26 美女との遭遇
その後、私たちは陛下お気に入りというお菓子をたくさんいただいたので満腹になって部屋を辞した。
このまま一緒に屋敷に帰る予定だったけれど、ヴィルはさっき魔術研究仲間に、研究所に顔を出すよう頼まれていた。ちょうど何か新作魔法器具の試作品を作っているところらしく、「ちょっとだけ様子を見てくる」とのことだった。
魔術への耐性がゼロの私はやっぱり、ときには危険な魔術が飛び交ったり失敗作の魔法器具が暴れたりすることもある研究所には近寄らない方がいい。
そういうことで私は彼を待つ間、庭園散策に行くことにした。さっきヴィルと一緒に地上三階から見たときから、行ってみたいと思っていたんだ。
私が庭園散策を申し出るとヴィルは少し考えたものの、「魔術研究部署の研究者を付けること」を条件に許可してくれた。すぐに研究所の新人だという若い女の子が呼ばれ、ヴィルを見送ったあとで私は彼女を連れて庭園に向かうことにした。
「お仕事中にごめんなさい、よろしくお願いします」
歩きながら私がそう言うと、私を案内してくれている女の子はきれいに編み込んだお下げを揺らしながら首を横に振った。
「とんでもないです。そもそも私は下っ端なので、お客様のご案内や誘導、護衛などが主な仕事なのです。それに、シュタイン卿の奥様を間近で拝見できて嬉しいばかりです」
女の子――見た目は二十歳くらいだけど、たぶん十代後半だ――は二重の大きな目を見開いてそう力説する。
「奥様はご存じですか? シュタイン卿は陛下のご学友で、才能豊かなお方なのです! 陛下からの信頼も厚いし、私みたいな新人にもお優しいし、いつも斬新でイケてる魔法器具を開発されるし……マジすごい方なんですよ!」
「お、おう」
最後らへんちょっと素が出たっぽいけれど、彼女がヴィルのことをいかに尊敬しているのかは伝わってきたし、なんでヴィルが陛下に対してわりとぞんざいな物言いをしているのかもなんとなく分かった。
さっき陛下も言っていたけれど、ヴィルと陛下は学友なのか。……ということは二人は同い年なのかな。
学院にいた頃は陛下も王太子だったんだろうけど、王子様と対等に接するヴィルは学生の頃から相当の地位を確立しているし、今でも陛下から友人としての立場にいるってことか……王様にとっては、一人くらいそういう人間がいた方がいいのかもね。
女の子は私と会話をしたことで一気に緊張を解いてくれたようで、その後は庭園を歩きながら花の種類や研究所のことなど、いろいろなことを教えてくれた。
そうして分かったのは、ヴィルは研究部署の皆から頼りにされているってこと。城の騒がしさが好きではないヴィルは学院卒業後すぐにリリズの町に移り住んだけれど、研究所の皆とは積極的に交流を持つようにしているそうだ。
国王陛下の学友であり、「シュタイン卿」と呼ばれるほどの才能も持つ彼だけど物腰は基本的に柔らかいし、穏やか。それに身分や魔力で人を判断しないという点も高く評価されているという。
……ヴィルのことを褒められると、やっぱり嬉しいな。
「本当は研究所も是非ご案内したいのですが、奥様は魔力をお持ちでないそうなので、ちょっとそれは難しいですね」
「そうですね。興味はあるのですが、ヴィルからも注意を受けていますので」
「だったら仕方ありませんね。あ、でも何か気になることとか知りたいことがあれば、いつでも私たちにお申し付けください!」
散策途中に見かけた石のベンチに座っていたら、女の子はそう言って胸を張った。「シュタイン卿の奥方のためなら尽力を惜しまない」と、口以上に雄弁にその瞳が語っていて、その微笑ましさに思わずくすっと笑ってしまった。
――そこへ。
「……あなたがヴィルの奥方?」
さわり、と葉と葉が擦れ合う音に混じり、凛とした女性の声が庭園の静かな空に響いた。
私たちの正面には金属製のポールで作ったアーチがありのれんのような布がはためいていたのだけれど、その布をかき分けて若い女の人が姿を現した。
私や私の隣に立っている女の子よりずっと背が高い。光沢のある濃紺のローブはヴィルたちが普段着ているものとはまったくデザインが異なっていて、体のラインにぴったり沿っているので妖艶なシルエットを醸し出している。……うわぁ。胸、すごく大きい……巨乳子も真っ青なレベルだ……。メロンでも入っているのかな……。
額の真ん中で分けられきついウェーブを描く髪は日光を浴びて眩しいほど輝く金色で、背中のあたりまで垂れている。目尻のつり上がった緑の目は眼光が凄まじくて、ただじっと見られているだけでも睨まれているような感覚に陥ってしまう。
彼女はほっそりとした指先でレースのような模様ののれんを捲り、腰に手をあてがった。そんなさりげない仕草一つでも同性なのにドキドキするほど色気たっぷりで、思わず目のやり場に困ってしまう。
「……質問をしているのだけれど? あなたがサエカ・シュタインかと聞いているの」
「え? ……あ、はい。そうです」
まずい、と私の胸をひやっとした汗が伝う。
お供を付けずに城の庭園を歩ける人物。彼女の名前も身分も知らないけれど、一般市民じゃないのは確かだ。そんな彼女に名を尋ねられたのに返事もせずまじまじと見つめるなんて、無礼だ。
……ヴィルの信頼を失墜させるような行為をしてはならない。
落ち着いて、応対しないと。
とはいえ美女の名前を知らないためこれ以上何も言えない私を気遣ってくれたのか、最初はおどおどしていた女の子が背筋を伸ばし、お辞儀をした。
「し、失礼します。ゲルトラウデ・マルティン様。シュタイン卿夫人に何かご用でしょうか」
勇気を振り絞った様子で、女の子はローブの裾をぎゅっと掴んでいる。彼女のおかげで、美女が舌の噛みそうな名前を持つことが分かった。ありがとう!
でも美女ゲルトラウデは高みから女の子を一瞥したのみで、目を細めて私を見つめてきた。
……いや、もしかしなくてもこれは、本当に睨まれている……?
――どくん、と心臓が大きく脈打った。
「……そう、あなたが噂の人なのね」
美女はどこかねっとりとした口調でつぶやくと、ふいっと私に背中を向けた。そのまま振り返ることはなく、彼女は金色のカーテンを揺らせながらのれんをかき分け、あっという間に去ってしまった。
美女の姿が見えなくなると、私はすとんと肩を落とした。いつの間にか方にすごい力がこもっていて、体が硬くなっている。
「……何だったの?」
ぽつんとつぶやくと、ベンチの背もたれに身を預けていた女の子はふるふると首を横に振った。
「わ、分かりません。……すみません、奥様。私、うまく対応できず……」
「え、いいのですよ。あなたがいてくれなかったら私、困っていたと思いますから。むしろ、気遣ってくれてありがとうございます」
なおも謝ろうとする女の子をなだめ、私たちは庭園をあとにした。
そろそろヴィルが戻ってくるだろう、ということで廊下を歩くけれど、さっきぽつんと浮かんできた不安の種がゆっくり芽吹いていたのを感じていた。
今の人は、誰?
私と同じく、ヴィルのことを愛称で呼んでいたのはどうして?
あんなに憎しみを込めた眼差しで見つめてきたのは、どうして?
「……さっきのこと、ヴィルには言わないでください」
前を向いたまま言うと、隣ではっと息を呑む気配がした。
きっとこの子は、ヴィルにさっきのことを報告するだろう。彼女は私の案内役でもあるし護衛なので、ゲル……ゲルル……なんかすごく発音しにくそうな名前のあの美人さんが私を睨んできたことも言うはずだ。
でも、私はあえてそれを阻止する。
女の子が何か言いたそうにこちらを見ているのに気づいていた。でも私は彼女を見ず、廊下の向こうから歩いてくるヴィルの姿を目にし、背筋を真っ直ぐ伸ばす。
さっき睨まれたのはきっと、私がおどおどしていて礼儀正しい態度を取れなかったから。ならば行いを反省して、次に生かさないといけない。
私の意思を尊重し、守ってくれるヴィルの思いに報いるためにも。
優秀で優しい魔術師として皆から慕われる、彼の名誉を汚さないためにも。
「ヴィル」
私は、夫の名前を呼んだ。
不安も疑問も何も感じさせない、我ながら完璧な笑顔を浮かべて。




