――」
諦めた様に、ようやく背を向けて歩き始めた彼を――
「えっと、シーヴ君。」
遂に私は、自分の意思で、確かに彼を呼び止めた。
「……。」
「――あぁ……いや……。」
――また、おいで。
彼にそう言おうと思っていた。
何度でも、また来たい時にウチに来れば良い――そうして彼の気が紛れるのなら、ウィラも私も、それにフィルやラニーだって喜ぶだろう。
私自身が、純粋に彼の為にそう思ったことだ。
「……。」
けれどそう言いかけて、私は寸出で思い留まった。
いや、言葉に詰まってしまったのだ。
振り返った彼の目を見て。
彼がその言葉を待っている気がして。
彼が私に「繋がり」を期待している気がして。
「すまん……。なんでも、ない……。」
彼はまだ、私の言葉に何かを期待している――そう思った時、躊躇いが生じた。
彼はまだ、私の中に父親を見ている――それが彼の潤んだ瞳から、どうしようもなく解ってしまった。
そしてここで彼を呼び止める事が正しくないと、そう解ってしまった。
結局私には、何も出来ないのだろうか。
他人の私には、彼を救ってやることは出来ないのだろうか……。
「……。」
あぁそうだ……いまさら余計なことをするべきではないのだ。
なぜならもう、彼と私は赤の他人なのだから。
そもそも他人の私がどうこうする話じゃないのだ。
そんなことはもう解りきってるはずじゃないか。
「……。」
急に極まりが悪くなり目を逸らして黙り込んだ私を見て諦めたのか、少しの沈黙の後、彼は再び背を向けて静かに歩き始めた。
そうして彼が視線を私から逸らす時、彼の口角が僅かに下がったように見えたのは、恐らく気のせいではなかったと思う。
いっそ気付かなければよかったが、私もそれほど子供ではない。
けれど気付かない振りをすれば良いものを、それほど私は大人でもなかったのだろう。
まったく、これだから子供ってやつは……。
「――シーヴ。」
吹く風は暑く。
揺らぐ陽炎は揺らぎ無く。
セミのけたたましい絶叫が、急に大きくなった気がした。
立ち止まった彼の背中は照り付ける日に焦がれ。
染みったれた貧相な影は黒く揺れ、なんだか今にも倒れそうだ。
――それでも確かに、彼はそこに立っている。
確かに、立っているのだ。
「……。」
別に、なにって訳じゃない。
私と彼は、赤の他人だ――何をどう間違えたってこれだけは断言できる。
例えどう言い換えても、キミが私達家族にした事は余計なお世話で、ありがた迷惑で、明らかな偽善だ。
けれど、だからこそ、私達は救われた。
そして昨晩キミが私に流させた涙は、紛れもない本物だったと解る。
私の流した涙は、キミの想いが呼び覚ました奇跡の欠片だったのだと、それは解るから。
――別に私は、アンタを知らないけれど。
どうやらアンタの子供は、とても立派に育ったようだよ。
――ひとりの親として。
それはもう嫉妬するほど、アンタ達親子の絆の深さが解る。
――ひとりの男として。
それこそアンタに比べたら、私はてんでダメなヤツだけど。
アンタに比べたら、私なんてちっぽけで、臆病なろくでなしだけど。
それでも最後くらい、私もアンタら親子に、何かしてやりたいって。
せめて立派なこの子に、何かしてやりたいって、そう思えたから。
――ひとりの人として。
シーヴ君、キミがここへ来たから、私はそう思えたんだ。
キミの意思が、想いが、絆が、魂が、私達家族の在り方さえも変えてくれたから。
だからね――
「――行ってらっしゃい。」
――私は、キミの背中を押すよ。




