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9話。洛中でのこと③

中平6年(西暦189年)10月・洛陽


役職の返上が不可能であることを突きつけられて生ける屍と化した李儒と、今までの遅れを取り戻さんとする荀攸が大将軍府内部に於いて洛陽~弘農間の連絡等に関する云々を纏めていた頃、董卓の元に一人の男が訪れて来ていた。


「貴様が董卓か!」


「……そうだが」


わざわざ自分を名指しで会いに来ておきながら何の確認だ?と思わないでもないが、こうして律儀に返事をするところが、彼が常識人だと言われる所以である。


「『そうだが』だと?!わかっているのか貴様!貴様がもう少し早く来るか、洛陽に入る前に私に連絡を入れていればこのようなことにはなっていなかったのだ!この状況、どう責任を取るつもりだ?!」


「は?」


第一声から礼儀の欠片も無く、さらに現状を他人のせいにして騒ぎ立てるこの男。その名を袁紹と言った。


本来董卓は事前の連絡もなく、いきなり乗り込んできた小僧と面談する必要など無かったのだが、大将軍府から「袁家(ゆかり)の者が来たら追い返すことなく話を聞いて情報収集を行って欲しい」と頼まれていたのでこうして面談をすることにしたのだ。


したのだが……


まさか自分の下を訪れた『袁家の縁の者』が袁紹であり、その袁紹がこの期に及んで名家意識を爆発させて己の犯した罪を自分に擦り付けて来るなど想像の埒外であった董卓は、彼の言葉を聞いて完全に思考を停止させてしまう。


「『は?』ではない!そもそも少し考えればわかるだろう!貴様を洛陽に呼んだのは誰だ?!」


「亡き大将軍閣下ですな(もしくは光禄勲殿と言うべきか?)」


董卓は『少なくとも貴様の呼び出しに応えた訳ではない』と暗に主張するも、コレ系の人間には暗に言っても無意味である。


「何を愚かな……貴様は下賎な出である何進などの命令より、私の命令を優先するのが筋だろう!私は袁家の人間で中軍校尉だぞ!」


「はぁ?」


本気か?……本気だな。

ならば頭は大丈夫か?……駄目だ。


「『はぁ?』とはなんだ!そもそも貴様を推挙したのは我が叔父である…………」


すでに袁紹が人間として終わっていると判断した董卓は、未だに何かを喚いている彼個人について考えることを止め、彼の背後に居るであろう存在について考えを巡らせることにした。


袁紹の背後に居る存在と言えば、保護者として今まで面倒を見てきた袁隗である。彼は何進や張譲が消えた今、朝廷工作などをさせれば洛陽どころか、漢全体でも指折りの実力者だ。


その袁隗が今の状況でこうして袁紹を自由にさせているのは、この甥に何かをさせるつもりなのだろう。


ではその何かとはなんだ?考えられる可能性とすれば……巻き添えを増やして、粛清対象を拡大させると言うのはどうだ?その規模を見て帝が及び腰になるのを狙うと言うのは?


李儒が聞いたら「なにその自爆テロ」と表現しそうな発想ではあるが、これは相手と刺し違えるのが怖い(自分は安全なところで敵を蹴落としたい)と言う考えが基本である名家や宦官相手には、非常に有効な手段として認知されて居るのだからタチが悪いところだろう。


実際問題袁家の関係者の数を数えればかなりの人数に昇るし、そこに袁紹の友人らの家が加わるのだから、それだけで数百近い名家が巻き込まれることになるだろう。


そう。()()()ではなく()()()だ。


それぞれに10人の親族が居たとすれば、粛清されるのは数千人単位となる。すでに三千近い宦官と数千の禁軍の兵士が死んだのだから今更と言えば今更だが、彼ら名家には彼らにしかない強みがある。


それは彼らは現役の文官であることだ。つまり彼ら全員を粛清すると言うことは、数千人の文官が失われることを意味する。そうなれば洛陽の機能は完全にストップするという事態になるだろう。


加えて袁隗や袁逢は董卓だけでなく何人もの武官も推挙しているし、袁紹も自身が西園軍の中軍校尉となった際には色々な武官から挨拶を受けたし、彼らから祝いの品も貰っている。もしそれらも袁紹の関係者としてみれば、どれだけの人間が粛清されるのか考えるのも恐ろしい事になる。


そうやって予想される被害を大きくしようとする策ならば、確かに効果的と言わざるを得ない。


董卓は何も考えずに動いているであろう袁紹は歯牙にもかけないが、そんな彼を良い結果が出るように利用しようとする袁隗の策謀には警戒をせざるを得ないと判断していた。


……実際のところは袁隗も勝手に動き回る袁紹を掣肘できないほど一杯一杯なだけなのだが、相手を過小評価して足元を掬われるよりは、過大評価して攻める機を失う方がマシだろう。


それに元々袁家を攻めるのは董卓の仕事ではないと言うのもあった。


袁紹が喚くだけ喚いてから帰った後、すぐさま大将軍府に駆け込む破虜将軍が居たと言う。



――――



ちなみに洛陽内部に於ける袁紹の評価と言うのは、二極化していると言っても良い状態であったと言う。


まず生き残った宦官たち。


彼らにとって袁紹は自らの城に踏み込んで、土足で荒らし回った挙句に自分の財や同僚の命を奪った憎い相手である。


しかし同時に十常侍を始めとした大宦官のほとんどを殺し、自身の出世の可能性を作ってくれた存在でもある。


さらに潜在的な敵であった外戚の何進まで殺してくれたのだから、恨みも有れば良くやったと褒めてやりたいところも有ると言ったところだろうか。


もちろん、このまま袁家もろとも滅んでくれるのが一番ありがたいと言うのは言うまでもないことだろう。


そして名家。これは袁家の関係者と無関係な者で別れる。


袁家関係者にしてみれば当然「アノ野郎!何してくれてんだ!」となる。これは「まぁそうだろうな」としか言えない。


そして袁家と関係ない者たちからすれば「良くやった!」と言ったところか。


なにせ自分たちにとって敵でしかない宦官と成り上がりである何進の両方を殺してくれたのだ。その上で袁家の関係者も居なくなれば、空いたポストに自分が入れる可能性もあるので「後はさっさと死んでくれ」と言うことになる。


軍部に関しては袁家関係者と同じで「アノ野郎!何してくれてんだ!」と言う声が大きい。これは袁家関係者だけではなく、無関係な人間からもこの声が上がっていた。


それらは別に何進に忠義だとか恩義を感じているのではなく、時期の問題である。なにせ今は張純の乱も片付いていないし、各地で黄巾の残り火とも言えるような反乱が起こっている状況なのだ。


この上、先帝の崩御だの大将軍の死と言う事件によって、国家の屋台骨が揺らいでいると見られた場合賊が調子に乗るし、北方の騎馬民族たちだってどう動くかわからない。純軍事的に考えれば損しかないとなれば、袁紹に怒りの声を向けるのも当然と言えよう。


そして大将軍府。こちらは何進の部下か、大将軍府に所属する人間かで反応が違う。とは言え何進が殺された事に対しては「袁紹死すべし」の一択なのだ。


違いは内面で、何進の部下は「何進閣下の仇討ちだ!」と言うものであったし、大将軍府に所属するだけの者は「ようやく勝ち馬に乗れたのに何してくれやがる!」と言う程度の違いであった。


ちなみに李儒や荀攸も後者に近い。


荀攸の場合は「個人的に何進とは付き合いが有ったが、自分はあくまで漢の為に動いている」と言うものだったし、彼に従うことが漢の再興に一番良いと判断していたからこそ荀攸は大将軍府において精力的に働いていたのだ。


故に漢の再興の途中で計画を狂わせた袁紹に対する殺意は高いのだが、仇討ちと称して法を破るほどのものではなかった。


李儒に関してはそのまんま「今まで育ててきた勝ち馬がぁぁ!!」と言う個人的な感情だ。


まぁ李儒の場合はその馬に愛着もあったようだし、個人的な望み(優勝賞金で楽隠居の夢)を潰された怒りも有るようだが、それはまた別の話。


つまるところ洛陽の上層部においては袁紹を褒める声と貶す声はおおよそ半々、いや、何進はともかく宦官が名家や洛陽の民に嫌われていたことを考えれば、意外と彼に対する評価は高かったと言っても良いだろう。


……無論、何進が張譲に殺されたと言うのが一般に広まっていることや、現段階では袁家に対して正面から文句を言える人間は少ないと言うのもある。


そしてそれ故に袁紹は己の過ちを認めず、謹慎を命じられたにも関わらずこうして勝手気ままに歩き回っている。


それが袁隗の策と諸勢力に誤認させることで「さすがは袁隗。ただで転ぶ気は無いということか」だの「むぅ……形勢はまだわからんか」と警戒を促すことになっていたのは、彼らにとって良いことなのか悪いことなのか判断が難しいところであった。



――――



「で、実際袁紹は……いや、袁家は何を狙っているのか、貴殿にはわかりますか?」


未だに袁紹が精力的に動く様子を見て、孫堅は大将軍府の中で一番袁紹に詳しいと目される曹操に彼の行動の意図を尋ねることにした。


「袁家に関しては世が噂している通りでしょう。予想される被害を拡大させることで二の足を踏ませる腹積もりですな」


「ふむ。なるほど。では何故大将軍府の面々はそれを黙って見過ごしているのでしょう?」


「さて、何やら時期を待っていると思うのですが、正直わかっておりません」


「……そうですか」


最初の問には満足の行く答えを貰えたが、続く「袁家に対して恨みを晴らすということで一致しているはずの大将軍府が、未だに沈黙する理由」については曹操も完全にお手上げであった。


彼らが『何か』を待っているのは分かる。前回はその『何か』は劉弁と劉協だったが、今回はその『何か』がわからないのだ。


「……これはもしかしたら、程度の考えなのですが」


「ほう、孫堅殿に何か心当たりが?」


「いや、心当たりと言うような大層なものではないのですがね」


「いやいや、私のように洛陽に染まった者よりも、洛陽を知らぬ孫堅殿の方が問題の本質を突くことができるかも知れませんぞ」


謙遜する孫堅だが、曹操にしてみても大将軍府の狙いが読めないのは怖いことである。


それに、少しでも判断材料が欲しい今はどんな可能性も考察するべきだと考えているので、孫堅がどんな考えを持っていても一笑に付すつもりはなかった。


「いや、現在は色々な式典の準備や諸将の迎え入れの準備等に労力を割いていることから、両殿下としては新年の式典が終わるまでは粛清を保留するつもりがあって、それで彼らの動きを抑えているのではないか?と思いましてね」


「…………なるほど」


これは有り得ない事とは言えないだろう。なにせ袁家の関係者を全て粛清した場合、朝廷は大量の文官の喪失を生むこととなる。そうなれば自然と各種行事を執り行うことも難しくなるのだ。


それが新年の宴や新帝の即位と合わされば、新帝は満足に行事を行えなかった者として面目が立たないどころではないし、粛清のあとに行事を行ったとしても、参加者も少なくなり規模も縮小されるだろうから非常に見栄えが悪いものになりかねない。


これから即位する劉弁や、その母親である何后がそれを嫌ったと言う可能性は高いように思える。


そして大将軍府としても、袁家の人間を生かして行事を執り行うことで地方に居る袁家の関係者を洛陽に呼び込むと言う意図が有れば、今は動かずにいることにも説明がつく。


その場合の袁家の狙いは……新帝即位に絡めての恩赦と予想できる。


それを引き出せるかどうかが今後の漢の統治の在り方を左右することになるだろう。


(ここまでやって決裂したら、地方の人間まで巻き込んだ大粛清が起こるな)


袁家の生き残りをかけた博打と大将軍府の本気を感じ取り冷や汗を流す曹操だが、結論から言えば残念ながら彼らが導きだした答えは正解ではなかった。




数日後、曹操は更なる冷や汗を流すことになる。


フリーダムにしてジャスティスな袁紹君。いろんな場所で動いているもよう。


袁紹に協力した連中を殺すのは簡単ですが、彼らは後宮にいる宦官と違って普通に仕事をしている知識層ですから、処するのにもどうしても一定の配慮が必要なのですってお話。


……名目上は。



ーーーー




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