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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十五話 糸切れ凧はどこへ落ちたか
95/99

15-1

「僕の提案を聞いてくれるかな、かわいいヴィヴィ」

 祖父フェリクス・ヴェルヌは、気楽な調子で孫娘のヴィヴィエーヌに切り出した。

「なに、じいちゃん」

「明後日、旧友とのディナーがあるんだ。君も一緒にどうかと思ってね」

「かしこまったのは苦手だよ、ぼく」

「ただの旅行好きの集まりだよ。堅苦しい席じゃない」


 その日、ヴィヴィは再建を終えたヴェルヌ社の第一工場の事務所にいた。タンクトップにホットパンツという軽装で、小柄な身体をだらしなく椅子に預け、読んでいた航空冒険小説にも飽きて机に伏せたところだった。大手航空機メーカ、カーライト社のテストパイロット職を失っての出戻りである。


 大陸戦争と央海戦争、いわゆる〝双子の戦争〟の終結から三年。直後に起こったシャイア帝国の内戦と分裂から数えても二年が経った。戦時の速成教育で大量に生み出され、運よく生き延びた操縦士が戦地から戻ったため、アルメア国内は操縦士の供給過剰に陥っている。ヴィヴィの失職もその煽りを受けてのものだ。


 端的に言って、彼女はものすごくヒマだった。


 今こうしてヴェルヌ社にいるのも、ヴィヴィが社長であるフェリクスの孫娘であり、子供のころから工房に入り浸っているため古株の工員には娘のようにかわいがられているからであって、特に仕事があるわけではない。ただの穀潰しだ。


 そんな彼女を放っておいてくれる祖父の頼みだ。無碍にはできない。


「どうせヒマだし、おいしいものが食べられるならいいよ」

「保証しよう。レストラン〝ル・ヴァレ〟の料理は絶品だ」

 名前の響きから、ケルティシュ料理だろうと見当を付ける。

「知らないお店だな」

「ちょっと遠いんだ」


 ちゃりちゃりと車の鍵を回しながらフェリクスが言う。

 なるほど。そういうことなら。


「いいよ。ご馳走になる代わりに、ぼくが運転する」


 ヴィヴィが気を利かせて言うと、彼はにやりと笑みを浮かべる。

 嫌な予感がしたが、もう手遅れだった。祖父が鍵をポケットへ戻して言う。


「そうかい? じゃあ、出発は明朝。目的地はケルティシュ共和国、パルリッスだ。行きはその服装でもいいけど、ドレスはちゃんと用意しておくようにね」

「ええ……ドレスなんて持ってないんだけど……」

「嘆かわしいことだね。お小遣いをあげるから、向こうで買うといい」

「いいよ、それくらい自分で買うから!」


 安請け合いをするものではない。

 八千キロの彼方にある異国への送迎役に任じられ、心の底からそう思った。



 とは言え、そこまで嫌なわけでもない。


 空を飛ぶのが好きだ。

 異国の空気を肌で感じるのも好きだ。

 だから、ユベールと一緒に飛んでいたころは楽しかった。

 当時は喧嘩ばかりしていたけれど、それも今となっては懐かしい思い出。


 あいつは今、何をしているだろう。

 冬枯れの魔女、フェルリーヤ・ヴェールニェーバ。あの小さくてかわいい航法士のお嬢さんと一緒に、この空のどこかで飛んでいるのだろうか。


 空はあまりにも広くて、知り合いとすれ違うなんて奇跡は滅多に起こらない。そう分かってはいるけれど、ふとした瞬間に機影を探す自分がいる。万が一の空中衝突を防ぐという意味合いはあるけれど、決してそれだけでもない。


 飛行機乗りなら、きっと理解できるだろう。

 この広い空で、自分以外の誰かの存在を感じられる喜びを。

 相手に見えるわけでもないのに、微笑みたくなるような、そんな気持ちを。


 急ぐ旅ではない。ヴェルヌ社のある西海岸を飛び立ち、アルメアを横断。東海岸にあるカルニア州で一泊し、翌日に太極洋を横断。昼過ぎには目的地であるケルティシュ共和国の首都パルリッスに到着し、ホテルに荷物を降ろせた。


 部屋で休むというフェリクスを残して買い物や散策で時間を潰し、約束の時間になったら着替えて合流。それから〝ル・ヴァレ〟へ向かう手筈だ。


 ホットパンツにフライトジャケットを羽織ったラフな格好でブティックに足を踏み入れて白い目を向けられたが、気にせず店員にお任せでドレスをあつらえてもらう。それとなく髪も整えるよう勧められたので、美容院にも寄ってから合流した。


「見違えたね。今夜は君から目を離せなくなりそうだよ。流石は僕の孫娘だ」

 ロビーで落ち合うと、冗談めかして目を丸くしながらフェリクスが言う。

「もう、ぼくをからかってるの?」

「とんでもない。ヴィヴィ、今夜の君はとてもチャーミングだよ」

「そう。ま、悪い気はしないけどさ」


 ヴィヴィが差し伸べた手を、フェリクスが恭しく取って歩き出した。


 蝶ネクタイとジャケットを隙なく着こなす老紳士にエスコートされ、歴史ある街路をゆったりと歩む。ヴィヴィ自身も黒のワンピースと赤いパンプスに身を包み、普段は適当にくくっている金髪を丁寧に編みこんでバレッタで留めている。


 表通りを歩いていると、外壁のところどころに銃撃の痕が見て取れる。先の戦争で起きた市街戦の痕跡だ。痛ましい光景だが、他国の大都市と比べれば街並みや歴史的建造物が燃えずに残ったという点でパルリッスは恵まれていると言える。なんでも、都市を占領していたディーツラント帝国のダーリング将軍なる人物が、上層部から下された〝パルリッスを灰燼に帰さしめよ〟との命令を蹴ったのだそうだ。


 ご立派なことだと思う。最初から戦争なんてしなければ完璧だった。


「そういえば詳しく聞いてなかったけど、今日はどんな集まりなんだっけ」

「僕がまだ若い時分、方々を巡る内に知り合った旅行好きの仲間で結成した会でね。カイトフライヤ、つまり〝凧揚げ人〟が会の正式名称だ。糸の切れた凧みたいにふらふらしている僕らだが、年に一度くらい地上から糸を引かれ、集まって話すのもいいだろう。そんな意味をこめて名付けた、気楽な歓談のための場だよ」

「ふうん……じゃあ、おじいちゃんばっかりなんだ」

「そうでもないさ。会員には旅先で知り合った友人を推薦する権利があるからね。もっとも、今日の顔ぶれがどうかは行ってみないと分からない。原則として参加は自由だし、中止していた時期もあったからね。僕もここを訪れるのは四年ぶりだ」


 カイトフライヤは〝空手形の振出人〟という意味も併せ持つ。

 なるほど、参加自由の会に付ける名前としてふさわしい。


「じいちゃん、工場再建で忙しかったからね」

「僕もいつまで来られるか分からない。今のうちに紹介しておこうと思ってね」

「縁起でもないよ……」


 ヴェルヌ社のあるサンシア州は、航空産業が発達している。先の戦争ではシャイア軍の爆撃の標的となり、多くの工場が壊滅的な被害を受けた。ようやく再建が叶い、内陸のチェレン湖沿いにある第二工場から戻ってこれたのが一年前だ。


 世界はようやく戦災から立ち直りつつある。


 戦争している方が新しい機体を乗り回せて楽しかったのに、という思いはあるが、自分のような人でなしではない多くの人間にとっては、平和な世界の方が望ましいのだろう。戦争で中断していた世界各地のエアレースも再開に向けた動きを見せているし、今は我慢のしどころだと弁えているヴィヴィである。


「着いたよ。ここが〝ル・ヴァレ〟だ」

「ん、ここ?」


 表通りから一本入ったところにある、隠れ家のような店だった。言われなければ、扉の上にかけられた小さな店名のプレートにも気付かなかっただろう。扉を開くと、控えめなカウベルの音色。柔らかい物腰の若者が出迎えてくれた。


「ようこそおいでくださいました、ヴェルヌ様。お待ち申し上げておりましたよ」

「おや、ラコスト君じゃないか。君が出迎えてくれるとは……いや、失敬」


 声のトーンがわずかに落ちた。よく見ると、ラコストと呼ばれた青年の右手に違和感がある。白手袋で覆われたその手は、おそらく義手だ。


「お気になさらず。包丁こそ握れなくなりましたが、元気でやっております」

「うん……君に会えて嬉しいよ。こちらは孫のヴィヴィだ」

「初めまして、ヴィヴィ様。〝ル・ヴァレ〟へようこそ。さあ、奥へどうぞ」


 ラコストに促されて奥へ進むと、まるで待ち構えていたように扉が開く。白髪を綺麗に整えた、細身の老給仕が絶妙なタイミングで開けてくれたのだ。


「やあ、アンリ。君にまた会えて嬉しいよ」

「それはよろしゅうございました。ブランデーをお持ちいたします」


 素っ気ないが、なぜか失礼だとは感じさせない口調と態度。アンリと呼ばれた老給仕は、目線だけで飲み物はどうするのかとヴィヴィに問うた。


「ぼくはビール」


 表情で軽蔑を表された。隠す素振りもない。


「アンリ、ブラックチェリーのフルーツビールがあったね。あれなら食前酒としてもぴったりだ。持ってきてくれ。ヴィヴィもそれでいいだろう?」

「うん、いいよ」

「かしこまりました」

 慇懃に一礼して、アンリが出ていく。おもしろい人物だ。

「やあ、かわいいお嬢さん。いきなりアンリの洗礼をお見舞いされたね」


 くすくすと笑いながら声をかけてきたのは、先に食卓についていた褐色の肌の男だ。日焼けではなく、地肌の色。おそらくサウティカあたりの出身だろう。


「フスタファ・ジャマール。美術を扱う商人さ。いや、久々にフェリクスさんが顔を見せたと思えば、目の覚めるような美人を連れてのお出ましとは」

 大袈裟な身振りで親愛の情を表す伊達男に、フェリクスが笑って応える。

「僕の女だ。手を出すなよ、フスタファ」

「じいちゃん、あのね……いいけどさ。ぼくはヴィヴィエーヌ・ヴェルヌ。フェリクスの孫で、飛行機乗りなんだ。ヴィヴィって呼んでよ、フスタファさん」

「親しみをこめてフスタファと呼んで欲しいな、ヴィヴィ」

「よろしくね、フスタファ」


 ソーダの入ったグラスを手に、にっこり笑うフスタファ。残る二人の人物にもフェリクスが挨拶する。車椅子の老人と、その背後に控える執事然とした若者だ。


「リオネル。それからシメオン君も久しぶりだね。息災のようで何よりだ」

「相変わらずつまらん挨拶をするな、フェリクス。おれが息災だと、一目見ただけの貴様にどうして分かる。おれが不治の病に冒されたと知っての皮肉か?」


 透き通った赤色で満たされたグラスを手に、車椅子の老人が吐き捨てる。中々強烈な人物のようだ。背後に控えていた若い執事が肩をすくめ、目を回して見せた。


「シメオン。おれの目が節穴だと思ったら大間違いだぞ」

「さて、おっしゃる意味が分かりかねます。ともあれ、背後に立つ相手の心中をも見透かす旦那様の眼力は変わりない様子。このシメオン、感服いたしました」

「聞いたか、フェリクス。おれの周りには心にもないことを言う輩しかおらん」

「彼を手元に置いているのは君だろうに」


 わざとらしく嘆くリオネルと、軽く流すフェリクス。こういったやり取りを普段から重ねているのだろう。こちらの主従も楽しい組み合わせのようだ。


「リオネルさん、それからシメオンさん。初めまして、ぼくはヴィヴィエーヌ・ヴェルヌ、飛行機乗りです。お目にかかれて光栄に思います」

「もう聞いた。それともおれは耳が遠いと見えたかね」

「お気になさらず、ヴィヴィ様。トゥーセル伯リオネル・エルヴェシウスにお仕えするシメオンと申します。私のことは、ただシメオンとお呼びください」


 如才なく主人の名前と立場を紹介しつつ名乗るシメオン。トゥーセル伯と言えば、ケルティシュ共和国南部の大貴族だ。尊大な態度も納得だった。


 フェリクスとヴィヴィが席に着くと、会話の切れ目を見計らったようにアンリが戻ってきた。琥珀色のブランデーと、泡で蓋をされていなければワインと見紛うような紅色のフルーツビールだ。特に乾杯などはしないスタイルらしく、フェリクスに促されて口に含む。口一杯に甘酸っぱさが広がり、爽やかな余韻が残った。


「これ、好きだな」

「そうだろうと思いました」


 表情も変えずにアンリが言う。客が興味を示したのに、銘柄の説明すらしない。人によっては馬鹿にされていると怒りだしても不思議ではない。


「今日はこれだけかい」

「クレオス様がいらっしゃる予定でございます」

 フェリクスとアンリのやり取りに、リオネルが苛立った声を上げる。

「あの遅刻魔か。待ってはおれん。もう始めて構わんぞ、アンリ」

「お約束の時間になり次第、前菜をお運びいたします」


 トゥーセル伯リオネルの催促を、一切の躊躇なく受け流すアンリ。おもしろい連中だろう、と言いたげなフェリクスの視線を受けて、ヴィヴィはうなずいた。


 時計の長針が約束の時間を告げるその瞬間に、最後の人物が扉を開ける。


「おっ、間に合ったみたいだな。アンリ、ウイスキーのソーダ割りを頼む」

「阿呆め。とっくに始めるべきところを、貴様のために待たされておったのだ」

「はは、リオネルのじいさんが俺のために待っていてくれたと。おもしろい冗談だな。帰りは雷に打たれて死なないよう、気をつけて帰るとするよ」


 リオネルが舌打ちし、アンリはいつの間にか姿を消していた。


 騒々しく登場したのは、小柄ながら鍛え上げた身体を持つ男だった。金髪に碧眼という容姿、訛りから見てディーツラント人だろう。きびきびした動きで椅子に座ると、居並ぶ面々の顔を見渡して人懐こそうな笑みを浮かべる。


「そちらのお嬢さんは新顔だな。俺はクレオス・ロッホ。まあ、見ての通りディーツラント人だ。このご時世、色々と思うところはあるかも知れんがよろしく頼む」


 侵略者であり、敗戦国であるディーツラント出身者は、終戦から三年が経った今でも大小の差別を受けると聞く。彼はそのことを言っているのだろう。


「ぼくはヴィヴィ。飛行機乗りで、フェリクスの孫だよ。よろしくね」

「おお、飛行機乗りとは。奇遇だな、実は俺もなんだよ。いや、フェリクスのじいさんの孫となればそれも当然か。何にせよ、お仲間が増えるのは喜ばしい」

 素直に喜びを表すクレオス。にこにこと笑う彼にフェリクスが言う。

「久しいね、クレオス。大陸戦争が始まって以来か。再会を祝して乾杯しよう」

「ああ、それについてはおもしろい話がある。聞いてくれよフェリクス」

 アンリからグラスを受け取ったクレオスが、笑いをこらえられないように言う。

「なんと、この冒険家クレオスこそ、アルメアにおけるディーツラント人捕虜、その第一号なんだ。世界一周旅行のため、故国を飛び立ってアルメアに着陸する間に戦争が始まったみたいでな。空港に降りた瞬間に銃で囲まれ、そのまま収容所送りときた。おかげで命を拾ったんだから、運がよかったのか悪かったのか」

 冗談めかして肩をすくめるクレオス。同情したようにフェリクスが言う。

「それは難儀だったね。僕を頼ればよかっただろう」


 フェリクスは顔が広く、軍の上層部にも友人が数多くいる。釈放とまではいかなくとも、収容所での生活が快適になるよう様々な便宜を図れたはずだ。しかしクレオスは快活に笑って、ゆっくり大きく首を振った。


「ああ、それも頭をよぎった。だが、友に迷惑をかけたくはなかったしな。こればかりは巡り合わせと言う他はなかろうさ。なるべくしてなったんだと俺は思う」

 空気を切り替えるように、クレオスがグラスを高く掲げる。

「ともかく乾杯だ。糸の切れた凧どもに!」

「……えっと、乾杯」

「乾杯だ」


 ヴィヴィとフェリクスを除けば復誦する者はおらず、各自が思い思いにグラスを掲げ、その中身を干していく。クレオスは大いに頬を膨らませる羽目となった。


 酒を飲まないフスタファを除き、各自のグラスに白ワインが注がれる。老給仕アンリは、素晴らしく丁寧で正確な所作で食卓を囲む五人に前菜をサーブした。


「鮭のカルパッチョ、シェリービネガーのジュレ添えでございます」


 ワインの来歴、食材の産地や鮮度、調理の工夫。高級店では給仕から説明が加えられ、客は耳でも料理を味わうのが一般的だ。しかしアンリのやり方はその真逆。最小限の説明は皿上の料理に付け加えるものは一切ないという自負の表れなのか、最適な状態で味わうための的確なサーブにのみ専念するのが彼の流儀らしい。


 前菜に舌鼓を打ちながら、今夜は不参加の会員も含め、互いの近況について話す。新参者のヴィヴィにとってはよく知らない人間の話だ。話半分に聞き流しながら、鮭のカルパッチョを味わい、ワインを口に含む。とても美味しい。


 続けて供されたスープも絶品だった。


「バゲットとコンソメスープでございます」


 小賢しい修飾の一切を省いた、端的な説明。透き通った黄金の液体は、舌に乗せた瞬間、複雑に折り重なった香りと旨さを解放する。口中を切ったりしないよう、ごく軽く焼かれたバゲットも、何も付けていないのに味がした。


「さてと、そろそろ恒例のあれといこうか。俺がやっていいだろう?」


 妙に気負って言い出したのは、冒険家のクレオスだった。彼はグラスの縁をスプーンで軽く叩き、高く澄んだ音を響き渡らせてから、厳粛な面持ちで述べる。


「新たなる友人、フェリクスの孫娘にして飛行機乗りのヴィヴィ。汝に問おう」

 しかめっ面を作っていたクレオスが、にっと笑って続ける。

「汝はいかなる理由で旅をするのか。君をもてなす我らへのささやかな対価として、話を聞かせてくれ。旅立つきっかけ、あるいは旅と途中で得たもの。何でもいいんだ。無類の旅好きである俺たちに、君がしてきた旅を聞かせて欲しい」

「いいよ。それくらいお安いご用だ」


 話をするのは得意だ。特にユベールと世界各国を巡っていた時期はトラブルに事欠かなかった。印象深いエピソードの中からいくつか選んで話すと、クレメスやフスタファが大笑いしながら聞いてくれた。偏屈そうなリオネルすらも、黙って耳を傾け、ふとした瞬間に誰もがはっとなるような鋭い質問を投げかけてきた。


 その場にいる全員の注目がヴィヴィに集まっていた。料理のサーブをするアンリを除いて。仕事に忠実な彼は、皿上の料理が地鶏の半熟卵とカキのコンフィのパイ包みであることを淡々と告げて、部屋の隅へと下がっていった。


「そうそう。ぼくが旅をする理由、だったね。うん、そうだな……」


 子供のころから、フェリクスに連れられて旅をしていた。

 大人になってからは、ユベールと一緒に世界を駆け巡った。


 彼と別れてからはエアレーサーやテストパイロットとして一箇所に留まることも増えたけれど、どこかに腰を落ち着けようと思ったことは一度もない。旅をしているのは当たり前で、地上に降りるのは次に飛び立つ力を蓄えるためだった。


「えっと……ぼくはとにかく空を飛ぶのが好きでさ。いつも気分よく飛べるとは限らないし、ちょっと間違ったら死んでたなって後から寒気がするようなこともあるけど、それでも……地上に降りてくると、いつも寂しくなるんだよね」

「寂しい? ほっとするとか、疲れたとかじゃなくて?」

 クレメスだった。それは飛行機乗りである彼の実感なのだろう。

「シャワー浴びてビール飲んでベッドに飛びこみたい、とかね。それもあるよ。けど、燃料がなくなったり、目的地に着いて、もう降りなきゃいけないってなると……そう、飛び足りないって感じかな。子供が遊びをやめるのを嫌がって駄々をこねるような、そんな気分にいつもなっちゃうんだ。分かるかな」


 ユベールやフェリクスに同じ話をした時、彼らは共感を示してくれた。

 けれど、彼らの共感は〝そんな風に思うこともある〟程度のそれだった。

 空こそは自らの在るべき場所であり、重力の虜囚となるべく地上に戻る。

 ヴィヴィのそうした実感を、本当の意味で理解してくれた人間はいない。

 一度はユベールと結婚しながら、結局は一人で飛んでいるのもそのせい。

 誰も理解してくれないから、普段は口にしない。酔っているからだろう。


 場に沈黙が落ち、何となく気まずい雰囲気になる。だから笑ってごまかすことにした。場を保つためではない。単純に楽しい場が好きなのだ。


「ん、なんか変な話になっちゃったね。とにかく、ぼくは飛ぶために飛ぶ。そして、飛んだ先々で多くの人と知り合い、色々な物事を知る。ぼくにとって、旅というのはそういうものなんだ。これで、答えになってるかな」

 ヴィヴィがまとめると、はっとしたようにクレオスとフスタファが言う。

「いや、いいと思うぞ? 俺はちょっと感動したな」

「ああ、さっきのは借り物ではない、心からの言葉だと魂で理解できた。ヴィヴィ、君のことが少しだけ理解できたようで、私は嬉しく思うよ」


 二人はもちろん、カイトフライヤの会に属する他の面々もそれぞれのやり方で認めてくれた。フェリクスはただ微笑み、リオネルが肩をそびやかし、背後に控えるシメオンが如才ない笑みを浮かべる。温かく、柔らかな空気。


 最後にアンリが空になった皿を下げ、シャーベットをサーブして言った。


「リンゴのソルベでございます」

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