手紙
2024/07/24_改稿済み。
龍星期3030年、1月14日。
現在時刻、午前12時を回ったころ(地球の感覚で言えば朝の8時くらいだ)。
4日ぶりにグッドシャーロットに顔を出した俺は、従業員一同が会する朝礼の場で連日休んでしまった事情を説明して、粛々と頭を下げた。
マラクさんはいなかった。
「きのう、酒場で”ウィノック”から聞いたぞ、お前ウサぴょい饅頭食って死にかけてたんだろ。」
「アポカリプティカ菌で死にかけたなんて噂は極稀に聞くが、そんな大マヌケどこにいるだよって思ってたけど……目の前にいたわ。」
「言うまでもなく死ぬほど美味かったろ、ウサぴょい饅頭。」
「ばーか。」
「うす、ども。」
やばいキノコでも食ったみたいに腹を抱えて引き笑いを繰り返す従業員たちの反応を見て、一連の騒動は仰天ニュースとして既に村中の噂となっているらしいことは解った。
ちなみに、路地裏の怪しい服屋にいたあの店員は”ウィノック”というらしい。
まんまと街中に噂が広まって、ウィノックさんも今頃はさぞ上機嫌であろう。
俺史上最悪な朝礼が終わると各自業務に向けて休憩室を出ていった。
そしてどうやら、俺とマーシュさんは別行動となるもよう。
俺はひとりC舎へ、マーシュさんはD舎へと赴くそうだ。
俺が仕事を早退した日以降、C舎は左の五区画が出荷されたことで、必然的に仕事量も半減している。
マラクさんが新たな肥育用デブリを引き連れて戻ってくるまでのあいだ、C舎の対応は俺ひとりでも十分だと判断されたようだ。
一方、俺の相方でもあるマーシュさんは、D社で”キームとタークが仕事をサボらないよう見張る”という、控えめに言っても鼻くそみたいな特殊職務を任されることになったらしく、先ほどから捻くれた憂鬱の色を全身からドンヨリ滲ませている。
「あーぁ、りんねっちが戻ってくるのがあと一日遅かったら、私もD舎になんて行かずに済んだのにな、トホホ。」
「へへへ、すいませんね先輩。」
「け、他人事だと思って笑ってやがる。」
俺は、苦々しい面持ちでD舎へと向かっていったマーシュさんの陰鬱な背中に笑顔で手を振って、鼻歌まじりにご機嫌なスキップでC舎へと向かった。
そして俺は現在、鼻歌まじりにご機嫌なスキップでやってきた在りし日の自分を恨んでいる。
「 『ちょ、まーてーよッ!! そうじゃねぇっつってんだろがッ!!』 」
「ぶにょぉぉおおおおッ!」
キームとタークがいた。
どうやら彼らははなからD舎になど行っておらず、何故かC舎の入り口で並んで俺のことを待ち構えていたらしい。
仁王立ちのキームとタークはいつになく険しい面持ちをしており、”出荷の途中に貧血ごときで倒れるなど、我が誇り我が血族の名折れ、いちから鍛え直してくれる”などと俺に難癖をつけると、先日までの俺へのフレンドリーな態度は一転、特に意味のないスパルタフィーバーに突入した。
「おらどうした、このブタやろう! 鼻からうどんを吹かされてえか!」
「ぶひゃぃぃいいいいッ!」
「うりゃ! うりゃ! もたもたしてると昼飯抜きだよなあ!」
せっせと床にブラシをかける俺の背中に、力任せにムチ打つキームが”気合が足りぬ”と怒鳴る。
『腰だよ腰、カニみたいに股開いてこれでもかってくらい腰落とせって言ってんだよカメムシがッ! ガタガタ言わされてかこらあッ!』
「ぶきゃぁぁああああッ!」
『おらッ! おらッ! さっさと運ばねえと昼飯はブタのウンチだよなあッ!』
穀物の詰まった麻袋を持ち上げようと腰を落とした俺の頭を、タークは意味の解らない罵声と共にハリセンでビシバシと荒々しくモグラたたき。
こんな調子で仕事がはかどるはずもなく、マーシュさんと分断されてしまったことで俺はかえって地獄を見ることとなり、早くもこの場から逃げだしたい衝動に駆られていた。
願わくば、マーシュさん、カムバックヒア、アズスーンアズ、パッシブル。
「おい、木偶人形ども。」
救いを求める俺の心の声もむなしく、地獄の責め苦が小一時間は続いたころ、その声の主はヌラァ……とおどろおどろしい妖気を携えて、気だるげに俺たち三人の背後に現れた。
「マーシュから連絡があって探しに来てみりゃ、お前ら、こんなとこで何してんの?」
「 『ありゃりゃ、りゃりゃタしゃんッ!!』 」
「ありゃりゃじゃねーだろ。なんでこんなところにいるんだって聞いてんだ、はやく答えろよ。」
いつになく背筋のピンとしたアラタさんがこちらへ一歩詰め寄ると、タバコの煙がゆらりと威圧的に空気を揺らし、ファーマーボーイズはそれぞれ持っていた凶器を背中に隠して、我が誇り我が血族など見る影もなく怯えた小鹿のように声を上ずらせ、わちゃわちゃと俺の両サイドから数歩ほどあとずさった。
「お、俺たちは……その。」
『キム・タクが、俺たちに鍛え直して欲しいって頼むもんだから……。』
「オス……って、頼んでないです。」
危うく肯定してしまうところであったが、俺は気を引き締めて毅然とした態度を取り繕う。
「キム・タク!?」
まるで地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸に救いを求めた亡者のように、キームとタークのゴツくて暑苦しい手が俺の両肩をがっちりと重く固く掴む。
俺は臆することなく、さながら地獄の閻魔が如きアラタさんの真っ黒な瞳だけを信じて真顔で見据え続けた。
『お、俺たちの絆を……。我が誇り我が血族の誓いを、こうもやすやすと裏切ろうってのかッ!?』
「そんなもん知らんです。」
『キーム兄ちゃん……コイツもうだめだ、ケツの穴まで洗脳されちゃってるよッ!』
されてねーよ。
「頼むから目を覚ましてくれよ、エモ・ブラザー! 真の敵が誰なのか、本当のお前ならもう解ってるはずだろ! 俺達は自由の戦士だって、あの日言ってたじゃねーか!」
「あーもういいから、お前らは寄り道せずにD舎に戻れ。そんでとにかく仕事を終わらせろ。」
「 『へい。』 」
いつかのように、アラタさんの命令は、ミーンミンジジジジと暑苦しかったキームとタークを夏の終わりの夕暮れみたく素直にさせた。
俺とアラタさんを素通りして無気力に豚舎の出口へ歩いていく無言のキームとタークは、相変わらず機械仕掛けの人形じみていて少し不気味だと思う。
「悪かったな、新入り。」
ふたりが豚舎から出ていくのを見送って、冷静ながらも興奮気味なアラタさんは俺の方に向き直ると、血色の悪い目元の真っ黒な目をぐるりと回して、ジロリと睨むように、或いは覗き込むように、俺の目を見た。
「いえ、本当に助かりました。ありがとうございます。」
「あー、違くってな、ウチが言ってるのは、このあいだのことなんだ。」
「このあいだ……?」
どこか調子外れによそよそしく視線を泳がせるアラタさんと話がかみ合わず、俺はゆらりと漂うタバコの煙を目線で追いかけて”このあいだ”について思考を巡らせたが、やっぱり何のことを言ってるのかよく解らなかった。
「出荷の日、お前がぶっ倒れた時。元気なかったから、なんか嫌な態度とっちまったかと思ってな。」
もごもごとアラタさんの口からこぼされた”出荷の日”というキーワードは、リーンという歪んだ耳鳴りの再来と共に、”ごめんなさい”という、誰に向けたものかも判らないような、俺の孤独な弁明を印象的に思い出させ、俺はハッとする。
あの日、アラタさんに見守られながら休憩室で目を覚ました俺は、自らの奇跡の正体も判らずに困惑していた。
あろうことか、自動でデブリから掬い出されてしまった想いを、俺は自ら進んで”持病”と称して軽蔑し、また、動揺から疑心暗鬼に陥って憔悴していく俺のことを、どうやらアラタさんは気に病んでいたらしい。
「そんなことを気にされてたんですか。ぜんぜんアラタさんのせいじゃないのに。俺が勝手にネガティブになって、勝手に自暴自棄に陥ってただけですから。気にしないでくださいよ。」
「そうか。ならいいんだが。」
アラタさんは、はんぶん火の消えかかったタバコを伏し目がちに咥えると、すっと深呼吸をして、どこか遠くを見つめて、珍しく咳き込んだ。
薄紫色の不完全燃焼気味の煙は、飛行機雲のようにのびのびとたなびいて、それもあっという間に霧散する。
「アンタのこと、酒場でウィノックから聞いたよ。」
呼吸を落ち着かせ、声の調子を変えることなく、淡々とアラタさんは続ける。
「アンタも、奇跡に憑かれてるんだろ。」
ツナギの胸ポケットからマッチを取り出して、物悲し気にタバコに火を再着火したアラタさんの目は、火の光すら簡単に飲み干して、控えめに言っても、底知れず黒かった。
***
時刻は午前18時を回った頃(地球の感覚で言えば、昼前、11時くらい)。
俺はアラタさんに水替えの作業を手伝ってもらいながら、俺自身の奇跡のこと、デブリから掬い出した心の声について、アラタさんに話していた。
「いまの話、マーシュにも聞かせてやると良い。」
「え、どうしてです?」
「必要な事だからだ。アンタにとっても、マーシュにとってもね。頼んだよ。」
水替えを終えると同時、アラタさんは最後にそう言い残して、淡々とC舎を去って行った。
俺が後片付けを大方終わらせた頃になると、今度はマーシュさんが駆けこんできた。
どうやらD舎の方にキームとタークは戻らなかったらしく、マーシュさんはほぼ一人で作業を終わらせたようで、彼女はややくたびれた面持ちをしていた。
にもかかわらず、律儀にも俺の仕事を手伝いに来てくれた責任感のある先輩は、既にC舎が綺麗に片付いているのを見て、”りんねっちも成長したもんだ”と感嘆の声を上げたが、アラタさんが来て手伝ってくれたことを俺が説明すると、今度は”ぬか喜びだったか”と呆れて笑った。
お互いに午前中のタスクを終えた俺たちは、休憩室へ向かった。
やはり休憩室にもキームとタークはおらず、マラク班とアラタ班の数名が、談笑と共に愉快な食事をとっている。
俺とマーシュさんは裏口から一番近い席に向かい合って腰を下ろし、さっそく”いただきます”と仲良く食事を始めた。
今日の献立は、お肉たっぷり本大陸式カレーだ。
といっても、俺はこれ以外のカレーを知らない。
「そういえばウィノックさんから聞いたんだけど……。」
俺が口の中の謎肉の正体を模索しながら咀嚼していると、マーシュさんはおもむろに食事の手を止め、先ほどのアラタさん同様、どこかよそよそしく口を開いた。
「りんねっち、奇跡が使えるんだってね。なんでも”直に触れた相手の想いを聴ける”だとかって。」
「……。」
――この肉はあれだ、クジラとか、イルカとか、多分おさかな系だ。
「あの日ぶったおれたのって、貧血なんかじゃないんでしょ?」
「……。」
――いや、ジビエか? ジビエなのか? わからんなぁなんだこの跳ねっ返りのある微妙な弾力は。
「もしも彼らの声が聴こえたのなら、私にも聴かせて欲しい、彼らの気持ち。」
結局、正体を突き止めることができないまま、俺は咀嚼していた謎肉の塊を飲み込んだ。
「気持ちなんて、そんな不確かで刹那的な、それこそ俺個人の独断による”印象”を、マーシュさんはどうして知りたがるんです。」
「それは……。」
マーシュさんはいつになく思いつめた様子で、徐々にカレー皿へと視線を落とした。
出荷直前のデブリから掬い出した想いを、今ここでマーシュさんに伝えることはとても簡単だ。
けれど、言葉は所詮、言葉にしか過ぎない。
どれだけ俺が努力しようとも、あの場で感じた暖かさや安心感とも形容すべき慈愛に満ちた抱擁の感覚を、それこそ"同じ温度と同じ厚みで言葉に置き換える方法"を俺は知らないし、出来ないと思っている。
彼女の事情がどうであれ、マーシュさん自身の為にも、俺はただ、軽はずみな回答は避けたいと思った。
「私は、彼らを愛しているから。」
カレー皿に視線を落としたまま、言い訳がましくマーシュさんは呟く。
その言葉は宛てもなく宙を泳ぎ、不確かで、あまりに薄っぺらく、嘘くさく思えた。
「それならなおさら、虚しくなるだけだと思います。」
淡々と回答を突き返されて、今度はスプーンを握る手がギュッと締まる。
「そうだとしても、知りたいよ。」
マーシュさんの声が急激に尻すぼんだ途端、周囲の笑い声がドッと大きくなった気がした。
まるで誰かをあざ笑うかのような遠慮のない笑い声に、俺の意識はより強く周囲を警戒し始める。
「どうしてです。」
「だって、納得できないんだ。彼らの命を刈り取るだけの日々に、私は自分自身の正しさを見出せない。彼らの”幸せになる権利”を奪うに値するだけの価値を、私は日々の業務に見出せない。こんな日々が、自分自身の器の小ささが、耐え難くて仕方がない。」
「だから、誰かの言葉や思考に救いを求めて、安心したいんですか。ハッキリ言ってそれは――。」
――現実逃避だ。
そう言いかけて、俺は咄嗟に口をつぐんだ。
マーシュさんの拙い思考から、俺自らが一瞬にしてたどり着いた解答に、どこか後ろ髪を引かれたような思いがして、取り返しのつかない答えに辿り着いてしまった気がして、憂鬱になったのだ。
俺が何を言おうとしたのか、どうして途中で言葉を投げ出したのか、伏し目がちに黙り込んだマーシュさんにどこまで筒抜けになってしまったかは解らない。
ただ、俯きがちな彼女の横顔は子供のようにぷくっと頬を膨らませており、僅かに細めた瞳も重々しく潤んでいた。
「やっぱり、いい。」
次には素っ気ない返事をしたかと思うと、まだ半分以上も残っているカレー皿を自分の脇によけて、組んだ腕に顔をうずめてテーブルに突っ伏してしまった。
「私、ずるいのかな。」
その声は、まわりにいる従業員たちの笑い声に掻き消されて、隣にいる俺ですら聞き漏らしそうになるほど、儚げで小さい。
そして、周りにいる誰も、子供じみた彼女の事は気にしていない様子だった。
「どうでしょう。俺なんかには、解りようもありません。」
――判らないと言えば、この謎肉である。
「ところでマーシュさん、この肉、なんの肉ですかね。」
「知らない。」
「拗ねないでくださいよ先輩。」
「拗ねてない。」
「どう見ても拗ねてるじゃないの。」
「もう寝る……。」
未だ謎の肉の正体も不明な中、彼女はふて寝を始めた。
***
どうやら俺はいつの間にか眠ってしまったらしい。
「あ、いっけね。」
時計はすでに22時を半分通り過ぎており、休憩の時間は30分ほど前に終わっている。
そのため、俺たち以外に休憩室に残っているヒトは誰もいなかった。
起きてすぐ、マーシュさんの寝顔が見えた。
組んだ腕を枕にして、顔をこちらに横たえている。
ふて寝とは思えないとても安らかな寝顔だったが、ただ若干、寂し気に思えた。
俺はいそいそとカレー皿を下げて、引き継ぎメモを使って、書き置きを残した。
そして、眠る彼女の隣で折りたたんだ手紙を、彼女の目と鼻の先にそっと置いて、先に休憩室を離れた。
――いつも、ありがとう。
――わたしたちは、あなたたちが、だいすきです。
内容は、たったそれだけだ。
俺がデブリから掬い出した想いのまま、何も飾らない真っすぐな言葉のまま。
やがて少し遅れて、マーシュさんはダッシュでC舎にやってきた。
清々しく息を切らせた彼女の目元はポっと赤くなっていて、マーシュさんは俺と向かい合うと少し気恥ずかしそうに微笑んでいた。
目を覚ましたマーシュさんが手紙の内容をどう受け取ったか、俺はなんにも聞かなかったし、マーシュさんも話さなかった。
「りんねっち、ありがとね。」
ただひとつ確かなのは、マーシュさんから力強く差し出された手を、俺が自らの意思で強く握り返して、自然と笑みが零れていたことだけ。
「こちらこそ。」
だけど、俺の奇跡で救われたのは、マーシュさんだけじゃなかった。
「ありがとうございます。」
それも結局、”言葉は言葉にしか過ぎない”のだけれど。
病は気から。想いは血から。




