23話。反董卓連合②
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初平元年(西暦190年)4月。
巷では董卓の悪名が高らかに語られ、さらに橋瑁が『董卓討つべしという勅命を賜った!』などと虚言を用いて地方の人間を扇動した結果、主に冀州・豫州・兗州・青州・荊州・揚州などの諸侯がそれに便乗し、兵を挙げることとなった。
後に反董卓連合と呼ばれることになる彼らは、その名の通り董卓を討つことを目的として集められたのだが、当然全員が全員橋瑁や袁紹の虚言に乗った訳ではない。
彼らの中には荀攸が予想したように戦の後で洛陽での要職を望む者が多数居たし、袁術のように周囲の人間が全て反董卓連合に参加した為、自分も敵として見られては堪らないと言った感じでこの連合に参加した者もいる。
彼らに共通する思いとしては『打倒董卓!でも自分が傷つかないことが前提』と言う、なんとも名家らしいモノであり、結成の前段階から集団としての纏まりは無いと言っても良い状態であった。
そのわかりやすい一例として、袁紹と袁術の確執が挙げられる。
まず袁紹は袁術が洛陽で軟禁状態にあったころ、既に地方に落ちて自由に動ける状態であり、その独特のキャラクターと弁舌で己の影響力を拡大させていた。(そもそも袁術が軟禁されることになったのは1から10まで袁紹のせいである)
そして橋瑁によって担がれた袁紹は、そのまま袁家の当主を自認してしまう。それを受けて姉が嫁いだ先である高家や、高家と付き合いがあった諸侯も袁紹が袁家の当主であると認めてしまうという珍事が発生する。
これは汝南袁家の本家に於いて家を率いていた袁逢たちの世代が、袁術らの世代に代わってその身を差し出した際に『袁術らの代わりに』と言った部分が周囲にまで正確に伝わらず、周囲が混乱したところを的確に突いた結果生まれたお家騒動と言えるだろう。
よって、袁紹によるお家乗っ取り活動が進行していることを知った袁術は、洛陽から解放され汝南に帰還した際に自身が正式に家督を継いだ当主であることを布告し、袁家の勢力の分散を防ごうとした。
しかしそれが『袁家が家督争いで揺れている』と言う事実を喧伝してしまう結果となった。
さらにこの際、袁術は致命的と言っても良い大きなミスを犯していた。
もしここで彼が本気で袁紹を打倒するつもりであったなら、彼は袁紹が行った『宮中侵犯』と言う凶事を家臣や周囲に大々的に伝え、袁隗や袁逢が死ぬことになった原因は袁紹に有ると言うことを大々的に告知していればよかったのだ。
そうすれば袁家の人間たちは袁紹を恨むことはあっても、認めたり敬うことはなかっただろう。
さらにその情報が諸侯にまで広まれば『袁紹に大義無し』と言うことを周囲が理解し、各々で洛陽の状況を探ることで橋瑁の虚言も判明しただろう。
ここまでやれば反董卓連合そのものが瓦解していたかもしれない。
少なくとも董卓陣営の余裕を見て、何か裏があると察した者は連合に加わることを考えるだろうし、それらを袁術が保護すれば、反董卓連合と言う名の逆賊どもの規模を縮小させたと言う功績を得ることが出来たはずだ。
その後は元々連合に参加していない幽州・并州・司隷・徐州の軍勢と連合を組み、反董卓連合に参加した連中を囲んで押しつぶせば良い。
そもそも反董卓連合に参加した連中には、集めた兵士を食わせるだけの余裕が無かったと言うことを知らなかったのが、袁術の失点にも繋がっていた。
だからこそ彼らが焦って金のある汝南袁家を狙ってくる可能性も無いわけではないのだが、袁紹一派以外の人間が本気で袁術を殺そうとはしないだろうし、袁紹一派とて袁家の関係者同士での戦は避けたいと思うのが普通だ。
そうなれば、残るは董卓という敵を前にして尚グダグダな烏合の衆の内輪揉めである。
つまり袁術は連合に参加せず中途半端な状況を維持するだけで、董卓の勝利に多大な貢献をすることができたのだ。
だが彼は橋瑁らの根回しと、無駄に自信満々な袁紹一派の態度を見て『自分も連合に加わらなければ滅ぼされてしまう』と錯覚してしまい、袁紹を盟主とした連合へ参加することを表明してしまう。
これにより反董卓連合の最大の懸念事項であった兵站の問題は解決してしまったし、袁紹と家督争いをしていた袁術までもが参加したと言うことで、袁紹や橋瑁の主張が正しいと勘違いした者も増加していき、結果としてその規模は拡大の一途を辿ってしまうことになった。
こうして条件次第で恩赦されていたはずの袁術も、これで逆賊となってしまったことで、栄華を誇った袁家は滅亡へとその舵を切ることになる。
……袁隗や袁逢らは草場の陰で泣いているかもしれないが、教育を失敗したのはこいつらなので、自業自得と思って諦めてもらうしか無い。
―――
以下、そんな拡大の一歩を辿る彼らに対し、その情報を得たどこぞの腹黒と弟子の会話。
「見ろ。放流した鮭が遡上してくるようだ。これは盛大に料理せんといかんな」
「……まさしく雑多な魚。なるほど故に雑魚ですか。さすが我が師ですね」
「お、おう。そうだな」
こんな感じで、敵に対しては余裕綽々だったが、意図していなかった諧謔を指摘されて、妙に焦る腹黒外道が居たとかいなかったとか。
―――
洛陽。大将軍府
桃の花も散り、暖かな風が春を感じさせる昨今。中原で燃え広がる反董卓の声は洛陽の人間を恐怖に叩き落として……いなかった。
まぁ袁紹に近かったり袁紹を擁護しようとした極一部の人間は、恐怖を感じる間もなく矢で貫かれたり、剣で貫かれたり、逆さ吊りにされて恐怖以上のナニカを感じて居たのでその限りではないが、一般市民たちは基本的に平穏無事に暮らしていたと言っても良いだろう。
いやそれどころか、名家や宦官が消えたことで彼らの威を借って好き勝手していた連中は姿を消し、治安は良くなったし。何かを求める度に賄賂をゆする役人も消えたので、物事が万事円滑に進むようになった。
その結果、現在の洛陽は今までにないくらいに活性化しているので、平穏無事とは言えないかもしれない。
そんな春めいた情景の中に真夏のような情熱も垣間見せる素敵都市洛陽に於いて、現在冷や汗が止まらない男がいた。
「さて、わざわざ呼び出してすまんな。大鴻臚殿」
「い、いえ委細問題ありません」
そう、大将軍董卓に呼び出されて直立不動の姿を見せる、宦官閥筆頭の大鴻臚こと曹操である。
「そう言ってもらえると助かる。さて互いに忙しい身だ、さっさと本題に入ろうか」
「は、はい」
董卓が告げた『本題』とは……当然今回反董卓連合を結成し、その盟主となった袁紹に関してのことである。
「袁紹は常日頃から『朋友の曹操が洛陽の情報をくれる』だの『朋友の曹操を救いたい。あの者は董卓に脅されているだけなのだ』だのと言って貴君の助命を求めているそうだ……これは知っているな?」
「え、えぇ。しかし私は彼らに情報など流してはおりませんぞ!」
「知っているか?」ではなく「知っているな?」と言うところに『大将軍府は知ってるぞ』と言う脅しが含まれているのだが、実際に曹操は袁紹らに情報を流したりはしていない。と言うか、曹操はすでに大将軍府には居ないので彼らに対して流せる情報など無いのだ。
「それはこちらも理解している。貴公は大鴻臚として諸侯の饗応役を務めるのが職務。故に地方から洛陽を探りに来た諸侯の使者と接触するのも当然だし、その際に世間話などで洛陽のことを話題に出すのも当然であろうよ」
「……はい」
そう。あくまで曹操は下手に目を付けられないように、真面目に働いていただけなのだ。誰が聞いても非常に黒に近い灰色な言い訳であるが、それは事実なのだからしょうがない。
袁紹のたちが悪いところは、曹操が流したのは『董卓の情報』ではなく『洛陽の情報』と言っているところだろう。つまり曹操も袁紹も、一切嘘は吐いていない。
だが、第三者が見てどちらかが嘘を吐いていると疑ったならば、曹操が疑われることになるのも仕方のないことだろう。
「さらに間の悪いことに、曹嵩殿の隠居先がな」
「……琅邪郡」
「その通りだ。徐州の陶謙は連合に加わってはいないが、周囲は全て連中の一味だ」
「……」
この春、新帝が喪に服すと言うことで洛陽から離れたことに伴い太尉を辞することになった曹嵩は、新帝より先帝へと寄進した一億銭の中から三割程を下賜されることとなった。
期せずして大金を手に入れた彼は、自分たちの後ろ盾であった宦官らはほとんどが死に絶えたものの、息子である曹操が九卿となったことや、新しい大将軍らと懇意にしていることで独自の権力を手に入れたと判断して、洛陽を離れて隠居することを決めた。
その隠居先が、妾がいる徐州東北部の琅邪郡である。
ここは反董卓連合に参加していない徐州刺史陶謙の支配地域ではあるが、陶謙は連合に参加していないと言うだけで、董卓の味方を表明しているわけではない。
それに加えて、琅邪郡は冀州刺史の韓馥や青州刺史の孔融の領地と近く、さらに今回の連合の発起人である橋瑁が徐州の隣の州である兗州にある東郡の太守なので、今の曹嵩は董卓の敵に囲まれている状態である。
それを知ってか知らずか、袁紹からは「曹嵩の身は心配するな!」と言う旨の密書を送られて来ているが、曹操から見たら「父親の安全を確保したければ……わかるな?」と言われているようにしか見えなかった。
その密書も今回の呼び出しに際して提出しているのだが、ここまで状況証拠が重なってしまえば自分を信じる方が難しいと言うのは、本人が一番良く理解している。
とは言え何もしていないのに殺されるわけにも行かないので、なんとか弁明しようと考えていたのだが、どうも予想していたモノとは雰囲気が違うことに気付いた。
曹操としては、董卓に疑われているなら必死で弁明もするし、己の容疑を晴らすために先陣でもなんでも受け持つつもりだったが、どちらかといえば董卓は自分に同情しているように見えたのだ。
「今の段階で俺が貴公を信じたところで無意味。いや、無意味では無いかもしれんが、もし何か不利なことや不都合なことが起こってしまえば、周囲の人間は貴公を疑うだろう。その際弁明の余地が与えられるとは限らんのが現状だ」
「……はい」
後漢に於いては怪しきは罰せよと言うのが標準仕様であり、宦官閥でありながら宦官を失った曹操が、名家に擦り寄る可能性は非常に高いと言うのが周囲の判断である。
さらに名家意識の塊とも言えるあの袁紹が、曹操を『朋友』と言って憚らないのだ。これでは「疑うな」と言う方が難しいだろう。
「よって貴公に一つ策を頼みたい」
「策……ですか?」
「うむ」
仰々しく頷く董卓だが、李儒から策の書かれた書簡を見たとき、思わず「鬼か!」と声を上げたものだ。しかし今では『今の曹操の状況を考えるとある意味これが一番曹操の為になる』と考えを改めていた。
なんだかんだで愚痴を言い合った仲であるし、孫堅や自分同様、曹操も腹黒外道の被害者だと思えば少しくらいは優しくしてやりたくなるのも仕方ないことかも知れない。
尚、その優しさが相手にとって優しさと思えるかどうかは別問題である。
―――
「なに簡単なことだ。貴公は俺を暗殺しようとして失敗し、洛陽から落ち延びてくれれば良い」
「……それ、簡単ですか?」
詳細を説明される前に彼らが自分に何をさせるつもりなのか理解した曹操は、襲い来る頭痛に頭を悩ませることになったと言う。
反董卓連合が正式に発足。盟主は袁紹で副盟主が袁術になったもよう。
『朋友を殺させはしない!』とか『父親は任せろ!』と言われましてもねぇ。
連合発足による最大の被害者、曹操の明日はどっちだ?!ってお話









