One more light
この世界へ放り出された時、記憶も名前も空っぽだった。
時々脳裏に浮かび上がる記憶を求めて彷徨って、空っぽのまま旅をする。
お世話になった村を出る時、共に行く仲間が出来て。
大勢のヒトビトの悩みに触れて、悩んだり、助けたり、助けられたり、助けられなかったり。
何かできたり、何も出来なかったり。
後悔も過ちも、二度と取り戻せない幸せな日々もある。
思い起こせば、たらればだらけの人生だった。
けれど別れより、出会いの方が多かったのは、とても幸せなことだろう。
――けれど、そう思えたのはきっと、一人ぼっちじゃなかったからなんだよ。
この物語の終わりを色鮮やかなものに変える事が出来たのは、俺が空っぽなんかじゃなかったからなんだ――
これはそんな俺の、俺だけが知っている小さな物語の終わり。
そしてこの世界で生まれて初めての、果てしない旅の始まりだった。
真っ白な病室、硬いベッドの上、微かに視界の隅に映る時計を意識する。
時針の大体の位置からして夜の7時過ぎといったところか。
何月何日、そんなのはもう解らない。
今が、何年なのかも。
俺はただこの静かな病室で無意味な人生の終わりを迎えようとしている。
高校2年の夏、家族旅行、一家4人を乗せたコンパクトカー、そして――
高速の渋滞、乗用車の列に大型トラックが突っ込む玉突き。
盛大にトラックに追突され、巻き込まれた乗用車は3台。
その真ん中に俺達を乗せた車があった。
死者5名。
父母はエアバッグのお陰か、比較的軽症で済んだようだ。
後部座席は無残に押し潰されて、左後ろにいた俺は現在、植物状態。
隣にいた姉は、後方車両から突き出た小型車のエンジンに全身を焼き潰され、随分苦しんで圧死したらしい。
あぁ。あと姉のお腹の中の子も――
前方の乗用車で後部座席の子供1人が死亡。
後方の軽自動車はトラックにノークッションでぺちゃんこに潰されたそうだ。
その親子3名は、即死。
車は当然、見るも無惨な鉄くずと化したそうだ。
すべて聞いた話、トラックの運転手がその後どうなったのかは知らない。
俺がこの身体になって数年、いや、多分10年近くなる。
もうずっと、俺はこのベッドの上でじっと思考するだけの肉塊である。
意識も感覚も思考する頭もしっかりある。
おぞましい無数の管に縛られ、無理矢理生かされている。
そんな10年、まともに生きていたら27-28の社会人だっただろうか。
視界には椅子に腰かけた母親がぼんやり映る。
安らかな表情だが何を考えているのかわからない。
疲れている様子だけ、小さく丸まったシルエットから伝わる。
父親は、いない。
俺が肉の塊となってから、暫くして顔を出さなくなった。
見限られたのか死んだのか、或いは俺を憐れんで顔を出さないのか、散々思考を巡らせたが、今となってはどうでもいい。
母親も、俺にあの男の事は話さなかったし、俺の処遇で揉めて離婚したのだろうと結論付けた。
耳鳴
耳鳴
耳鳴
――あぁ
病室は静かだ。
時計の均等な時針音、スリッパのパタパタという素朴な音が廊下を通り過ぎる。
いつも以上に静寂は安らかで、ふと昔のことを思い出す。
まだ身体がこうなったばかりの頃、高校の友人や恋人が揃って見舞いに来てくれた。
俺は皆が会いに来てくれて嬉しかったし、俺は元気だぞ!って事を全身でバシバシと伝えたつもりだった。
けれども現実は、呼べども返さず、微動だにしない肉塊。
変わり果てた俺の姿に皆は絶句し、苦笑いするのがやっとだった。
あの時の皆の顔は、今でもハッキリ覚えている。
そして彼らも暫くするとパタリと来なくなった。
恐らくは進学、就職して日々の忙しさに、こうして横たわる肉の塊の事など忘れたのだろう。
或いは縁の切り時を計っていたのかもしれない。
そっちが、正解な気がする。
左手に温もり。
気が付くと母親が俺の手を握っている。
相変わらず何を考えてるのかわからない。
謝罪、後悔、激励。
謝罪、後悔、激励。
謝罪、後悔、激励。
数年間ずっと繰り返された言葉の数々が、この人と俺の関係。
この人の言い訳の捌け口。
生きる理由という名のゴミ箱。
母親はよく俺に「大変だけど、一緒に頑張ろうね」と不毛な事を言った。
勿論俺に聞こえているかどうかは当の本人にはわかっていない。
いつも勝手にずっと、独りで喋ってる。
俺に頑張る事などない、アンタ一人で戦っているだけだったよ。
ずっと。
ずっと。
――ずっと……。
俺に依存して、今日まで死ぬことすら出来なかった俺を最後まで縛り、この硬いベッドに祀り続けた人間だ。
死の間際で罵詈雑言を撒き散らしたが、けれど本当のところ俺は別に誰も怨んではいないのだ。
この人が悪い訳じゃない、そして家族の誰も憎いと思ったことはない。
何を考えているのか解らないこの人も。
なんでいなくなったのか解らないあの人も。
忘れた様に去っていったみんなも。
あのトラックのドライバーだって、きっとキツい仕事で疲れてたんだろう。
仕方のないこと。
当然のこと……。
俺に誰かを恨む理由など、何もない。
むしろ母親はこの不毛な日々をよく乗り越えたと思う。
俺のために無駄に歳をとり、俺のために命の時間を浪費した。
――おれのために
ほんとう に
ただ俺が、俺自身が不甲斐なく、無力で、その想いを抱えきれなかっただけなんだろう
つ いなぁ つらい ぁ
あぁ そろそろな か
ごめんなさい ずっと にたかった
こんな上辺だけの想 も 届 ないな て
みんな さような――
視界は少しずつボヤけ 五感のすべてが離れていく
同時に白い光に包みこまれるような 暖かさがやってきた
匂いが消えた
おとが消えた
からだが えた
しかいも
まるで無限 永久 暖 穏やか なんども ひかりにつつまれて
ぁぁ あぁ やすらかだ
やっと きえていける
しあわせ だ
かこも
しねない むねんも
かなわなかった ねがいも
いちどもおもいを たえられな った
すべてこの かりのあた かさがつつんでく ている
あぁこの まな もかもきえて まえば い
あぁ――
そうか――
俺は 最後に――
あなたに 会いたかったんだ




