15-2
ほのかにリキュールの香る氷菓は口直しにぴったりだった。
「ヴィヴィ嬢の話を聞いて思い出したんだが」
ソルベを一口で片付けたクレオスが話し出す。
「墜落から生還したってのに、喜ぶどころか狐に魔法をかけられたような気分になったことがあるんだよな。あれは大陸戦争の前だから、もう七年前になるか」
「それは初耳だね。よかったら聞かせてくれないか」
フスタファの言葉にうなずき、クレオスが話し出す。
「あれはマナルナ聖教国を飛び立ち、母国ディーツラント帝国へ向かう途中だった。東マナルナ海の上空でエンジントラブルを起こした俺は、ピエルシナ王国への不時着を試みたんだ。この場に集う諸君なら、国の名前くらいは知っているな」
ぐるりと見回すクレオスに、皆がうなずく。
「白い粉と黒い粉。砂糖とコーヒー豆の輸出で有名だよね」
「……ここ数年は文字通りの意味になったらしいね」
ヴィヴィの言葉にフスタファが応えた。
ピエルシナ王国は、東マナルナ海の南東に浮かぶ島国だ。国土の九割を覆うジャングルに諸部族が入り乱れ、海岸部にあるわずかな平地を支配する一族が王を名乗り、諸外国と交易を行っている。主な産物は砂糖とコーヒー豆だ。
シャイアとマナルナ、犬猿の仲の両国と距離が近く、経済的な繋がりも強いため、麻薬の流入を警戒する両国とは微妙な関係にある。同時に両国を牽制するために軍事的にはエングランドやケルティシュ、ディーツラントとの繋がりが強く、よく言えばしたたか、悪く言えば節操のない国というのが国際的な評価だった。
「知っての通り、あの国は熱帯のジャングルに覆われてる。正面から突っこんだら木に激突して天国行きだ。フェリクスのじいさんやヴィヴィ嬢ならどうする」
「パラシュートは使えなかったんだね」
「双発の片割れが火を噴いて、姿勢の維持で精一杯。荷物の投棄もできず、樹上ぎりぎりを飛んでいたと考えてくれ。思考を巡らせる猶予はなかった」
「失速気味に機首を上げて、なるべくふわっと機体を落とす、かな。ジャングルなら樹木が生い茂ってるだろうし、上手くクッションになってくれると期待して」
「まさしくその通りだ、ヴィヴィ嬢。俺は残ったエンジンもカットして、尾翼が樹冠を叩くのを感じた瞬間、手足を突っ張って、そして神に祈った。直後にすごい衝撃が来て、気付けばバラバラの機体と一緒に木に引っかかった状態だった。
燃料を捨てるヒマはなかったから、ぐずぐずしてたら焼死の危険もあった。何とかしてベルトを外そうと思ったんだが、宙吊りの状態で左手と右足の骨折、おまけに全身打撲でくらくらしてるザマでな。ちょうどスコールが降ってきて、これで焼け死ぬ危険はないなと思ったら、急に気が抜けて意識を失っちまったんだ。
気付いた時には、誰かの背中の上だった。骨折と打撲の痛みに加えて、頭痛も酷くてな。喉は渇ききってて、獣みたいに唸るのが精一杯だった。そうしたら俺を背負っていたやつが、適当な場所で降ろして水を飲ませ、パイプを勧めてくれたんだ。
これ幸いと思いっきり吸いこんだら、急に楽になってな。そのまま意識を失って、こんな時だってのにやたらと楽しい夢を見たんだ。ああ、これが天国か、今度こそ俺は死ぬんだなと、そう思ったね。まあ、次の瞬間には全身の痛み、渇きと空腹、この世のあらゆる苦しみを煮詰めたような苦痛と共に目覚めたわけだが」
一気に喋ったクレオスが、ワインで唇を湿らせる。
「共通語は一切通じない、原住民の村だった。怪我したところに凄まじい臭いの薬を塗りこんで、葉っぱで包んでくれるんだ。こっちとしては助けてもらった恩もあるし、そもそも痛みと発熱で身動きが取れないから、なすがままにされるしかない。
朦朧としながら数日を過ごしたんだが、とにかく暑くて眠れない。痛みも引かなくて夜中にうんうん唸ってたら、俺の面倒を見てくれていた村人がパイプを差し出すんだ。背負って運ばれる時にも吸ったやつだ。そいつを吸っている間だけは楽になったから、その後もちょくちょくねだってみたんだが、手振りが通じなくて苦労したよ。
ようやく起き上がれるようになっても、何だか夢の中にいるみたいにふわふわして、幻覚や幻聴に悩まされてな。倦怠感も酷くて長くは起きていられなかった。杖にすがって村の中を歩けるようになるまで一ヶ月はかかったかな」
「話が長い。おれが天に召されるまで口を閉じないつもりか」
車椅子の老人リオネルが、舌打ちしてから吐き捨てる。
取りなしたのは褐色の肌を持つフスタファだ。
「狐に魔法をかけられたような気分になった、とクレオスは言った。話の流れから考えて、その村で不思議な体験をするか、何かを見るかしたんだろう?」
「その通りだ。まず驚いたのは、村人がほとんど喋らないことだな。彼らはお互いにすれ違っても挨拶を口にしないし、世界共通の光景である女たちの立ち話も見かけないんだ。それまでは俺を看病していた男が無口なだけかと思ってたんだが、数十人の村人が揃って言葉を口にしないというのは妙な話だろう。それでいて、彼ら同士は問題なくコミュニケーションが取れている様子でもあるんだ。なぜだと思う?」
考えてみてくれ、と言わんばかりにクレオスが手を広げる。
「身振り手振り、ボディランゲージじゃないかな」
誰もが思いつくだろう回答を、まずヴィヴィが挙げる。
「そう、それがひとつ。言葉が分からん俺に対して、村人は身振り手振りで意思を伝えようとしてくれた。彼らは基本的に他人とコミュニケーションを取るのが好きだし、それが得意でもあった。ボディランゲージと表情でだいたい伝わるんだ」
「誰も喋らないのに、コミュニケーションが得意か。矛盾しているように聞こえるね。クレオス君、もう少し具体的なエピソードを聞かせてくれないかな」
おもしろがるフェリクスに、クレオスがうなずく。
「俺を助けて、看病してくれた男はハヤンという名前でな。それまで彼が口を利くのを見たことがなかった俺は、ただ〝ハヤン〟とだけ言われて、それが名前だと最初は分からなかったんだ。しばらく経ってから名前だと気付いて、俺も〝クレオス〟と名乗ると、彼はうなずきもせず、ただ微笑むんだ。彼は本当に無口だった。
けど、彼と二人でいて間が持たなかったり、気が塞いだりしたことはなかった。身振り手振りでやり取りはできたし、それ以上に表情が多くを伝えてくれた。ハヤンの微笑みは実に雄弁で、同意であり、否定であり、共感であり、忠告であり、憤怒であり、冗談でもあった。そして彼はヒマさえあれば口笛を吹いていた。それがまた上手くてな。思わず聞き惚れてしまうんだ」
そう言って、クレオスが口笛を吹く。聞き慣れない、美しい異国の旋律だ。
「くそ、上手く吹けんな。俺の下手くそな口笛からは想像もつかんだろうが、どんなに美しく歌う鳥であっても、彼らのそれには敵わんだろうよ。ああ、そうだ。口笛が上手いのは彼だけではなく、村人全員がそうだった。老若男女を問わず、村は朝から晩まで、どこからか聞こえる心地よい旋律に満たされていたんだ。
ある日、俺はハヤンに誘われて外に出た。その日も彼は口笛を吹きながら友人の家まで歩いていったんだ。友人は黙って微笑み、俺たちを迎えてくれた。中に招かれて、俺は驚いた。すでに三人分のお茶がコップに注がれていたんだ。まるで俺たちの来訪を予期していたようだが、ハヤンは驚く素振りも見せないんだよ」
「おれにはただの偶然としか思えんがな」
「遠くから二人が歩いてくるのを目視した可能性もある」
リオネルとフスタファが茶々を入れ、クレオスが笑ってうなずいた。
「俺も最初はそう思ったよ。でも、一回や二回じゃないんだ。どこへ行っても相手は俺たちが来ることを事前に知っているし、ハヤンと離れて動くようになってもそれは変わらなかった。どうも偶然や監視によるものとは思えないんだ」
「では、クレオスの観察が正しいと仮定しよう。村人たちはボディランゲージに加えて、何らかの言葉によらないコミュニケーション手段を持っていた。それにより彼の行動は村人の間で筒抜けになっていた。その手段とは偶然や天性の勘、あるいは監視ではない。ここまで、僕の認識に間違いはないね」
フェリクスが議論を整理して、皆がうなずくのを見て続ける。
「これらを踏まえて、僕から質問だ。その手段について、クレオス君は何らかの仮説、あるいは最終的な解答を持っているだろうか。つまり、ここまでの内容から合理的な解答が導き出せるかどうか、これが相談なのか出題なのかを確認したいんだ」
「ははっ、流石はフェリクスのじいさん、目の付けどころがいい。答えはイエスだ。この問いかけへの解答は存在する。つまりこいつは出題だよ」
「なるほど。なら、僕はしばらく黙っていることにしよう」
「え、じいちゃん分かったの?」
フェリクスが黙って微笑む。
「もったいぶるな。貴様の答えが合っている保証などなかろう」
「間違っていたら僕を笑うといいさ。そうだろう、リオネル」
ふん、と鼻息で答えてグラスを傾けるリオネル。考えるのは下々の役目とでも言わんばかりの態度だ。かなりの量を呑んでいるはずだが、微塵も酔う気配がない。
「私も思いつきはしたが……いや、そんなことが本当に可能なのか?」
自問してはいるが、フスタファも答えに至ったらしい。この場にいるメンバーの半数以上が思いつくなら、それほど飛躍した答えではないはずだ。
クレオスの話を思い返す。彼が最初から答えを念頭に置いて話していたなら、話された内容にはそれぞれ意味があったはずだ。強調したり、繰り返されたりした言葉はなかっただろうか。順に思い出していくと、思い当たるものがあった。
「え、、もしかして」
気付いてみれば、それしかないという答えだ。
「口笛。だよね、じいちゃん」
「うん。おそらくそれが答えだよ」
「信じられない。口笛で会話する民族だなんて、そんなことできる人たちが本当にいるんだ。でも、実在するんだよね。おもしろい。ぼくも習ってみたいな」
考えてみれば、特に訓練などしなくとも声で人を識別しているのだ。口笛の音色で誰の口笛か分かっても不思議ではない。音の高低や遷移、節の付け方やリズムなどに共通の認識があれば、日常会話を口笛だけで成立させるのも不可能ではない。
「フェリクスのじいさんやフスタファが気付き、ヴィヴィ嬢が口にした通り。彼らは口笛でコミュニケーションを取る民族だった。これが解答で間違いない。なんだ、俺は気付くまで一ヶ月もかかったのに、あっさり気付かれてしまったな」
クレオスが苦笑していると、アンリが料理を運んできた。
「仔牛のフィレ肉ソテー、カシスソース仕立てでございます」
きめ細やかで柔らかい肉質をレアで焼き上げ、酸味と甘みのほどよく調和したソースによって、赤身肉の持つほんのりとした甘みを引き立てている。
ちょうど話が一段落ついたので、自然とメインディッシュに集中する流れになる。それも計算してサーブしているのだろうか。まさか、偶然だろうと笑い飛ばすには、ここまで全ての配膳があまりにもスムーズ過ぎたようにも思う。
アンリ。愛想の欠けた老給仕は、どこまで先を読んでいるのだろうか。クレオスの話す口笛で会話する民族もそうだが、彼もまた興味深い存在だった。




