Deathbeds_4
「先ほど、エンベリィさんからは許可を頂きました。」
「そう……。それで?」
「それでエンベリィさんは、後はウィラさんから許可を貰って――」
「私は嫌。そんな自殺の斡旋なんて、あのヒトにさせる筈ないじゃないの。」
先ほど扉の前で呼び留めたまま、俺はウィラさんと話をしていたのだが――いつかのフレンさんのように、俺の言葉を遮ったウィラさんの言葉は鋭く、そして棘があった。
けれど――
「そう言うとは思ってました。」
「あらそう……私はもう寝るわ。……シーヴ君も早く寝なさいね。」
ウィラさんは俺から目を逸らし、極まりが悪そうにそう言うと、俺に背を向けて扉のノブに手を掛けた。
けれど当然、俺はまだ諦めていない。
それに、俺にしか出来ない事に――俺はあることに、気が付いたから。
「その首に下げたロケットは、どういったものなんですか?」
俺の問いに、ウィラさんは僅かに肩を竦ませた。
そう――ウィラさんが首から下げたロケット。
先ほどウィラさんは「もし生きていれば俺と歳が近かった」というヴェセル君の名前を出した際にそれを大事そうに眺めていた。
そこにはきっと、伝わらないまま封印されてしまった想いがある筈なんだよ。
「それを知ってどうするの。」
まるで扉と話しているかのように――
そして自分にそう問うているかのように、ウィラさんは俺に背を向けたまま、俯きがちに呟いた。
「いえ、まだ特にこれといって何かをしようという気はないんです。そしてそれは、話を聞いてから考えます。」
「……。」
「けれどその話を聞いて、諦めるかどうかも決めようと思ってます。
なんなら明日を待たずに、ここから去ろうかとも。
そうなればもう、二度と、この場所を訪れるつもりもありません。」
「なによそれ……。本当に、子供は自分勝手ね……。散々振り回してい置いて――」
おもむろに向き直ったウィラさんの表情は、酷く悲しげだった。
表情はこわばり、口角は下がり、虚無を浮かべた冷たく黒い瞳。
これまでのウィラさんからは想像もできないほど――
あぁ、やっぱり、あの日俺の前に立ちふさがったフレンさんと、このヒトは似ているんだ。
「それに、想いを伝える奇跡なんて……。……くだらないわ。」
向き直ったウィラさんは一瞬俺の目を見たが、吐き捨てるようにそう言うと再び視線を落としてしまった。
そして俺は、いつかのように、小賢しく、生意気なクソガキを演じなきゃいけない。
例え解っていたとしても、俺はこれから道化を演じ、このヒトの本当の気持ちを引きずり出さなきゃいけない。
なんたって、ずっとそうしてきたんだ――
他に上手いやり方、思いつかないからな――
「――下らない? それは俺の奇跡がですか? それともアナタの――」
「全部よ。全部下らないじゃない。この世界の全部。私も、あのヒトも、あの子達も、アナタの奇跡も、このバカげた家族ごっこも。」
淡々と、ウィラさんは全てを否定した。
けれどそれは、護れなかった悔しさや、二度と取り戻せない絶望、幸せを選んでしまった後悔、そしてこれから幸せを選ぶことへの躊躇い、それを続けることへの疑問。
縛られてしまった色んな思いが、きっとそこにはある筈なんだよ。
「それならどうして、俺やエンベリィさんを護りたいだなんて言うんですか?」
「……。」
「本当に、全てが下らないと思うのなら、どうしてアナタは生涯孤独でいることを選ばないんですか。
どうしてフィルとラニーを引き取ったんですか。」
逃がさない――これはチャンスだから。
アナタが開いてしまった感情の隙を――俺はそこから必ず、アナタの想いを引きずり出す。
「誰かの為だなんて、言わないでください。アンタはずっと、自分の中の不安と寂しさを埋める為に、ヒトの弱さを利用しているだけ――」
「……。」
ふいに頭に衝撃が走り、耳鳴りがした。
左頬がジリジリと熱くなり、痛みを感じる。
きっと、平手打ちされたんだろう。
まぁ、無理もないか――その後まるで子供をしつける時のように、ウィラさんは怒鳴った。
「子供のくせに……。いい加減にしてちょうだい!!」
見下すように、軽蔑するように、そう吐き捨てたウィラさんの声は震え、目には怒りと、恐怖が滲んでいた。
その吐き出した思いが、静かなリビングに反響する。
そしてアナタは、今だって諦めてなんかいないんだ――
「俺は――黙ってこのまま帰るわけには行かない。例え何度ぶたれようとも――」
「うるさい!!」
バチン!!
「ひでぶっ!!」
は? 追い打ち!?
「この!!」
バチン!! バチン!!
「うぎゃ!!」
ちょま!? 何このヒト!?
「この!!」
バチン!! バチン!! バチン!!
「ちょ!! やめてよ!!」
バチン!! バチン!! バチン!! バチン!!
「ぶちすぎ!! 痛いよ!! どんだけぶつの!?」
「ハァ……ハァ……。」
「気が……フみまヒたか……。」
気が付くと俺は凄まじい勢いで頬を叩きまわされていた。
ウィラさんはあまりの興奮状態に息を切らしている。
そして既に両頬がオタフクみたいになっているのが自分でも解るが……。
いやはや、道化を演じるとはこういうことなのだろうか――いや、やなんだが……。
「……お母さん? なんで泣いてるの?」
どこか心細げなそれはラニーの声だった。
先ほどの大声に目を覚ましたのか、はたまたトイレに行こうと思ったのかは解らないが、気が付くと部屋から2人が出て来ていた。
そしてラニーの言う通り、ウィラさんはいつの間にか目に涙を浮かべていた。
俺の頬の痛みなど知りもしないで――
「そうか……クソタロウのヤツにやられたんだな!!」
――え?
「いや違う違う!! むしろ一方的にやられてたの俺の方!! ほら見てこの真っ赤なほっぺた!!」
「とうちゃーん!! クソタロウが母ちゃん泣かせたーーー!!!」
「ちょっと待って!! 違うの!! 違うんだってばよっ!!」
ガチャ――
「あ、とうちゃん大変なんだ!! クソタロウが――」
「――なんだとぉ!? クソタロウてめぇよくも!! よーしリンチだ!! やっちまえー!!」
フィルの大声で急に出て来て、エンベリィさんはわざとらしくそう言った。
けれど俺と不意に目が合うと、エンベリィさんは「ここは合わせてくれ」とでも言うように、静かに頷いていた。
その後、真夜中だというのに再びプロレスごっこは始まり、気が付くとウィラさんはリビングからいなくなっていた。
***
「頬、大丈夫かい。随分晴れているが……。」
「あ、いえ、ぶたれて当然なので……。」
時刻はいよいよ2時を回る頃――ようやく子供達も寝静まり、リビングには再び静寂が訪れた。
「妻が、すまないね。
けれどもう気付いているかもしれないが、ウィラは、私達家族を盾に今も過去から逃げている。
出来る事なら、そっとしておいて欲しい。」
「……。」
「もっともそれは、私にしてみても同じことだが――」
エンベリィさんは、素っ気なくそう言い残して部屋へと戻って行った。
その言葉を要約するならば――私たち夫婦は、歪んだまま、このままの日々を、その幸せを望んでいる。
そういうことだろう。
チトさんの時と――いや「いつかと似ている」とか「誰かと似ている」なんて、今更ながら、憶測でそんな考え方をするのは良くないのかもしれない。
そんな事は決してあり得ないし、そうだからといってヒトが単純ではない事を、俺はこれまでの失敗で散々学んでいるじゃないか。
けれどそう思える事は――
「俺にとって、救えるチャンスがあるかもしれないという希望なんだ。」
言い聞かせるように、また独り言を呟く。
タイムリミットは明日の朝――もう時間がない。
けれど、ウィラさんの気持ちは動かせた。
チャンスはまだある。
それは明日の朝――
もう一度、ウィラさんと話す事が出来れば――
「やれるか……。」
やるしか、無いんだよ――




