Hot Air Balloon_5
「こっちの道を使った方が良いな――」
次の日、俺は何においても真っ先に帽子を手に入れなければならなかった。
ファラの話では、帽子を買ったお店が開くのは朝の9時だという。
この宿から観光区まで、最短でも15分。
開店と同時に駆け込みたかった俺は、白目を剥いて「グガーっ!!」と眠るファラを置いて8時38分にはこっそりと宿を出ていた。
「おっと――危ない危ない、ヒトがいるぞ?」
大分遠回りになるが、出来るだけヒト通りの少ない路地裏を使おう。
幸いこの時間は表通りでもヒト通りが少ない。
「よし、クリア……。」
上手くすればほとんどヒト目に付くことなく目的を達することができるはずだ。
俺はさながら殺しの達人の如く、その存在を路地裏の影の中へ潜ませて進んだ。
「あと、もう少しだ。」
いよいよ帽子屋の脇まで来た。
店の扉には憎たらしい「CLOSE」の5文字――
「ちっ、仕方ない……。」
審判の時までしばし影のように身を潜める……。
開店まであと…4…3…2…1――
「チェック、メイト。」
チリーン……。
店員と思しき男性が事態の深刻さも知らずに呑気に出てくると、「CLOSE」の看板をひっくり返した――「OPEN」!!!!
「俺の勝ちだ!!」
チリリリーン!!!
勢いよく店の扉を開く。
見事誰にもこの姿を見られることなくこの店に辿り着くことができた。
はは、嬉しい――嬉しいなぁ……。
こんな嬉しい事――生まれて初めてだ!!
店員の男性と目が合う。
店内にはいま、俺と、このヒトだけだ。
「いらっしゃいませ……。」
「あ、どうも。」
ふっ……。
流石は帽子屋と言ったところか、珍妙な猫耳頭巾をかぶった俺を見てもクスリッとも笑わない。
むしろその逆だ、このヒト俺と同じ猫耳頭巾を被ってる。
不思議な光景。
猫耳頭巾を被った2人が、まるで鏡の様に無言で見つめ合うこの時間。
「あの――」
穏やかな木漏れ日の戯れる店内、先に口を開いたのは穏やかな店員の男性だった。
「お似合いですね。」
夢見心地に戯れる木漏れ日に包まれて、彼は薄っすらと安らかな笑みを浮かべてそう言った。
むずがゆい沈黙がお訪れる。
あぁ、そうさ……。
俺も思いの丈を伝えよう。
その為にここへ来たんだから――
「えぇ、アナタも。」
俺がそう言うと戯れる木漏れ日に包まれて、彼は少し照れたように頬を赤らめ、目を逸らした。
「……。」
「……。」
なんだか気まずい沈黙。
けれどそれも悪くない……。
俺は気を紛らわせるように、店内を見渡した。
「あれ……。」
アレ?
あレレレ?
レレレのレ? のら。
「お客様、いかがされましたか?」
「いやあの、この店……。帽子が……。」
ない――棚にあるのはすべて、変な頭巾だ……。
猫耳は勿論、犬耳、ヒツジのツノに小悪魔のツノ、なんかてっぺんに葉っぱが生えた変なヤツ。
ハロウィンのコスプレだってもうちょいマシなデザインだというのに……。
店員は俺の言いたいことを察したのか、包み込むような優しい笑顔で喋り始めた。
「あぁ、当店は今流行りの『不思議アニマルフーディ専門店』です。」
「ははっ、なるほどっ! どうりでっ! ははっ! ………。
じゃねぇよっ!! ねぇ! なんでなん!? ねぇねぇ! じゃぁさあ頼むからさぁ! もういいからさぁここらで普通の帽子売ってるお店教えて!?」
「ぼっ、帽子!?!?!? ですかぁ!!?!?!
こ、困りましたねぇ……。ケズバロンに帽子屋は一店もありませんが――」
「なんでやなんでやなんでやがなこらボケクソぉ!!!!!」
俺はドタドタと地団太を踏んだ。
いやだってあり得ないだろ普通に考えて。
「えぇ? ちょっと落ち着いてくださいお客様!
帽子は超絶不人気でして、被ってるだけで生き遅れのクソ老害として白い目で見られてしまいますよ?
先日訪れた男性も、帽子を被ってたら足を掛けられて唾を吐かれたとおっしゃっていましたし……。
実際あんなもの被ってるのは情弱で腰の曲がったシワシワのおじいちゃんおばあちゃんばかりですので……。」
「はぁぁああああ!? じゃぁこの天辺に葉っぱがニョキって生えた変なヤツ! コレ!! これカッコいいのか!?」
「はいっ! とってもっ。」
俺は悪質なクレーマーのようにそれを指さして怒鳴りつけたが、店員はなんとも清々しい笑顔でサラッと気持ちよく答えるのだった。
「いいいいぃぃぃやだやだやだやだやだやだ!! 帽子帽子帽子帽子帽子がいいいいいいいいい!!」
「んん…困りましたね……。けれどお客様が今被られているのも当店一番人気のニャンニャンリバティ・エロティックプリティタイプですよね?
とってもお似合いですし、どうしてわざわざ非モテファッションにしたがるのか、失礼ながら理解いたしかねますニャン……。」
「ニャンニャンだよこの店! もういい!! もういいいいい!! 帰るーーーーーーー!!」
「あー! おきゃくさまーーーー!! 困りますーーーー!!」
「困らねーよ!!」
チリリリリーーーーン!!!!
あ――やべぇ。
そして俺は店員の制止も無視し、勢いに任せて店を出てしまった事を後悔した。
「え、嘘っやだ! キャーーーーー! 超かわいいいいいい!!!」
うかつだった。
先ほどまで閑散としていた店の外には、既に大勢のヒトが行き交っていたのだ。
「キャーーーー! 猫ちゃん猫ちゃん! いい子だからこっちおいでーーーー! キャーーーーーーー!!」
「あ? んだあの野郎……。
男のくせにニャンニャンリバティ・エロティックプリティタイプなんて被りやがって。
そんなにモテてぇのかよカスが。ちっ、マウントに沈めて死ぬまでぶん殴りてぇ……。」
「うぃぃいいΦ#仝§%’〇ぁああ+*!#Δ%$ΘΞΦΣあぁぁああ!!!」
「うわ!? なんだこの声!? どっかでゴブリンでもレイプされてんのか!?!?!」
「わぎゃぁあああいいやぁああΦ#仝§%’〇ぁああ+*!#Δ%$ΘΞΦΣあぁぁああ!!!」
死にたい死にたい死にたい死にたい!!!
俺は全速力で宿までの道を、罵声と笑い声と歓声の中を、永遠の様に長いわずか10分の地獄をほとばしる激情と涙と共に駆け抜けた。
良いから早く話し進めろよ。




