Mother Tongue_2
「アナタは……俺の……。」
薄々、感づいてはいたんだ――
「ち、父親……だったから……。」
この少年と私が、少なからず何か関係があることに。
「……。それは――」
けれどそれは――
「もう……昔の話だろう……。」
***
顔の痣が消えた事に気付いたのは、少年を部屋で寝かせた後、妻と話をしていた時だった。
妻にそのことを指摘され、風呂場に鏡を覗きに行って、私は驚いた。
解放された――やっと、この呪いから解放されたのだ。
そう思った。
そしてすぐに「では何故、あの力が消えたのか」という当然の疑問が浮かんで来た。
奇跡というやつは、大事な誰かを想う事で授けられるもの――そう聞いたことがある。
神の祝福だとか、その想いの強さゆえに、この世界では奇跡と呼ばれるそうだが。
下らない――ずっとそう思っていた。
けれどその言い伝えが本当だとするのならば――
「私の奇跡は……あの少年の為に……そういうことなのだろうか……。」
当然、これまで私が殺してきたヒトビトとのやり取りの中で、この痣が消えた事は無い。
彼が初めてだ。
彼の為に、私の奇跡は存在していた――最早そう言っても過言ではない。
それがとても、煩わしかった。
やっと、やっとだ……。
やっとこの呪いから解放されたというのに……。
どうしてまた違う形で、私を悩ませようとする……。
どうしてこんなことに、私が悩まなければならない……。
もうこんな下らない柵に、これ以上私は苦しみたくないのに……。
妻が寝た後も、私はその事で頭がいっぱいだった。
眠るなんて余裕もなく、私は彼が出てくるまで、リビングでタバコを吸いながら独り頭を抱えていた。
あの少年は、私にとって一体なんなのか……。
そして彼は、既にこの事に気付いただろうか……。
だとしたら、彼は――私に何を望むのだろうか……。
「もう……ほっといてくれ……。」
***
だから、彼からその真実を切り出される前に、出来るだけ遠ざけようと思ったのだが――
何か私に言いたい事でもあるのか――どうにも煮え切れない彼の様子に苛立ち、思わず私がそう問うたのがいけなかった。
彼は私を巻き込んで、遂に一線を越えた。
「もう……昔の話だろう……。」
逃げられなかった――その真実を、いよいよ彼から言葉で突き付けられて、私は思わず目を逸らしてしまった。
私が本当に彼の父親なら――きっと彼は私の顔を見て、そう直感したのだろう。
私の顔を見て、この見慣れた父親の顔から痣が消えたのを見て、彼は直感したはずだ。
俺が父親で、その父は「子」の事を大事に思ってくれていたのだと……。
「例えそうだったとしても、私はキミを知らないよ……。キミの事なんて、全然知らないんだ……。」
タバコの火を消して席を立ち、私は自室に戻るまでの時間稼ぎの為に喋り続けた。
扉まで、数メールもない……。
すぐだ、すぐに逃げられる……。
「……。」
「この世界に来た時点で、私たちはもう……お互いに他人だ……。赤の他人なんだよ……。」
あと、少し……。
「……。」
「頼むから……これ以上、私に縋らないでくれ……。こんな私に……依存しないでくれ……。」
私の言葉に、座ったままの彼から言葉が返ってくる事は無い。
そうしてようやく扉のノブに手をかけ、どうにか私が自室へ逃げ込もうとした時だった。
「解ってますよ……そんなの……。」
「……。」
素っ気なく、吐き捨てるように――彼が椅子を引いて立ち上がるのを背後に感じた。
素直に出ていくのか……いや、違う――彼はまだ、諦めていない……。
このうえ私に、何かを望むつもりで――
「だから、アナタにはもう、何も、望みません……。」
私は彼のその言葉に耳を疑い――
「なら――」
思わず振り返りそうになった。
そして寸でのところで思いとどまり、私の意識だけが背後に集中していた。
彼はもう、私のすぐ後ろに立っている。
それをひしひしと感じる。
そして「なら、さっさと帰ってくれないか」そう言おうとした時だった。
「なので耳を――塞いでてくれないですか?」
「耳……。」
「はい。……背を向けたままで、結構です。
これから話すこと、今のエンベリィさんには、どうしても聞かれたくないので。」
耳を塞ぐ。背を向けたままで――今の私には、聞かれたくない事……。
彼は背後で、確かにそう言ったが……。
それに何の意味が――
「このまま耳を塞いで、ただ静かにしててくれ――と?」
「はい……。すみませんけど、それだけで十分です。俺の奇跡、どうせもう、何も出来ないので……。」
――私には害はない。
そういう事だろうか……。
どこか諦めた様にも聞こえるワガママな物言いで、彼はそう呟いた。
「あぁ……。それくらいなら別に……構わないが……。」
恐らくは、その大事な父親とやらに別れでも告げるのだろう。
それを他人に聞かれたくないというのも解らなくはないが。
けれどそれで彼が満足するのなら、それを終えてさっさと帰ってくれるのなら、私にとっては願ってもない事だ。
それを終えて、さっさと帰ってくれ――私は半ば呆れつつ、両の耳を塞いだ。
「――これでいいのかい?」
――自分の声だけが頭の中に反響し、その違和感にビリビリと脳が震える。
そして今となっては、彼の反応を確認のしようがなかった。
けれど私の背中に、暖かく小さな何かがそっと当たるのを感じ、それが答えなのだと解った。
目を閉じる――暗闇に、耳鳴りと、心音。
まるで深い海の底まで潜ったような感覚。
そしてそこにはそれ以外、何もなかった。
正に今書いてる笑
書ける時に書かないと止まるから。




