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過去 5

 彼だって、そうしたい。

 連れて行くのは無理でも、機械の代わりに魔術で栄えるフローシュ王国を見せたい。

 そして、自分が優秀な魔術師である証を見せてあげたい。


 でも……できなかった。

 どれほど文献を漁っても、生きた人間が異世界を越える方法なんて記述はなかった。

 先ほどの指輪は無機物だからか奇跡的に世界を越えられただけで、肉体を持つ生物が渡ることはできないのだ。


「冴香……ごめん、それは俺にもやり方が分からないんだよ――」


 なるべく優しい声で言ったつもりだけど、冴香は泣いていた。

 きれいな滴が目尻から垂れ、丸い頬を伝い、制服に染みを作り地面に滴っている。


 その涙を掬えたら、どれほどいいのに。

「泣かないで」と囁いて涙に口づけできたら、よかったのに。

 ヴィルフリートの指先は冴香の頬を貫通するだけで、流れる涙を止めることはできなかった。


「俺はいつまでも、君の幸せを願っているよ。君に会えて、幸せだった」


 冴香は、ヴィルフリートを変えてくれた。

 冴香に出会えたから、ヴィルフリートは変わることができた。


「好きだよ、冴香。だから……しばらく、さようなら」


「王子様みたい」と言ってくれた冴香を喜ばせるよう、自分にできる限りの優しい笑顔でそう言えば。


「うん! ……しばらく、さようなら。大好きなヴィル」


 冴香は泣き笑いを浮かべ、そっと右手を持ち上げた。


 ヴィルフリートと冴香の手は触れあうことができなかったが、それよりもずっと確かで尊いものが二人を繋いでいる――そう信じていた。















 あの指輪には、「冴香を守るように」という願いを込めている。

 半ば呪術じみた魔術なので、最近になって連絡を取り合うようになったマクシミリアンからは、「想いが重いです」と突っこまれた。


 だが、冴香が幸せになるのがヴィルフリートにとっての喜びだ。


 これから先、冴香はヴィルフリートより早いペースで年を取っていく。いずれ彼女も自分の世界で恋をし、結婚し、子どもを産むだろう。そうしていずれ、ヴィルフリートのことを忘れるはずだ。

 あの指輪は、冴香がヴィルフリートより大切なものを見つけたら自然と見えなくなる仕掛けを施している。

 もし彼女がヴィルフリートのことを忘れ、指輪も見えなくなったのならそれは、彼女が幸福になったサイン。


 きっとそれがいい。それが彼女のためになる。

 それ以降冴香とは会えないまま、ヴィルフリートは学院を卒業した。そうして就職したのは、オファーがあった中では一番薄給で、しかも「地味・ダサい・しょぼい」ということで評判の研究部署だった。


 最後までヴィルフリートを自分たちと同じ前線戦闘部署に引き込みたがっていたゲルトラウデたちとはこれを機に完全に決別した。なぜかゲルトラウデは「いつかあなたを目覚めさせてあげるわ!」と吠えていたが、早く家に帰って植木鉢の世話をしたかったヴィルフリートはすぐに忘れてしまった。


 研究部署は、魔術学院のエリートで十六歳の頃から主席を守り続けたヴィルフリートが来るとなって最初は騒然としたそうだが、彼が冷やかしなどではなく、本気で魔法器具の開発――それも、「低魔力者だろうと誰だろうと平等に扱える魔法器具」の開発に関心を持っていると知ると、戸惑いつつも受け入れてくれた。二年先にそこに就職していたマクシミリアンの口添えがあったのもありがたかった。


 ヴィルフリートは、いろいろと煩わしい上、ゲルトラウデたちに会う可能性の高い城ではなく田舎で研究することを申請した。ヴィルフリートの才能に早くから目を付けていた王太子も後押ししてくれたこともあり、彼はマクシミリアンを引きずってリリズの町に移り住んだ。


 彼が研究仲間として集めたのは、少々魔力の数値が低い者たち。そして門下生として引き取った子どもたちは全員、低魔力者の診断を受けた者。

 最初に引き取った少女フローラはどうやら身売りされたと思ったらしく最初、「ヴィルフリート様を満足させられるか分かりませんが、頑張ります!」と宣言した。だから、全力で止めてちゃんと説明をした。


 植木鉢は、学院の宿舎から屋敷へ持っていった。冴香には会えないが、この植木鉢があればきっと再会できるし、二人を繋いでくれる。そう信じていた。

 マクシミリアンは「その植木鉢のおかげで、あなたは変わったのですね」と言ってそっとしておいてくれたし、だんだん増えてきた同僚や子どもたちの間でも、「ヴィルフリートの植木鉢は絶対に触れてはいけない」と暗黙の了解になっていた。













 そんなある日。


「大変だ、ヴィルフリート。植木鉢が――」


 庭で子どもたちの訓練の様子を眺めていたら、同僚のバイロンが血相を変えて飛んできた。確か彼には、部屋に置いている魔法器具を持ってくるよう頼んでいたはずだ。


 急ぎ部屋に戻ったヴィルフリートは、言葉を失った。


 デスクの上。きれいな模様のクロスを敷き、掃除が苦手な彼が唯一整理整頓を保っているそこに据えられた植木鉢。

 今地球では秋らしく、今朝見たときは鮮やかな色に紅葉した葉がヴィルフリートの目を楽しませてくれていたはずなのに、植木鉢にはギザギザに切り倒された切り株が残っているだけだった。


「これは……」

「分からないんだ……すまない、ヴィルフリート。俺が入ったときにはもう、この状態で――」

「……。……いや、君のせいじゃないのは分かっている。すまないが、マックスを呼んでくれ」


 声が震えそうになりながらも、ヴィルフリートは指示を出す。

 バイロンがうっかり折ってしまったはずがないのは分かっていた。


 この桜の木の本体は、地球にある。

 ということは――


「……ええ、そうでしょうね」


 バイロンに呼ばれてやって来たマクシミリアンは切り株になってしまった桜の木を見、ヴィルフリートの話を聞いて苦い顔で頷いた。


「おそらく、チキュウにあるサクラの木本体が何らかの理由で伐採されたのでしょう。この切り口からして、自然災害ではなく人間が故意に伐ったと判断してよろしいでしょうね」

「そんな……あっ!」


 ヴィルフリートが落ち込む暇もなかった。

 さっきまでは斜めに切られた切り株が残っていたのだが、二人が見ている間に切り株が真っ二つになり、崩れ、壊されていく。


「っ……! 待って、待ってくれ!」

「やめなさい、ヴィルフリート!」


 マクシミリアンが止めるのにも構わず、ヴィルフリートは植木鉢にかじりついた。


 待って、やめてくれ。

 冴香との思い出を奪わないでくれ!


 木を伐り倒したのみならず、異世界の人間は桜の木を根こそぎ破壊しようとしているのだ。


 ヴィルフリートは叫びながら、守るように両手で切り株を包み込む。だが、ヴィルフリートたちが見ているのは桜の木の縮小コピーにすぎない。


 両手で包み込んでも、守ろうとしても、切り株はあっという間に崩れ、ばらばらになり、やがて全て引っこ抜かれてしまった。

 地面に巨大な穴が空き、地下深くに残っていたらしい細かい根っこまで奪われていった――


 直後。

 ぱりん、と音を立てて植木鉢が真っ二つに割れた。

 まるで、「自分の役目はもう終わった」と言わんばかりに。


 さらさらと黒っぽい土がクロスの上に広がったがそれも一瞬のことで、土は消え、その後には見事に真っ二つに割れた陶器製の植木鉢と、絶望するヴィルフリートだけが残された。


 マクシミリアンは何も言えず、くしゃりと自分の前髪を握り潰した。

 そして、これでよかったのだろうか、と自問する。


 気まぐれで植木鉢をヴィルフリートに贈ってから、彼はよい方向に変わっていった。

 ゲルトラウデたち元学友と決別するなど危なっかしいところもあったようだが、人当たりは良くなったし物腰も柔らかくなった。フローラたちだって、かつてヴィルフリートが低魔力者差別主義者だったと聞いても、「ヴィルフリート様が差別をしていたなんて、信じられない……」と言っているくらいだ。


「マックス」

「はい」

「……ありがとう」


 罵倒の言葉が飛んでくると思いきや、飛んできたのは思いがけず柔らかい声音で発された感謝の言葉だった。


 ヴィルフリートは振り向き、少しだけ赤い目を擦って柔らかく笑った。


「木は消えてしまったけれど……でも、きっと大丈夫だ。俺、冴香に会えてよかった。冴香に会うきっかけをくれたマックスにも、感謝している」

「……無理はしなくていいのですよ」

「無理なんてしていない。……あの、さ」

「はい」

「この植木鉢だけでも保管していていいと思う? その……重い男だと思われないかな?」


 遠慮がちに言う彼はどうやら以前、指輪のことでマクシミリアンに「想いが重い」と言われたことを気にしているようだ。


 マクシミリアンは肩を落とし、目を閉じて頷いた。


「……それくらいなら、いいでしょう。ヴィルフリート、皆が心配しています。一旦降りましょう」

「分かった」













 割れた植木鉢は、マクシミリアンが持ってきてくれた箱に入れて大切に保管しておくことにした。


 だがその数日後。

 研究所で魔法器具の開発を行っていたヴィルフリートは、ふと自分の左手薬指にぴりっと痛みが走ったことに気づいた。


「いっ……?」

「どうした、ヴィルフリート?」


 同じ部屋で作業していた仲間に尋ねられたので「何でもない。気のせいだ」と答えながらも、ヴィルフリートは食い入るように自分の左手の甲を見つめていた。


「……冴香?」


 少しだけ嫌な予感がした。

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