白い菊の花
2024/10/06_改稿済み。
――龍星期3030年、1月30日。
いよいよ明日、この村を発つことになる。
昨日、チーさんから餞別としてお古の旅装束を譲ってもらったのだが、長年タンスの奥に仕舞われていたためか、或いは凄腕NO.1ハンター現役時代に酷使されたためか、ドブに浮かぶ藻とヘドロみたいな淀んだ抹茶色と水っぽい汚物のような茶色のツーベースは酷くくたびれており、いずれにせよ俺が着ると猛毒のバイ菌か不潔な浮浪者のようになるのでは思われ、これを着て外を出歩くのは恐れ多く感じた。
なので、今朝は俺とファラさんの旅装束を購入する目的で、ふたりで住宅街の横道の奥にひっそりと佇むあの怪しい服屋さんを訪れている。
また、旅立つ前にファラさんに掛かる初期費用は全てチーさんが負担してくれるというので、先々の事(主に食費のこと)を考えてお言葉に甘えることにした。
日差しの届かないボロ屋の戸を押し開けると、カランカラン、と耳障りの良い素朴な鐘の音が鳴り、足元に店内の明かりがのんびりと伸びてくる。
「らっしゃっせー。」
さっそくカウンターの方からはラーメン屋とコンビニの店員を足して2で割ったみたいな絶妙にだらしのない挨拶がユラユラと流れてきた。
そのマイペースな声の調子に、つい十日ほど前ここを始めて訪れた日の記憶が、何故だか無性に懐かしく思えて、俺の気はすっかり緩んでしまった。
「ウィノックさん、こんちは~。」
「ようお二人さん、調子はどうだい。」
ウィノックさんがこちらに気付き、軽快に右手を振ってカウンターから出てくると、ファラさんは両手を広げて陽気に駆け寄っていく。
どうやらウィノックさんとファラさんは知り合いだったらしい。
「へいへいへいへいへ~い。うぇい、うぇい、うぇ~いっ! わんだふぉ~う……ジュワッチッ! ナイッス~。」
「え?」
ふたりは慎ましく握手を交わしたかと思うと、謎のボディタッチを繰り返し、さらに低く屈んだかと思うと勢いよくジャンピングハイタッチを交わし、仕舞にはギュッとハグをしてお互いの背中を笑顔で叩き合っている。
勝手に温まったふたりの空気に割って入ることに妙な抵抗を感じたが、今さらそんなことを気にしている場合ではないのだ。
「えっと……今日はファラさんの――。」
「解ってる解ってる。ちょっと待ってな、ばっちり準備できてる。」
「?」
俺の言葉を遮って鼻歌交じりにカウンターの奥へ消えたウィノックさんを奇妙に思い、俺が首をかしげると、ファラさんはニコッと笑った。
「おまっとさん。ほい、ウチの従業員が丹精込めて仕立てた特注品だ。」
間もなくカウンターに戻ってきたウィノックさんの両手には、やけに質のよさそうな白い服が丁寧に折りたたまれている。
「特注品……?」
ファラさんはパアッと輝かせた瞳と笑顔の前に両手を合わせ、軽快なステップと共にウキウキとウィノックさんからその服を受け取ると、俺の方に振り返って、今度はホクホクと満足そうに微笑んだ。
「まさかそれ、ファラさんの旅装束? でも、いつの間に……。」
「試着室はあっちね。」
ウィノックさんが指さした先には試着室があり、さっそくファラさんが疾風のごとく駆け込んでいく。
ウィノックさんの話によると、ちょうど俺がウサぴょい饅頭で生死の境をさ迷っていた1月10日にチーさんから特注の依頼が舞い込んできたという。
なんだか俺のあずかり知らぬところで色々と旅支度が進められていたという事実が、ここ数日どころか、俺が悪夢と幻覚にうなされている間か或いはもっと前からの謀略だったのだろうと悟り、俺の心にはしんしんと灰色の邪念が降り募り、気が付くと俺はウィノックさんの前で堂々と重たいため息を吐き出していた。
間もなく試着室を出てきたファラさんは、奇妙な冒険に巻き込まれていく一族のようなポーズをとっては、俺とウィノックさんの惜しみない賛辞を浴びながら、バァーンとかゴゴゴゴとかドドドドとかの暑苦しい効果音を体内オーラから店中に放射している。
ファラさんの旅装束は、素人目に見ても解るほど上質だった。
丈の短い薄手に白のフード付きジャケットは、襟に贅沢な金の装飾が施され、また背面には暑苦しいピンク色のドラゴンのへんてこな模様がでかでかと恥ずかしげもなくデザインされており、さらに裏地がピンクと意外にも派手な印象。
可愛らしい白のカチューシャには、ど真ん中に自己主張の激しいピンク色のドラゴンのへんてこなワンポイント。
風通しのよさそうな柔らかい白の長袖には、襟元に自己主張の激しいピンク色のドラゴンのへんてこなワンポイント。
甲の部分に金具の当てられた品の良い革の指だしグローブにも、自己主張の激しいドラゴンのへんてこな刻印。
金色の金具が眩しく輝く革のベルトには小物入れが幾つかぶら下がっており、よく見ればやはり自己主張の激しいドラゴンのへんてこな金細工が見受けられる。
自己主張の激しいピンク色のドラゴンのへんてこなワンポイントが割と控えめに施された白のショートパンツに、機動性の高い黒のレギンス。
そして、白のショートブーツにも、もれなく自己主張の激しいピンク色のドラゴンのへんてこなワンポイントがちらリズム。
さすがは特注品……これまでの”村娘”ぜんとしていたファラさんの印象から、色んな意味で大きく変容を遂げた。
白とピンクを基調としたファラさんらしい快活な旅装束でありながら、しかし俺の知っている無邪気な村娘の面影が、そこには一切ない。
唯一気になるのは、何の意図があるのかさえ解らない自己主張の激しいドラゴンのへんてこな模様だけ(あれはなんなんだ)。
しかし特注とはいえ、白色の旅装束とは……。
「なんかすぐ汚れそ――あいたっ!」
恐らくは彼女自身も思うところがあったのだろう、降り注がれる賛辞の隙間に正直な感想を述べたところで、すかさず鋭いチョップが俺の脳天を直撃した。
「あ、そうだウィノックさん。もし俺に合うサイズの旅装束があれば、一着買いたいんです。チーさんからお古を貰ったんですけど、俺には年寄り趣味があんまり似合わなくて。」
「旅装束……? このご時世じゃ、基本どこの店に行っても今回の”ファラっち”の一張羅みたく特注になると思うぜ。」
「あー、そうなんですか……。」
「それに今回は他ならぬウンじいの頼みだったからどうにか間に合わせたが、納期3週間なんてまず不可能だぞ。少なくともひと月、場合によってはふた月掛かることもある。」
どうやらこのご時世、旅装束なんて珍品はどこの店に行っても特注になるらしく、また素材の調達がネックとなり、本来ならどんなに早くても仕立てにひと月は要するそうで、もちろん俺の注文に見合う今風の旅装束など用意してある筈もなかった。
「まあ、一応ウチにも在庫があるにはあるが。」
運よくこの店に保管してあった在庫も、20年物の売れ残りが一着だけときた。
「で、これですか……。渋いなあ……。」
「掘り出し物の超レアアイテムだぞ、ドラゴンの模様も無いし、古風だが、着用者をとにかく目立たせる。」
「そんな特殊効果みたいに言われてもなあ。それに俺、あんま悪目立ちするのは好きじゃないんですけど。」
「まあまあ、せっかくだしちょっと着てみなって。」
「はあ……じゃあ、せっかくですし。」
今一つ気乗りしないまま、俺は試着室を借りてさっそく20年物の旅装束に着替えた。
掘り出し物の超レアアイテムの正体は、江戸っ子スタイルの旅装束。
しかしよほどのマニアがこの店に訪れでもしない限り、コイツが何十年だろうと店の隅っこで売れ残るであろうことは、想像に難くない。
白い菊の花と思しきパターンを全面に模した淡い抹茶色の着物は、キメの細かい薄手の生地で仕立てられており、肌触りが良く、とにかく軽く、そして涼しい。
紺地に白の波模様が入った粋なマントは、撥水性の高い紙素材を生地の間に挟んであるらしく、着物の上からこれを羽織ることで日除けや合羽の役割を果たすので、雨風を凌ぐことが出来る。
頭には時代劇でよく見たどら焼きのような丸い三度笠、これも合羽同様、日除けと雨除けになる。
伸縮性の極めて高い素材を利用した黒の股引きは機動性抜群で、さらに俺の頼りなく細い足のラインを格好よく際立たせてくれそうである。
黒色の帯には小銭や小物を入れる革製のポーチが掛けてある。
そして足元には足袋と草鞋。
なお、草鞋というのは別名であり、こちらでは基本”草を編んだ履きもの”と呼ばれているらしく、畑仕事をするヒトたちの間では割とポピュラーな履物らしい。
草鞋は、その単純な造りから一見頼りなく思えるがしかし、見た目に反して機能的だという。
まず足と接地面の両方に良く馴染むため、濡れた路面に対しても滑りにくい。
最初のうちは鼻緒の部分が親指の付け根に食い込んで痛くなるそうだが、すぐに慣れるという。
通気性、機動性、フィッティング、長旅においては下手にブーツを履くより圧倒的に軽く、有利。
安物のブーツが一足3000レラなのに対し、草鞋は一足300レラ(聞きなれないかもしれないが”レラ”という間抜けな音感がこちらの通貨の単位で、およそ1レラ1円だろうと思われる)。
コンパクトに畳んで荷物にストックしておくことも出来るし、素材が”フーブーリーフ”だから安いし、なによりどこでも買えるから、すぐに替えの利く点がとにかく素晴らしい。
特に”荷物にならない”という点は、旅人にとって最重要項目のひとつと言えよう。
というのが、ウィノックさんの見解だった。
流石に刀はないが、これだけ粋な装備が揃えば、気分はもう江戸をさすらう浪人に他ならない。
「いよっ。いかがでござるかなっ?」
江戸っ子フル装備の俺がファラさんに倣ってズバァァンと気張ったポーズで試着室から繰り出すと、ファラさんはパチパチと手を叩いて”かっこい~い”と健気に祝福してくれたが、対してウィノックさんは噴き出して”ぜんぜん似合ってねえじゃん”と腹を抱えて笑い始めた。
とはいえ、なんだかんだこの渋い恰好が気に入ったこともあり、またこの場にいる大衆の半分からは賛同を得られたので、まあ良しとする。
「それじゃあ、お会計お願いします。このあいだ頂いた割引券て使えますか?」
「もちろん、むしろ今日という日の為に渡しておいたくらいだ。あー、それとこいつは俺からの餞別ね。」
お会計の際、おもむろにウィノックさんから長方形の木箱を手渡された。
何故かキラキラと瞳を輝かせているお隣さんに急かされてパカッと木箱を開けてみると、中には少し長めの包丁くらいの刃物が一本、ユニコーンの刻印が刻まれた質の良い鞘に納められた状態で入っていた。
鞘から抜いた刀身にファラさんの表情が綺麗に写ったが、げんなりと眉をひそめて口を噤んだ様子から、おおかた彼女が期待していた餞別とは食べ物だったんだろうなと裕に想像できる。
「産業の街ケズオリンピア特製、上等なオリンピア鋼の短刀。つっても、この辺にはヒトを襲うような害獣なんてほとんどいないし、料理や採集くらいにしか使う機会はないだろうけど。とはいえ、何が起こるか解らないのが旅ってもんだ、護身用に一本持ってきな。」
「良いんですか? こんな高そうなもの……。」
この星において、鉄製品は決して安くない。
ましてこれだけ上等な短刀で、尚且つ伝統ある街のブランド品ともあれば、最低でも7~10万レラはくだらないだろうと解る。
「そのぶん気張れよ、ビギナー。」
手中の重さに戸惑う俺の顔の前に、ウィノックさんは迷うことなく鋭い拳を突き出して、笑った。
「うす。」
力強く誠実に、俺はウィノックさんとフィスト・バンプを打ち交わし、お礼を言って服屋を後にした。
最近の作品は、やっぱりあんまり参考にならないなと感じています。




