8-5
ユベールにとっても、ルーカの来訪は数年ぶりだった。仕事で忙しかったのもあるし、中型機のペトレールでの離着陸がおっくうだったのもある。
久しぶりに訪れてみて、やはりいい場所だと思う。運びこまれる物資は限られているので不便さや物足りなさを感じる部分もあるが、皆が同じ飛行機乗りであるという気安さがあり、、外界と隔絶された穏やかな時間が流れている。
どこまで逃げたのか、フェリクスの姿は見当たらなかった。アヴァルカ半島では放置された土地はすぐ緑に覆われてしまうため、ルーカも訪れる人間に必要な範囲でしか整備されていない。その範囲はそれほど広いものではなく、さらに外を目指そうと思ったら山刀で下生えを切り払って進まなければならない。外周を巡ってもそうした形跡は見当たらなかったため、フェリクスはルーカの中にいるはずだった。
「俺に見つからないよう動き続けてるのか? 体力のあるじじいだな……」
ぼやきながらフェルの待つコテージを目指す。裏をかいたフェリクスが舞い戻っている可能性もあったからだ。しかし扉を開けようとしたところで手を止める。中から漏れ聞こえてくる声はフェルとフェリクスのものだった。切れ切れに聞こえてくる話題はユベールについてのものらしく、頻繁に自分の名前が出てくる。
しばし迷ったが、首を突っこむのはやめておく。フェリクスを見つけるという目標は達成されたし、今のフェルにならユベールの出自――ユーシア王国の正統な後継者ユベール・ユーシアス――を知られても構わないと思えた。
そっとコテージを離れ、海岸へ向かう。捜索で汗をかいたので、風を浴びたかった。世界各国のメーカ、多種多様なカスタムが施された機体が並ぶ中、一機の水上機が目についた。実用的だが野暮ったさのある、直線的なデザイン。復座水上機『狼星』はシャイア系のメーカ『海安飛機』の開発した機体だ。
ルーカには政治を持ちこまない。それがフェリクスの決めたルールだ。アルメア領アヴァルカ半島に立地する関係上、アルメアと戦争状態にある国籍のパイロットが訪れることはまれだが、それでも皆無というわけではない。他の飛行機乗りたちもそれを咎めるような野暮はせず、黙認することが多い。
そういう意味では、シャイア国籍のパイロットがここを訪れることに問題はない。だが、露骨に顔をしかめ、舌打ちする者も少なくなかった。祖国を侵略、あるいは併合された飛行機乗りたちだ。ユベールにとっても、他人事ではない。加えて、フェルのことがあった。彼女がアルメアにいるという事実は余計な憶測を呼びかねない。最悪の場合、シャイアとアルメアの開戦の理由となる可能性すらある。
狼星の操縦席にパイロットの姿はない。白昼堂々、たった一機で乗り付けたところを見る限りフェルを誘拐が目的ではなさそうだが、鉢合わせは避けたいところだった。公式には十二歳から十五歳までの写真しか残っていないユベールと違って、その気になれば個人で戦争を起こせるフェルの顔写真は出るところには出ているからだ。
どこかで見ているかも知れないパイロットの注意を惹かないよう、停泊する狼星の側をそのまま通り過ぎてからゆっくり引き返す。民間機の飛行はかなり制限を受けるシャイア帝国において、民間の飛行家や航空会社は少ない。所属を特定する手がかりを探してそれとなく観察していると、尾翼のエンブレムが目に入った。
双頭の獅子。ユーシア王国の紋章だった。
併合された旧ユーシア領においてはシャイア帝国の紋章である龍と組み合わせた『龍と獅子』の紋章が使われているので『双頭の獅子』の紋章を使う者はほとんどいない。つまり狼星の持ち主はユーシア系の人間の可能性が高いということだ。
「こんな場所でお目にかかれるとは光栄です、ユベール様」
「コルベオか。祖国の同胞が圧政に苦しんでいるのにバカンスとはいい身分だな」
どこか酷薄さを感じさせる金髪碧眼の男の名はコルベオ。ユーシア王国の再独立を目的とするレジスタンス『眠れる獅子』の連絡役だ。彼はユベールの罵倒じみた皮肉にも表情ひとつ変えず、一方的に要件を告げる。
「フェルリーヤ・ヴェールニェーバの懐柔について、進捗を伺えますか?」
コルベオの言葉が胸に刺さる。フェルをルーシャから救い出して以来、ユベールはずっと彼女に関する情報を『眠れる獅子』に流してきた。祖国ユーシアの再興のためと言えば聞こえはいいが、信頼に対する裏切り以外の何でもなかった。途中からは罪悪感に駆られ、重要な部分はぼかして伝えていたことなど言い訳にもならない。
「報告すべき事項はない。魔法について彼女は口を閉ざしたままだ。現状、ユーシア解放への協力は望めないだろう。下手に切り出せば信頼を失うだけだ」
人を見透かすようなコルベオの視線に耐える。彼らにとってユベールの存在価値は、その血統にしかない。亡き父ヴェリリス一世に代わってシャイアが擁立したレイス六世よりは出自が確かでユーシアス王家の血が濃いユベールをフェルと結婚させ、魔法の力を持つ正統なユーシア王を得ようというのが彼らの計画だ。
馬鹿げているとしか言いようがない。
現ユーシア総督レイス六世は御年二十歳で、ユベールの曾祖父レイス四世の血を引くという触れこみだった。精力旺盛で、晩年に至るまで多くの愛妾をかこったレイス四世の落とし胤を自称する者は歴史上、定期的に現れてきた。シャイアもそこに目を付けて、操作しやすい傀儡を擁立したのだろう。
勝手にやらせておけばいい、とユベールは思う。
レイス五世が急死し、父がヴェリリス一世として戴冠するまで、ユベールは市井で育った。母マリー・ラ=トゥールもケルティシュ共和国で育った良家の娘で、王族や貴族というわけではない。ユベールが王子であった期間は三年余りに過ぎず、人生の大部分をユベール・ラ=トゥールとして過ごしてきた。王族だったユベールはもういない。今の自分は飛行機乗りのユベールだ。
それでも、魔法の力を最初に知らされたときは、もしかしたらと思った。
しかしそれは幻想だとすぐに気付いた。ユベールがユーシア王国を離れて十年余り。戦争の傷跡が完全に癒えるには短くとも、時計を後戻りさせるには長過ぎる時間が経った。魔法は万能には程遠く、世界には神話の英雄譚のように象徴たる怪物がいるわけではない。シャイア帝国を打ち倒すだけでは問題は解決しないのだ。
失われた祖国への想いはある。祖国が侵略されたことに思うところがないわけではない。だが、言ってしまえば生まれた場所に過ぎない祖国に囚われるのも馬鹿らしかった。いつか飛び立つ日が来ることを後ろめたく思う必要はないのだ。
冬枯れの魔女として自由を奪われ、あるいは自ら放棄してきたフェルには、選択の機会が与えられるべきだった。どう生きるか、何をするか。誰に憚ることもなく、彼女自身が自分の在りようを選び取るべきだ。ユベールがフェリクスにそうしてもらったように、その機会を彼女が手にするのを手伝いたいと今は思う。
コルベオはじっとユベールに観察の視線を注いだ後、おもむろに口を開く。
「ユベール様。我々もただ報告を待っていたわけではありません。彼女の力が徐々に増しているのに気付いているのではありませんか?」
「どういうことだ?」
「ご存じないようでしたら、ブレイズランドの現状についてお教えしましょう」
ブレイズランドで魔法を行使したことは彼らに報告した。疑いを持って調べればすぐに露見するからだ。無闇に情報を隠して、叛意を疑われる方が危険だった。彼らは敵対する者はもちろん、裏切り者に対しても容赦がない。
「これまでに入手した魔法の性質から考えて、土地の枯死が予見されたブレイズランドですが、現時点では特にそうした兆候は見られないとの情報が入っています。あるいはこれから起きるのかも知れませんが、もしそうではないとすれば」
意味ありげに言葉を切り、反応を窺うコルベオ。
「魔力を効率的に使えるようになった結果、反作用である土地の枯死現象を防げるようになったと言いたいのか。だが、それでは理屈が合わない。ルーシャにいたときはもっと頻繁に魔法を使っていたのに、今になって急に上達する理由はなんだ?」
「ユベール様。貴方と過ごした日々が彼女に成長を促したのではありませんか?」
「お前らしくもない、ずいぶんロマンチックな発想だな」
冗談めかして笑ってみせたものの、ユベールにも思い当たる節があった。
サウティカ滞在時、アルエルディアに請われてフェルが話した旅の思い出。護衛のウルリッカとの旅で狼に襲われたフェルは、魔法を使っている。そのときは数度に渡って小規模な地割れを発生させただけで、一年後には一帯が不毛の地となったと話していた。これはあの場にいた人間しか知らない話だ。
そして、その後のシャイア帝国との戦争ではフェルはより大規模な魔法を行使している。ルーシャの中でも温暖で農耕に適した土地は蚕食されるように地力を失っていったが、行使できる魔法の規模は確実に大きくなっていた。
ユベールとの旅が成長を促したという与太話は措くとしても、肉体的な成長が能力の開花と関係している可能性はあった。より強力な魔法を代償なしに扱えるようになれば、それこそ個人で戦局を変える存在となりかねない。
「……それとなく話を振っているが、今のところ彼女はシャイアへの復讐を考えてはいない。下手を打てば、彼女を騙して利用しようとした俺たちに牙が向くぞ」
「復讐を考えてはいない、ですか。単に好機がなかったからでは?」
「好機とは?」
「アルメアとシャイアの間で戦争が起きます。いえ、もう起きているでしょうか」
淡々と述べられた内容は、しかし看過できるものではなかった。
「……根拠は?」
問われたコルベオがはぐらかすように肩をすくめる。
「根拠もなく、我々がこのようなことを口にするとでも?」
「答えになっていないな」
喋りながら、シャイア帝国とアルメア連州国の開戦理由について考える。両国の間にはアヴァルカ半島問題があるが、それは今に始まった問題ではない。
個別に見ても、ケルティシュ共和国やエングランド王国へ侵攻したディーツラント帝国の支援を継続しつつ、自国に併合した各地域のレジスタンスに手を焼くシャイア帝国がアルメア連州国に積極的に仕掛ける理由はない。アルメアも同様で、ディーツラントへの派兵さえ渋った議会がシャイアとの開戦を容認するはずもない。
ひとつ、最悪の手法が頭をよぎった。
「まさか、自分で火種を作る気か? 露見したらどうなると思っている!」
「そのようなことにはなりませんとも」
アヴァルカ半島とはリーリング海峡を挟んだ国境地帯のシャイア帝国軍には、ユーシア系の将兵も多い。その一部と『眠れる獅子』が結託すれば、戦争の火種は容易に作り出せる。アルメア側の攻撃を偽装し、それに対する反撃という形でアルメア軍への攻撃を開始すれば、なし崩しに戦争になるだろう。
かと言ってシャイア軍に『眠れる獅子』の情報を流せば旧ユーシア領の人間がどんな目に遭うか分からない。関係者はもちろん、疑心暗鬼に陥ったシャイア軍はレジスタンスとは無関係なユーシア系の住民にまで危害を加えかねない。
「自分の正義のためなら、何をしても許されるとでも思っているのか!」
「自身の自由のため、何もしないことを選んで恥じない貴方が言うことですか」
吐き捨てるコルベオの口調には、隠し切れない憎悪が滲んでいた。こちらも負けじとありったけの軽蔑をこめて言う。
「……行け、この場で殺されたくなければな」
「この先も、お目にかかる機会があるでしょう。そのときまでにフェルリーヤ・ヴェールニェーバを籠絡しておいていただかねば困りますよ」
漏れ出た憎悪を綺麗に拭い去った口調でコルベオが言う。
ここがルーカでさえなければ、迷わず射殺していたところだった。




