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1話。プロローグ的なナニカ

二章一話的なお話です。

中平6年9月・洛外。


「あのオヤジめ……今までの苦労を水の泡にしてくれやがって……」


自分達の下に急いで合流しようと接近してくる一団を迎えるにあたり、李儒は董卓が率いてきた涼州勢を全員下馬させたり、西園軍を前に出したりと出迎えの準備を行っていた。


そんな中、彼は洛陽で散ったであろう上司の顔を思い浮かべ、苦虫を噛み潰したかのような顔をしてそんな言葉を吐き捨てていた。


……なんだかんだで9年の付き合いが有る上司であったが、李儒も最初から何進を自分の主君としようと考えて居たわけではない。


転生を自覚した当初は中途半端な三國志の知識しか無かったので『さっさと曹操や袁紹に仕官して天下を取らせれば安泰じゃね?』と軽く考えていたのだが、成長するにつれて漢の腐敗具合や儒の教えの弊害を理解していったし、曹操や袁紹の置かれている状況や性格などを調査することで、彼らの下に着いても下積み期間が長くなりそうだと言う現実に辿り着くのにそれほど時間はかからなかった。


いや、下積みが駄目と言っている訳ではない。実りが無い下積みが駄目なのだ。


これを分かりやすく言うならば、出仕の際に何進に告げたように、仕事をしない中間管理職どもに自分の仕事の成果を奪われるのが嫌だったとも言えば良いだろうか?


それに当時の曹操は洛陽の門番でしかなく、名家の人間を部下にするような立場では無かったし、袁紹に至っては李儒が自分の正反対の存在だと思っているニート中であった。


ニートには社畜の気持ちはわからないし、社畜にもニートの気持ちはわからない。しかも当時の袁紹は家柄のお蔭だろうが、ニートの癖に妙な派閥まで形成している状態でもあると言う状態だ。


ニートと派閥。目の前の仕事に全身全霊を尽くすことを善しとする社畜にとって、これほど相性の悪い組み合わせも無いだろう。


そんなこんなで、将来の勝馬かも知れないが現在は地雷でしかない連中に接触することを諦めた李儒だったが、このあたりで現在(近未来)の勝馬の存在を思い出すことが出来た。


その勝馬は引退時期も早く、乗り替えも簡単に出来そうな超早熟馬だが、5歳以降の重賞よりも2歳の新馬戦。2年後の凱旋門より2歳の朝日杯FSを狙うと考えれば、決して悪い選択では無いだろう。


……そんな褒められているのか貶されているのか良くわからない評価をされたのが後の大将軍・何進である。


視点を変えて考えてみれば、仕官先を探していた自分にとって何進は有る意味で理想と言える存在であることに気付く。


何せ彼は三國志の序盤に於ける最強の勝馬なのだ。


更に言えば、当時の何進は卓抜した政略や謀略の才はあるものの、出自が卑しいと言うだけで名家や宦官に蔑まれていたし、同じ外戚からも疎まれていると言う状態であり、はっきりと言うならば、いつ暗殺されてもおかしくはない状態でもあった。


こんな状況で何進が宮廷闘争に勝つと考える人間は居なかったし、当の何進も自分が栄華を極めることが出来るなどとは考えていなかっただろう。


つまり当時の何進は、単勝ですら万馬券が確定するような大穴中の大穴であったと言える。


それに気付いた李儒は、すぐさま何進に繋ぎを取るために動き出した。……このときの李儒の気持ちとしては下記のようになる。


問・勝ちが確定している万馬券を買わない人間が居るか?

答・居ない。


問・ならば買うのは何時?

答・今でしょ!


そんな考えの元、李儒は何進に全賭けする事を決意したと言う。


そして何進の下に出仕してからと言うもの、李儒は「いやぁ何だかんだで毎日寝れるし、随分楽な生活をしてるな~……まさかなんか悪いこととか起こらないよな?」と妙な不安を抱きながら仕事をしていた。


しかし本人の主観では楽な生活であっても、サボりを前提に仕事をしている人間から見たら、彼の生活は『全身全霊、まさしく命を懸けて仕事をしている』と言った言葉で表現されるほどの仕事ぶりである。


そんな李儒の一部狂信とも言える仕事のお陰で、何進陣営は史実以上の勢力となったと言っても過言ではない。


事実、一応の名家に生まれた李儒が私心無く仕えることで他の名家の人間も何進に仕えやすくなったし、勢力が大きくなるにつれて元々人材不足の何進は配下に気前良く官位やら官職を与えていたりもした。


そんな何進陣営は、清流派だの濁流派だのと言った派閥を形成しながらも結局のところは漢を腐らせていた名家閥のお偉いさんに対して不満を抱き、世の中に絶望して逼塞していた中小の名家の者たちにとって希望に見えたらしく、彼らはこぞって何進(李儒)の配下になることを望んだと言う経緯があった。


極めつけは黄巾の乱における初動である。


帝に直談判し、党錮の禁と呼ばれた愚策を解禁させて評価を上げ、比較的まともな人間を引き抜いた何進は、宦官や名家の連中が失敗する中で完璧とも言える仕事ぶりを見せたことで、その地位を盤石なものとすることが出来たのだ。


ここまでくればそれらの提案を行い、色々とお膳立てをした李儒を特別扱いするのも当然だろう。


何せ何進も最初から李儒をそこまで信頼していたわけではないのだ。出仕の希望を受けた当初は「こいつ、正気か?」と李儒の正気を疑ったし、自分を選んだ理由を聞いて一応の納得をしたものの、名家や宦官からの刺客の可能性を考慮して、雇い入れた後数ヵ月は監視を怠ることは無かった。


しかし当然と言うかなんと言うか、李儒の行動や思考には裏など微塵も無かったので、その監視は無意味に終わる。


李儒としても、雇い主である何進がいきなり現れた自分を全面的に信頼するような阿呆では困る。よって自分が監視されるのは当然だと思っていたこともあり、監視されようが何だろうが、ただひたすらに仕事を行う日々を送っていたと言う。


そんな彼を見て何進としてもリアクションに困ったらしいのだが……まぁとにかく、昔から李儒と言う男は良く働いたことだけは確かだ。


更に彼はどんな仕事に対しても文句を言わずに誠実に当たっていたので、何進もしばらくは監視したものの、段々と警戒するのがアホらしくなったのか、彼は何時の頃からか李儒を積極的に使うことを決意する。


と言うよりかは、李儒が黙々と仕事をすることでやることが増え、それに比例して普段から溜まっていた書類仕事も増えたので、その全てを李儒に放り投げたとも言う。


そうして大量の書類を回された李儒は、不平や不満を述べるどころか『ですよねー』と言って、今まで楽をしていた分の揺り返しが来たことに対してほっとして居たと言うのだから、彼の社畜根性は救いようが無いレベルと言えよう。


それはともかくとして。


日々黙々と職務をこなす李儒の姿を見た周囲の人間たちは、なぜそこまでして何進に忠義を尽くすのか?と疑問に思っていたのだが、実際のところは忠義云々ではなく『仕事が有るだけマシ。仕事は残さない。探せば仕事は幾らでも有る。仕事が有るなら働く』と言う無限に続く社畜思想が根幹にある李儒にとっては、当たり前のことを当たり前にしているだけであった。


まぁこの辺は価値観の問題なので、社畜の方々以外だと理解するのは難しいかも知れない。


結局のところ何が言いたいかと言えば、言い方は悪いが李儒は職務に誠実なのであって、何進に忠義を捧げていた訳ではないと言うことであり、李儒にとって何進は忠義の対象と言うよりも、自身の将来の為の腰掛けのような存在であったと言うことだ。


故に、何進が死んだと確信したところで彼の中に怒りなど沸くことはない。


いや、このまま何進が宦官や名家を駆逐して漢を再興してくれればこの後の戦乱が発生しないので、漢や自分にとって一番良かったのは確かだ。


そのため彼が知る歴史のような事件が起こらないようするためにどうすれば良いか?と考えた彼は、まず禁軍や西園軍が軍勢として張譲らに味方しないように光禄勲となった。


また、彼らが反発しても良いように実動部隊を率いる下軍校尉を指揮下に収めて、序列と言うものも理解させた。


さらに数十人程度の禁軍の兵士が宦官どもに脅迫や買収をされても余裕を持って撃退出来るように何進を鍛えたし、毒やら暗殺には注意するように散々言い聞かせてもいる。


そこまでしても死んだと言うのならば、もう考えを切り替えるのが策士と言う人種に必要な素養だ。


そもそも自分は直接手を下してはいないとは言え、黄巾の乱に於いては数十万とも言える民を殺すために様々な準備をしたし、辺章・韓遂の乱では漢帝国の人間だけでなく羌族も殺しまくった。


ついでに言えば現在進行形で継続中の張純の乱も、発生する前に潰そうと思えば潰せたのにあえて放置して乱を起こさせている。


つまり自分達はここ数年だけでも数十万人の命を駒のように使っているのだ。そんな自分が今まで世話になった上司の一人や二人が殺されたからと言って、その復讐に走るなどあり得ない。


そう、だから、今、この自身の身の内から止めどなく滲み出て来る怒りは、何進を殺されたことに対してではなく、自分の策を潰してくれた連中に対する怒りであり、そんなに簡単に潰されるような策をろうしていた自分に対する怒りだ。そうに違いない。


「……楽に死ねると思うな」


とは言え、この怒りは並大抵のことでは収まらないし、収める気も無い。


よって、ついでに、そう、あくまでついでであるが、9年間世話になった上司の分も痛めつける。さしあたっては何進を殺し、袁紹の宮中乱入を招いておきながら、劉弁や劉協を確保してのうのうと逃げ出してきたであろう張譲がメインのターゲットだ。



ーーーー



未だに李厳と合流しておらず、洛陽で起こったことの詳細を知らない李儒は、その怒りの矛先をこれから合流する一団に居るであろう大宦官へと向けていた。


そんな李儒を見て、細かい説明を受けずに下馬させられた周囲の人間は「え?彼らを出迎える為に下馬したんじゃないの?」と言う疑問を感じたり「……どう言うことなの?」と内心で首を傾げて居たと言う。


か、勘違いしないでよねっ!何進のことなんか何とも思って無いんだからっ!ってお話。


北斗○拳なら「これは幼い兄弟の分ッ!」と言ったところかもしれません。

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