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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第四話 砂漠の王は湖宮に望む
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4-1

 飛行機のコクピットは、決して乗り心地のいいものではない。フェルが航法士になる以前も旅客として客席に乗ったことはあるが、キャビンとコクピットでは居心地が全く異なる。小柄なフェルでも狭さを感じる空間の中、正面の計器盤には対気速度、高度、昇降度、油圧、機体姿勢を示す計器が並び、両脇には各種のレバーが並んでいる。どこかに説明が書いてあるわけでも、説明書が置いてあるわけでもなく、知っていて当然と言わんばかりにそれらは配置されている。変なところに触れたらぺトレールが墜ちはしないかと、最初はびくびくしていたものだ。


「……暑い」


 伝声管を通してユベールに聞こえてしまわないよう、そっとつぶやく。風防で密閉されたコクピットには風が入らず、強い日差しがコクピット内の気温を刻々と上昇させている。ゴーグルを顔から離して空気を入れ替え、襟首をつまんでバタバタやってはみるものの、雪を手で溶かすようなものだった。


 見張りはしなくてもいいとユベールに言われているが、ただ座ってぼうっとしているのも落ち着かない。座席の下に手を伸ばしてロックを解除、半回転して後ろを向く。身体を締めつけるベルトを緩めて身体を乗り出し、後部機銃のためにあるキャノピのスリットから指先を出して、指に捉えた風の感触をしばし楽しむ。


「砂漠みたいな乾いた土地は、やっぱり魔力も少ないのか?」

 フェルの動く気配に気づいたのか、ユベールが話しかけてくる。

「そうだ」

 ルーシャ語の言い回しを共通語に翻訳して、言葉を継ぐ。

「冬が先か、雪が先かはわからないが」

「うん? ああ、鶏が先か、卵が先か、みたいな表現か」

「……おもしろい言い回しだ」

「それに比べてお前さんのはずいぶんと詩的だな。冬が先か、雪が先か、ねえ」


 気に入ったのか、繰り返し口にするユベール。そのまま会話が途切れたので、機外へと目を向けた。キャノピを通して見える風景は、まばらに雲の浮かぶ空、見渡す限りの砂漠、砂塵にぼやけて境界のあいまいな地平線。草木も生えぬ岩山と、風に吹かれて吹きだまった砂丘がゆるやかな傾斜と陰影を形作り、湧きだすオアシスに貼りつくようにして集落が形成されている。


 土地が枯れているから魔力が少ないのか、魔力が少ないから土地が枯れているのか。言われてみれば、考えたこともない命題だった。一般に、魔女が魔力を使い果たした土地と最初から魔力が希薄な土地では、前者が年月の経過によって自然と魔力を取り戻すのに対して、後者は何百年経ってもそのままであることが多い。緑が豊かな土地には魔力が満ちるが、では一度枯れた土地に植物が根付くかどうかの境目はどこにあるのか。暑さでぼんやりとした思考は、ユベールの言葉で断ち切られる。


「フェル、あれが見えるか?」

 ユベールが指したのは、砂丘から頭を突き出すようにして立ち並ぶ煙突だ。

「……工場か?」

「そう、この砂漠に莫大な富をもたらす黒い泉だ」

「黒い泉……?」

「石油だ。わかるか?」

「わかる。ルーシャにも油田はあった」


 言葉を交わすうちに油田の全景が見えてくる。石油をくみ上げる巨大なやぐらが立ち並び、その上部に設けられた煙突の先端では副産物である天然ガスが燃やされている。少し離れたところに精製施設が建てられ、さらにその向こうには従業員とその家族が住むための街が形成されている。オアシスの近くにあった干しレンガ積みの集落とは趣を異にする、近代的な工場施設と街並みだった。


「この国の石油産出量は世界一だ。あのシャイア帝国やアルメア連州国でさえ、サウティカの安価な石油がなければ産業が立ち行かない。サウティカが第三国を通じて、交戦状態にある帝国軍と連合国の両方に石油を売っているのは公然の秘密だが、自国への供給が絶たれるのを恐れて誰も文句をつけられない」

「…………」

「まあ、資源そのものに罪はない。サウティカはおおむね公平な商売をしてるよ」

 フェルの返答がないのに気付いたユベールが、取りつくろうように言う。

「大丈夫だ。わかっている」


 ざわつく胸の内を押し殺し、フェル・ヴェルヌとしての返答を口にする。戦争以外に使い道のない兵器ならともかく、石油を始めとする各種の資源は国家の血液に当たる。それ自体に罪はなく、ルーシャもかつては自国の油田で補えない分の石油を輸入していた。それは回り回ってルーシャの兵器、その燃料となって、多くの敵兵を殺害しただろう。石油を売ったサウティカに、その咎を負わせることはできない。


 皮肉なことに、多くの人が集まり、パイプラインで遠くのオアシスから水を引いている石油工場の周りは周囲の砂漠に比べて魔力が濃い。あそこに降り立ち、思うさま魔法を行使したらどうなるだろうかと夢想する。石油もまた大地の恵みであることに変わりはなく、巨大な砂嵐を巻き起こし続ければ油田は枯れ果てることだろう。


 大きく深呼吸をして、無意味な思考を打ち切る。石油がなくなった程度で人間は争うことを止めたりはしない。奪った土地が不毛の地と成り果てていたのなら、そこに至るために払った犠牲を穴埋めするべくさらに奥地へと侵略を続けるのが人間という存在だと、フェルは知っているからだ。だから、眼下の石油工場から視線を上げて、遠く砂丘の向こうへ意識を向ける。


 魔力をそこにあるものとして認識できるフェルにとって、普通の人間の視界がどういうものかはわからない。魔力はどのように認識されるものかと問われ、強いて他のものに例えるなら立ちこめる霧に似ているとフェルは思っている。霧は出ているかどうか、どれぐらい濃いか。時に視界を遮るほど濃くなり、その気になれば触れることもできる、という点でも魔力と霧は性質が似ている。


 そんなフェルの目で見て、サウティカの空気を満たす魔力は酷く希薄だった。しかし、魔力が希薄であるため、その濃淡はかえって鮮明に映ることもわかってきた。地平線の先に魔力を感じることがときどきあり、それはオアシスがその先にある証拠なのだ、ということも空からの観察で察せられた。


「見えてきたな。あれがサウティカの首都、ウルカンドだ」


 右前方、砂丘の向こうに姿を表した都市へ向けてぺトレールが変針する。そちらは先ほどから一際強い魔力を感じていた方向だ。そのことをユベールに伝えておけば、自分の有用性を示せていたのではないかと後悔の念が湧く。


 ユベールと過ごしていると、破壊以外にも魔法の使い道があること、魔法以外でも自分は人の役に立てることに気付かされる。それはきっと、彼がフェルを魔女としてではなく、航法士として扱ってくれているからだ。彼がフェルの正体を知ってなお、そうして接してくれていることに、どれだけ救われているかわからない。


「二本の道が合流して、三叉路になっているのがわかるだろう? タッセルとカルニヤ、この国を貫く主要な交易路が交差する地点に、首都ウルカンドはある」


 緩旋回するペトレールから地上を見下ろすと、多くの隊商やトラックが行きかう三本の道が見えてくる。それらの交差する地点を周辺に都市ができていた。道に区切られるように三分割された都市はそのまま階級で分かれているらしく、整然と整備された上流階級の区画、猥雑で活気のある商業区画、外縁部にスラムを持つ労働者の居住区に分かれているのが上空からだと残酷なほどはっきり見える。


「で、俺たちが向かうのはあっち」

 ユベールがペトレールの機首を向けたのは、タッセルと呼ばれた道だ。

「タッセルの上流側へ向かうと、宮殿が見えてくる。そこが今回の目的地、ウルマハル離宮ってわけだ。離宮の持ち主はこのサウティカの王、アルエルディア・アル・サウルカ二世。俺たちは王に招かれた賓客ってわけだ」

「ユベールは知り合いなのか?」

「ああ。何年前だったか、お忍びで街に出てたアル陛下と……まあ、色々あってな。毎年、手土産を持って訪れるようになった。お得意さんってやつだ」


 言葉を濁すユベール。こういうとき、上手く追及する言葉をフェルはまだ知らない。そのことにもどかしさを覚えると同時に、ずるい、という感情が湧き上がる。それらをどう言葉にすればいいか迷っている間にも、目的地は近づいてくる。


「見えるか? あれがウルマハル離宮だ。サウティカで一番の美しさを誇る宮殿だとされてるが……ちょっと早かったか。この季節だといまいちだな」

「……全部茶色だ」

 フェルの率直な感想に、苦笑する気配が伝わってくる。

「仕方ないさ。水で外壁を洗うなんて贅沢は、この国じゃ中々できないからな」


 砂塵に塗れた正方形の宮殿は、この国で初めて見る四階建てだった。一階は柱だけのピロティ形式で、二階も風通しのいい回廊になっているのが見て取れる。居住部は三階以上に設けられているようで、中庭があるのか建物の中央が吹き抜けになっている。宮殿から少し離れたところには円柱状の塔がふたつ建っていて、上空から眺めればこれら全てが道沿いの窪地に建てられているのがよくわかった。


「……わざわざ窪地に建ててあるのか?」

「普通の国なら、雨が降ったら水没するからやらないだろうな」

「そうか、乾燥しているからか」


 フェルが納得していると、ペトレールが大きく傾いて旋回に入る。地上ではエンジンの轟音に気付いて宮殿から出てきたらしく、真っ白な服に赤いスカーフという民族衣装に身を包んだ人物がこちらに向かって大きく手を振っている。ユベールが機体の翼を振って相手を視認していることを伝えると、今度は掲げた両手を大きく前後に振ってなにかを指示するような素振りを見せる。


「砂埃に塗れちゃいるが、滑走路がある。わかるか?」

「あれか、わかる。彼はアプローチの方向を示してくれたのか」

「そういうことだな。風向きはわかるか、フェル?」

「……三時方向、やや強い風だ」

「了解。一度パスして北側からアプローチする」

 そこでいったん言葉を切って、ユベールが続ける。

「上出来だ。航法士の仕事にも慣れてきたな」

「……褒めてもなにも出ない」

「ふふん。そうかよ」


 主脚が降ろされ、ぐっと抵抗がかかると同時に最終アプローチに入る。滑走路上に積もった砂埃を盛大に巻き上げつつ、ペトレールが着陸していく。砂粒がキャノピを叩き、滑走路上に積もった砂で車輪がスリップしかけるのには肝を冷やしたが、ユベールは声一つ上げることなく機体を操り、見事に停止してみせた。


「よう。一年ぶりか、ユベール」

 民族衣装の男がペトレールに歩み寄り、キャノピ越しに話しかける。

「元気そうだな、エルリヒ。誘導、助かったぜ」

 エンジンを切ったユベールが応える。

「こちらは……かわいいお連れさんだな」

 フェルがキャノピを開くと、エルリヒと呼ばれた男が視線を向けてくる。

「フェル・ヴェルヌだ。よろしく」

 キャノピを開いた途端に押し寄せる熱気に閉口しながら手を差し伸べる。

「エルリヒ・ジャマール。ラクダの子エルリヒ、という意味の名だ」

 握手を交わすと、エルリヒは再びユベールに向き直る。

「彼女も陛下への献上品か? 器量はいいが、五年は早いぞ」

「馬鹿を言え。こいつは俺の相棒だよ」

 即座に反論するユベール。相棒、という単語に胸が熱くなる。

「わたしはトゥール・ヴェルヌ航空会社所属、ペトレールの航法士を務めるフェル・ヴェルヌだ。よろしく、エルリヒ」


 語気を強めて言うと、エルリヒは軽く肩をすくめてみせる。長身で顔立ちは整っているが、フェルを軽く見ている気配を隠そうともしない。どうにも印象の悪い相手だと思いつつも言葉を交わすうちに、背後の宮殿からは何人もの男性が姿を見せる。一様に白い衣装に身を包んだ男たちは、エルリヒの指示でペトレールの周囲に散る。どうやらペトレールをどこかに動かすつもりらしい。機体を降りるユベールに続いて、フェルも慌ててペトレールから降りる。


「……おい、フェル!」


 切迫したユベールの声。返事をしようとした口はなぜか開かず、傾いた視界はそのまま暗転する。最後に感じたのは、誰かに抱き留められたような感触だった。

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