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「そういうヒトなのよ、彼。」
そこまで話し終えるとウィラさんは昔を懐かしむように優しく微笑み、おもむろにホットミルクに口を付けた。
「すぅー……。」
良い話、だなぁ……。
思いがけず昭和レトロ味のある温かいお話に、俺の涙腺はとうに潤んでいた。
これよこれ、これぞ人情浪漫よ。
俺が求めていたのはこーゆー話なのっ!
これでいいのよ、シンプルイズベストでしょっ!
あれ……。いかん、なんか涙が……。まずい、今にも零れるぞっ――
「あっつ……。ちょっと、目に、ゴミが……あてて……いてーなぁ。目に入っちゃったからなぁ。」
泣いていることがウィラさんにバレないように、俺は目にゴミが入ったような素振りをして涙を拭った。
いやだって、これは卑怯だろう、解ってても泣く自信あるよ俺。
「それでやっと、あのヒトは心を開いてくれるようになって、それまでの事情も話してくれたの。
そこから先は、噂を聞いたシーヴ君ならもう知っているとは思うけど、あのヒトの奇跡で記憶を取り戻したヒト達は、皆自殺してしまったそう。」
「……。」
ウィラさんの話は、ウタさんの言っていた「噂が途絶えた」という時期とタイミングが合致する。
恐らくは、その後エンベリィさんと再婚し、フィルとラニーを引き取ってここへ越して来たのだろう。
エンベリィさんは己が業を捨て、この世界に来てからの全てを忘れて、今の幸せな家庭を築いている。
そういうことなのだろう――
「母語――あのヒトの奇跡は、それを求めるヒト達や噂の中で、いつからかそう呼ばれるようになっていたみたい。
真面目で優しいヒトばかり、彼を訪ねて来た。そんなヒトたちの力になれて、彼も初めは嬉しかったそうよ。
記憶を取り戻したヒトは皆、優しい笑顔で目に涙を浮かべて『ありがとう』と、お礼を言って去って行ったそうだから。
けれどその後、一人残らず、自ら命を絶った――ある時、彼はそれを知ったの。」
「……。」
「そして、それらは全て、真実だった。」
「だから――ここへ……。『誰も、自分を知る者の居ない』この地へ、ヒト知れず越して来たんですね。」
「えぇ、そうね。それがあのヒトの願いだったから。だからこそ――」
それまで俯きがちだったウィラさんが不意に顔を上げた。
ジッと俺の目を見据えたその表情は、一見すると笑顔のようでありながら、けれど冷たく突き放すように、何か憎しみを抱いているような、そんな緊張感をはらんでいた。
「シーヴ君の中にどれだけの想いが眠っているかは解らないけれど、私はアナタに、どうか思いとどまって欲しいと思っている。」
「――え?」
それは、明らかな警告だった。
「……だって、そうでしょう? アナタは先ほど、この世界が好きだと言ったわ。
この世界に不満がないのなら――それなら記憶なんてそんなもの、思い出す必要なんて一切ない。
思い出しても、きっと辛い思いをするだけ――それは、これまであのヒトの奇跡に関わったヒト達が、嫌というほど証明してくれている。」
「えっと……俺は――」
それでも俺は――
「時に――思い出はね、ヒトを殺すもの。
その形はどうあれ、いつか一番残酷な形で、アナタに牙を剥くものなの。
幸か不幸か、そんなことは関係ないわ。
アナタがどこにいても、誰と何をしていても、それは付き纏い、夜にはアナタを深い闇に引きずり込もうとする。」
きっと、逃げたのは、エンベリィさんだけじゃなかったんだ……。
ウィラさんは、ケズトロフィスの大災害を経験している。
旦那さんを、お子さん2人を、大切な家族を、生涯続いていくはずの幸せな日々を、一瞬で奪われたのだ。
想いに耐え切れなくなって逃げ出したのはエンベリィさんだけじゃない、ウィラさん自身もだった。
それじゃあこのヒトは、エンベリィさんを――
「逃げられないの――生涯、それから逃れることは出来ない。
どうあがいても、どれだけ月日が経とうとも、死ぬまで――
呪いのように、業苦のように、しがらみのように――
無駄なの。なにをしても、無駄なのよ。」
俺が言葉を挟む余地すら与えずにウィラさんは淡々と喋り続ける。
けれどそれは、俺に対してというより、自分自身にそう言い聞かせているかのようだった。
言葉で、自分を縛り、どうにか「感情」を制御しているようであった。
そうか……。ウィラさんは、俺を――
「なんて――知ったようなことを言ってごめんなさいね。
けど、あのヒトの気持ちも解って欲しい。
私はね、あのヒトのことも、それにシーヴ君の事だって、護りたいと思っているの。」
きっとその言葉には、嘘も偽りもない。
付け加えることがあったとしても、けれど「俺の事を護りたい」というのは本当なのだろう。
ウィラさんは初めから俺の味方で、けれど俺とは真逆の考えだったんだ。
このヒトは今、俺の中に「自分の子供」というトラウマを見ているのだろう。
俺が自ら危険な橋を渡ろうとしているのを知って、前に進むことを阻んでいるのだ。
「どうか、解って貰えるかしら。」
「……。」
解らない。
それに、解りたくない。
だって――ハッキリ言って、ウィラさんのしている事は「依存」に他ならない……。
エンベリィさんの弱みに付け込み、何もかも投げ出して、共にここへ逃げて来た。
エンベリィさんを助けるつもりで、けれど深い穴の底まで引きずり込んだのも、このヒトなのだ。
それはきっと無意識のうちにしている事なのだろうけど。
そんなの、解りたくはないじゃないか……。
― 私は弱者が嫌いだ ―
不意に、メディスさんの言葉を思い出してしまった。
メディスさんはエレナさんの治療に当たっていた時、そんな事を口にしていた。
正に、今のこの状況というのが――きっとメディスさんが言っていた「心の弱さが周囲に与える悪い影響」のそれなのだろう……。
ウィラさんは、漬け込み、依存し、壊そうとしている側の――
「……。」
けれど俺は、チトさんと対峙した時のファラのように、強い意志や言葉を持っているわけじゃない。
それに一つの家族を壊してまで、自分の意志を貫こうなんて、そんな道理の通らないワガママも嫌なんだ。
けれどそれなら、俺はどうしたらいい――
「……。」
ここで帰ったら……。
俺の旅とは、何だったのだろうか――
「……。」
――そんなもの、初めから意味なんてなかったじゃないか。
けど、ここで諦めたら……。
俺が今まで生きてきた理由とは、何だったのだろうか――
「シーヴ君?」
「……。」
――そんなもの、なくったって、俺はもう十分に幸せなんだ。
けど、このまま何も言えなかったら……。
俺が今まで出会ったヒトビトが、俺にくれた想いとは、なんだったのだろうか――
「……。」
それさえも、無駄だったのだろうか――
「まぁ、良いわ……。一晩じっくり考えてみてちょうだい。」
黙り込んだ俺に呆れたのか、それともホッとしたのか、ウィラさんは空になったカップを台所へと下げ、そのままお風呂へと向かった。
「俺は……何をしに来た。」
そんな中俺は、無音のリビングで黄金色の飛行機を見つめて、ゼロさんの言葉を思い出していた。
「何の為に、お前はここまで来たんだよ。」
だって、人生は、一度きりなんだろ――




