07 通い妻?
今日も、白石は当然のような顔で病室のドアを開けた。
「はぁ、はぁ……黒瀬くん、来たよっ!」
相変わらず、息を切らしながら滑り込むように入ってくる白石。
どうせ今日も病院の前まで全力ダッシュ、からの早歩きで来たんだろう。
「よう。もはやノックすらしなくなったな」
「あっ……ご、ごめんなさい、急いで来たからつい……」
白石は恥ずかしそうに顔を少し赤らめる。
「いいよ別に。とりあえず座れば?」
白石の表情がぱっと明るくなる。
「うんっ! ……あ、どこに座ればいいかな……?」
白石が確認と同時に俺の膝あたりをちらちらと見る。
あまりの分かりやすさに、ふっと笑わずにはいられない。
「昨日あれだけ満喫しただろ。今日はダメ、普通に膝が痛い」
「うっ……それはごめんなさい……」
しゅんとして、白石は渋々と椅子に腰をかけた。
「で、今日は学校どうだったんだ?」
「学校? うーん……クラスの人たちにはあんまり興味ないし、特に何もないけど。
……あっ! でも、黒瀬くんのおかげで授業が分かりやすくなったよ!」
目をきらきらとさせ、昨日の成果を報告してくる白石。
大したことはしていないつもりだが、教えた身としてはそこそこ嬉しい。
「そうか、なら良かった。まあ大事なのは次の中間テストだけど」
「う、テスト……、思い出したら頭痛くなってきた……」
いつもの結果を思い出し、どよんと落ち込む白石。
「何をさっそく弱気になってんだよ。俺が教えたんだし、お前はやればできるだろ」
「そ、そうかな……? えへへ。
……ねえ、黒瀬くんは勉強できる子のほうが好き?」
「ん? いや別に」
「ええっ!?」
ガーン、と落ち込んだ表情になる白石。
「……むー、せっかく頑張ろうと思ったのに……」
「人をそんなことで判断する方がダメだろ。勉強できようが嫌いな奴は嫌いだし、できなくても好きな奴は好きだよ」
「……えへへ。うん、黒瀬くんはそういう人だよね……」
……白石がなぜか上機嫌になった。
「まあ、いきなり成績上がらなくてもまだ二年だし。ゆっくり頑張ればいいよ」
「うん!! 黒瀬くんに教えてもらえるから頑張る♪」
(結局そこも俺基準なんだな……)
「……あっ、そうだ!」
ふと、白石が思い出したように鞄を漁る。
「あの、今日、実は黒瀬くんにお弁当作ってきたの……!
初めてだから美味しいか分からないし、さすがにもう冷めちゃってるけど……頑張って作ったから、その……
良かったら食べてくださいっ!!」
鞄から取り出した弁当を差し出しながら、一生懸命絞り出すように伝えてくる白石。
……どうやら白石は、ここが病院であることを知らないらしい。
まあ、別に健康に問題があって入院してるわけじゃないし、いいんだけど……。
「……学校行く前に作ったのか?」
「うん! いつものお礼っていうか……あ、けどそれは口実で、ほんとはただ黒瀬くんに私の手料理を食べてほしかっただけっていうか……」
……相変わらず、言う必要のないことまで全て口に出すよなこいつは……。
白石のぷるぷると震える手から、弁当を受け取る。
「あっ……食べてくれるの……?」
「そりゃ食べるだろ。だって俺のために早起きしてわざわざ作ってくれたんだろ? そう、『俺だけ』のために」
「あぅ……そ、そうだけど……そんなに強調しないでよぉ……」
真っ赤に染まる白石。
俺はそれを横目に弁当箱を開く。
「……おお。思った以上に凝ってて美味そうだな」
ブロッコリーとミニトマトのサラダに、成形された白米(ハート型)。
肉巻きおにぎりに、卵焼き(ハート型)に、人参のグラッセ。
仕切りで区切られた角には、小さくカットされたガトーショコラ。
デザートまで用意されているとは……初めての弁当にしては凝りすぎていて、驚くほかない。
「ほ、ほんと……? 頑張ってよかった……」
「にしてもこれ、作るのどんだけ時間かかったんだよ……いただきます」
「…………(じーっ)」
白石は嬉しいような、ちょっと不安が混じったような表情でこちらを凝視している。
そんなに俺の感想が気になるのだろうか。
料理を口に運ぶ。
「……うま」
……無意識に本音がこぼれる。
いや、元々、美味しかったら素直に言うつもりだったけど。感想を考える前に口から漏れてしまった。
それほどに味付けが美味しく、サラダを一口食べただけでもこだわって作ったのが伝わってくる。
「っ……!! ほ、ほんとっ……!? うれしい、うれしい……っ!!」
……なぜか二回言った。
そんなに嬉しいのか……とは、普段の白石を見ているので思わない。
白石の反応を楽しみつつ、次々に料理を口に運んでいく。
「お。この肉巻きおにぎり、一個一個具材も違うんだな」
味付けは当然のように美味いが、それだけではない。
梅しそ、チーズなど具材まで変えている。
……いやだから、どんだけ手間かかってるんだよこの弁当。
「う、うん……黒瀬くんが飽きないようにと思って。えへへ、気づいてくれるの嬉しいな……」
「そりゃ分かるだろこんだけ工夫してたら。うん、卵焼きもちょうどいい甘さだし、この人参もバターの風味が効いてて最高に美味いな」
「…………♪」
こちらをじっと見つめる白石の視線が、より熱くなるのを感じる。
まあ、嬉しそうで何よりだが……
(今尽くされているのは俺の方だと思うんだが、なんで俺よりも喜んでるんだ……)
……そんなことを思っていると、白石がおずおずと口を開く。
「あ、あのね……黒瀬くんがもし喜んでくれたら言おうと思ってたことがあるんだけどっ…………、美味しいって言ってくれたし……い、言ってみてもいいかな?」
ちょうどデザートのガトーショコラを口に入れたところだったので、咀嚼しながらも白石の方を向いて頷く。
「~っ、その……もし、黒瀬くんがよかったら……これから毎日、お弁当作ってきてもいいかな……っ」
白石は顔を真っ赤にして目をぎゅっと瞑り、絞り出すようにそう言った。
おそらく「毎日」という部分に、絞り出すほどの勇気が必要だったんだろう。これは異性との関わりが少ない(白石のせいだけど)俺にでも分かった。
……確かに、「毎日弁当作らせて」発言は重い。客観的に見て中々にヘビーだ。
……しかし、「重い」のが事実だとして、それをどう思うかは人それぞれだ。
俺はデザートが口からなくなると、返事をするために口を開く。
「いいよ。いいけど、毎日来て毎日弁当作ってくるって……なんか『通い妻』みたいだな」
「……ふぇっ!?!?」
白石の驚きの声が病室に響くと共に、空気が熱くなった。
俺の言葉を理解した瞬間、白石の顔がぼんっ、とさらに赤くなる。
「か、か……かよ……っ!? 通い妻……っ!?!? っ、ていうか、つま……!?!? つまって……あの、妻!?!?」
椅子の上で背中を丸め、両手を頬に当てながら目をぐるぐるさせ慌てふためく白石。
「つま、つま……っ!! ……え、知らないうちに私の言語だけおかしくなったとかないよね……!? そ、そうだ調べなきゃ……っ」
白石は錯乱した様子のままスマホを取り出すと、何かをしている。
うん、たぶん「妻」の意味を調べ始めたんだろう。
(……みたいだな、って言っただけなんだけど……)
……まったく、本当に感情が忙しい女だ。
しばらくは俺の言葉も届きそうにないので、俺はこのまま白石の様子を眺めて楽しむことにした。




