Linkin Park_1
リンキンパーク――この小さな田舎町で唯一の酒場は、町の入り口近くにあった。
その素朴な店内は、まだ半端な時間だからか、酷く閑散としている。
なにしろこの広い空間にいるのが、その一角で円卓に突っ伏したままの俺と、カウンターでグラスを磨いている物静かなおじいさん以外、誰もいないのだから。
「……。」
口論の末にあの家を去ってから、随分と時間が無為に流れた気がする。
時刻は16時――もう2時間もすればすっかり日暮れだ。
それまでに誰も俺を訪ねて来なければ――その時は、素直にここを去ろう。
そんな事を考えながら、俺は罪悪感と共に、この重たい頭を冷たい円卓にズッシリと力無く預けていた。
***
今朝――けれどそれももう、随分と前の事のように感じるが。
これからどうしたものか――あの時、ウィラさんに呼び止められることを期待していた俺は、今となってはヒト知れず途方に暮れていた。
ロケットを持ち出すという突然の行動に、ウィラさんは明らかに動揺し、そして焦っていた。
けれど決定打とは成り得なかったらしく、俺の最後の砦は呆気なく崩落、結局は自らの首を絞める結果となってしまったのだろう。
本当に、俺一人じゃ上手くいかない事ばかりだ。
俺一人じゃ、誰も救うことが出来ない。
「……。」
今までもそうだった。
ライラの時も、チトさんの時も、フレンさんの時も――
コロ君や、フレーニアの一件――
それに、メディスさんの時だって、あれは出来レースみたいなものだったじゃないか。
俺一人じゃ、誰も救うことが出来ない――そうでなかった試しは、これまで一度もないんだ。
けれど――
「本当に、これで終わりなのか……。」
あまりに現実味のない状況に、この呆気ない終わりに、俺は未だにぼんやりとしか、その結末を認識する事が出来なかった。
もう帰るしかない――そう解っている筈なのに、宛てもなくフラフラと、想いのやり場を失くしたこのロケットと共に。
そうして太陽の熱を照り返す地面を、ただ淡々となぞる様に歩き続けていた時だった。
「あ!! おーい!」
小さな公園を横切る時、聞き覚えのある賑やかな声が近づいて来るのに気が付いた。
「クソタロウ兄ちゃーーーん!!」
「クソタロウ兄ちゃん、どこいくのー?」
フィルとラニーだった。
そうか――こう小さい町だと、子供たちの遊び場なんて限られてしまうのだろう。
見れば他にも数名の子供が、園内で喧しくサッカーをしていた。
「ねぇ、暇なら兄ちゃんも一緒にやろうよ!」
「クソタロウ兄ちゃんもやろう!」
その誘いに気乗りはしなかったが、少しだけ、付き合った。
***
そして、ひとしきり遊びに付き合った後、俺は子供たちにこのまま帰ることを伝えた。
好きなだけ泊っていけばいいのに――という子供のワガママにテキトーな言い訳をして、俺はさっさとダバを迎えに行こうと思った。
けれどその時、ふと思い立ってフィルにあのロケットを託したのだ。
どうせ俺が持っていても仕方がないのだから、これはせめて、ウィラさんの元へ戻ったら良い。
そう考えた俺の選択は、あまりに身勝手で本当に最低だとも思った。
けれど、それを捨てるも、勇気を持って中を開けるも、結局のところそれはウィラさん次第だ。
端から俺が強制するような話でもなかった。
そして俺はフィルにロケットを渡しながら、最後にこの酒場に寄る事を伝えていた。
万が一、あのロケットに込められた想いがウィラさんに届くことがあれば、それは俺にとって、最後のチャンスになるかもしれない。
そして、そうならなかった場合――俺は最低な自分への戒めとして、その教訓として、何らかの罰を受けるべきだと思ったから……。
そう思ったから、まだ、ここにいる。
そして――
「まさかとは思ったが、まだこんな所に居たとは……。」
「……。」
ため息交じりの、聞き覚えのある低い声――顔を上げると、その正体はやはりエンベリィさんだった。
結果はどうであれ、どうやらフィルはちゃんと「俺がここに居る」という事をエンベリィさんに伝えてくれたらしい。
けれど眉間に皺の寄ったエンベリィさんの目は、酷く冷たく思えた。
「……呆れたよ。キミのその執念にはね。」
「……。」
エンベリィさんは、吐き捨てるように――
「えっと……。俺は……。その――」
それは、どっちだ……。
俺のしたことは、どっちだ……。
お願いだ……。
お願いだから、どうか――
「俺は……取り返しのつかない事を……しましたか……。」
「……。」
瞬間、この顔目掛けて、全力の拳が飛んでくる――それすら覚悟していた。
ボコボコに殴られても何もおかしくは無いと思っていた。
俺の選択が、あの家族を壊してしまったんじゃないか――ずっとそう思っていたから……。
「キミのしたことが――」
俺のしたことでウィラさんが心を閉ざせば、エンベリィさんは黙っていないだろう。
そう思ったから――だからこそ、逃げずに待っていたんだ。
最低な俺自身が、向き合うことを望んでいた。
その結末を、解る前から受け入れていた。
でも、本当は怖かった――
「果たして本当の意味で、ウィラの救いになったのかは、私には解らない。」
「……。」
そしてどれだけ待とうとも、拳が飛んでくる事は決して無かった。
罵声を浴びせられるでもなく、ツバを吐かれるでもなく……。
「なぜならね――ずっと届かないままの想いほど辛いものは無いのだと、私がそう思うから。
そしてこれからの生涯、ウィラの想いが亡くなった大切なヒト達に届くことは、決して無いのだからね。」
俺に向けられていたのは――
「けれどウィラにとって、自分の想いと向き合う事が出来たのは、悪いことではなかったのだろう。
図らずも、キミの想いにウィラは救われた。
キミの無謀でワガママな勇気のお陰で、閉ざした20年を取り戻す事が出来た。
それは絶対に、今の私には成し得ないことだった……。
だから私も、それについては心から感謝しているんだよ。」
優しくて大きな右手と――
「本当に――ありがとう。」
俺の中で、込み上げて、溢れるほどの――細やかな感謝だった。
「あ……はは……。そう、ですか……。」
「あぁ、キミは立派だよ。きっと私の思ってる以上にね――」
恐る恐る握った右手から、温度が伝わってくる。
それは暖かく、もう放したくない程に、あまりに心強かった。
「そう……。そっか……。」
当然なんだ……。
だってここに来てからの俺は、ずっと――
「よかったです……。こちらこそ、ありがとうございます……。」
ずっと、独りぼっちだったから――
「本当に、良かった……。本当に――」
こんなに心細いのは、今まで無かったから――
「俺……あんな勝手ことして、もし失敗したらどうしようって……。」
こんなに怖かった事は、初めてだったから――
「ウィラさんの心を壊してしまったら、どうしようって……。」
それでも、やり遂げなければ、ここまで来た意味がないから……。
例え独りでも、超えなくちゃいけなかったから――
「ここに誰も来なかったらどうしようって……。」
そして、俺は初めて――
「また余計な事をしたんじゃないかって……。
また失敗したんじゃないかって……。
またヒトに迷惑かけたんじゃないかって……。
正直ずっと、不安だったんです……。」
俺の意思と、この力で――
「だから本当に、良かった……。」
誰かの支えに、なれたのだろう。
「俺の奇跡、無駄なんかじゃなかったんだ……。」
「……。」
エンベリィさんの手を強く握りしめたまま、真っ直ぐと頬を走る熱線。
けれど今は、それがとても嬉しかった。
やっと超えられた……。
俺は俺自身を、初めて自力で超えられたんだ――素直にそう思える事が、心の底から嬉しかった。
「だから……約束通り――というのも少し違うが、協力はするよ。
ここまで意地を通したキミの想いに、そして最後まで諦めなかったその信念に――私も勇気で応えるとしよう。」
エンベリィさんは、他人の俺を認めてくれた。
俺に力を貸してくれる――これでようやく、俺は俺自身の想いに決着をつける事が出来るのだろう。
そしてその前に、俺が俺自身を認めてあげる事が出来たんだ。
だから大丈夫――俺はきっと、前に進める。
今の俺なら、この物語を「絶対のロマン」にする事が出来る――心からそう思えた。
「そのかわり、キミにもひとつだけ約束してほしい――」
けれど――例え嬉しさに舞い上がっていたとはいえ、安易にそう思ってしまった事は、今にして思えばあまりに愚かだったかもしれない。
「どうか私に――後悔なんてさせないでくれ。」
なにカッコつけてんだい?




