6話
一〇月下旬 荊州南郡 襄陽宮中
「では軍議を始めます」
「「「はっ!」」」
孫堅を筆頭とした諸将が集まってから、開催した軍議だが、正確には軍議ではなく決定事項の伝達に近い。なぜなら今回の方針はすでに決まっているからだ。
「今回の狙いは徹底して敵を損耗させることにあります」
「損耗、ですか?」
「えぇ。特に狙うのは兵站。曹操に敗れた袁術が寿春に入ったことで、劉繇や陶謙が警戒しております。ただでさえ遠征に失敗して物資を失った袁家には、物資はもちろんのこと荊州まで援軍を出せる人的余裕はありません」
「戦での勝利を目指すのではなく、ひたすら削れるだけ削ることに注力する、と。一見胡乱に見えますが、それこそが最も早く江夏を討伐できる策というわけですな?」
「そうなります。連中の得意とする水戦に真っ向から付き合う必要はありませんので」
「然り然り」
諸将、それも孫堅あたりが我が意を得たりとばかりに頷いているが、まぁそうだよな。
元々この軍議に先立ち、孫堅の所から派遣されてきた程普が、なぜか死にそうな顔しながら「水戦では勝てません。なにか策はあるのでしょうか?」って確認に来たくらいだからな。
そんなこと言われんでも知っとるわ。
赤壁の戦に勝つ前後から水戦巧者の名を恣にしていた呉陣営だが、実のところ彼らがそう名乗るようになったのは、二〇〇年代になって黄祖が率いる荊州水軍を打ち破ってからのことである。
それまで漢帝国における最強の水軍と言えば、荊州水軍を指す言葉だったのだ。
史実に於いて荊州を手中に収めた曹操が、現地の豪族でしかない蔡瑁を厚遇したのは、干戈を交える前に全面降伏してきたことを高く評価したという点もあるが、それと同じかそれ以上に、曹操陣営の誰もが持ち合わせていなかった水戦の知識と経験を持つ点を評価されたからである。
無論、孫堅とて水戦を知らないというわけではないだろう。
だが、黄祖と比べれば、培ってきた経験値がまるで違うのは衆目の一致するところ。
黄祖が率いる江夏勢に正面から水戦を挑むなぞ、呂布が率いる并州騎兵に俺が荊州の騎兵を率いて挑むようなものだ。
つまり自殺行為。
まかり間違ってもそんな真似をするつもりはない。
ただまぁ、正面から挑まなければ勝算はあるわけで。
「対陣するだけでも物資は減らせますからね。それを続けるだけでも勝てるでしょう。しかしこの方法では時間がかかります」
方針としては、劉焉を摺り減らそうとしている劉弁と同じだ。
違いがあるとすれば、こちらの敵は地形的に援軍を見込めない劉焉ではなく、いざとなれば「自分が死ねば次はお前たちだぞ!」と脅すことで、袁術や劉繇から物資の補給を受けることが可能な劉琦であることだろうか。
時間を掛ければ掛けるほど袁術と劉繇が手打ちをする可能性が高まるし、なによりこちらとて無駄遣いはしないに越したことはない。
そこで俺が考えたのが、敵が持つ物資の中で最も高価で、最も替えが利かないモノを狙うこと。
即ち。
「船です。黄祖でも黄祖に従う将兵でもなく、船を徹底的に狙います」
「船? それは、水戦を挑むということでは?」
そう思うよなぁ。
でも違うんだ。
「戦う必要はないのです。あくまで船だけを狙うのですから」
「と、いいますと?」
「戦船に投石機を積んでぶつけるもよし、鎖や網で繋いだ小舟で包囲してから火をかけるのもよし、もっと大雑把に、上流から大量の小舟を流しつつ機を見てそれを燃やして吶喊させてもよし。ともかく船を削るのです」
「それは……」
絶句する孫堅。
そう、これこそ消耗戦。
一〇〇対三〇の戦いで、こちらが九〇失っても敵の三〇を潰せばそれでいいという、攻める側にとって最も頭の悪い戦法にして、やられる側にとって最もやってほしくない戦法である。
それはそうだろう。
この戦法を取られたが最後、国力に劣る方が負けてしまうのだから。
加えて、失うのが”船”という戦術物資である点も見逃せない。
兵士であれば、その気になればその辺にいる民を無理やり徴用できるが、船は一隻一隻建造しなくてはならない。それも戦に使う船となれば、練達の職人の手で、しっかりとしたものを造らなければ使えないのである。
翻って、今の江夏にどれだけの物資があるだろう。
船だけで言えば、元々荊州で抱えていた分は、ある。
だが、新たな船を造るだけの木材は?
それを造る職人は?
兵を待機させる為に必要な物資はどれだけある?
答えは、どれも十分ではない、だ。
こちらから派遣している商人や、現地にいる協力者の証言から、彼らには、今ある船が失われた際、それらを補填できるだけの物資も生産力も持ち合わせていないことが分かっている。
元々江夏一郡しか持たない身だ。物資に限りがあるのは当たり前。
陰に日向に援助している袁家や劉繇とて、無尽蔵に物資があるわけではないしな。
特に劉繇に至っては、荊州水軍の強化は自分たちの首を絞めることにも繋がるということもあって、鎧袖一触で潰されない程度の戦力は保持してほしいと思っていても、それ以上ではない。
よって、連中は新たに船を造らせるほどの援助はしないし、できないだろう。
そしてそれは袁家とて同じこと。
可能性は限りなく低いが、恩赦と引き換えに自分たちを裏切る可能性がある以上、必要以上の援助はしないはずだ。
もちろん、目の前で江夏勢が死にそうなほど追い込まれれば泡を食って援助しようとするだろうが、それをしたところで即座に船ができるわけでもなし。
対してこちらは、戦いながらも船を増産できるだけの人的余裕があるし、物資に関しても、主力となる大きな戦船ならそれなりの時間は必要だが、製造すること自体は可能だし、三人乗り程度の小舟であれば数日で何隻も造れるくらいには余裕がある。
現状でさえ十分な余裕があるが、交州や司隷からの支援を受けられるのであれば、その数はさらに増す。
この上、製造するドックも襄陽だけでなく、江陵や長沙など数か所あるのだ。
それらを総合した彼我の生産力の差は、向こうが数か月で一隻の楼船を造るのに対して、こちらは同じ期間で五隻の楼船を造れるほどには開いている。
こちらの生産力がどれだけ勝っているのかを前世風に喩えるなら、月刊楼船、週刊蒙衝、日刊先登、三時刊走舸といったところだろうか。
大軍に策なし。
消耗戦になった時点で国力が低い方が負けるのは、世の摂理。
戦略的勝利を戦術的勝利で覆すことを不可能とは言わないが、こちらがそれに付き合わなければいいだけの話。
ただまぁ、物量に押し負けたからと言って素直に敗北を認めるとは限らない(というか、物量差を理解できるなら最初から抵抗をしない)し、そもそも目先のものしか見えない兵たちは、長安政権がどれだけの戦力を持っているのかを理解できていないのだ。
だからこそこの手を選んだ、とも言えるが。
「こちらは自爆覚悟で敵の船を減らしに行きます。そして減った分だけ新たに造ります。その様子を見せつけることで、賊徒ども、特に兵にされた者たちに抗戦の無意味さを叩き込むのです」
戦力差を正しく理解していないから逆らえる。
ではそれを正しく理解できたとき、彼らはどうなるだろう?
答えは一つ。
戦うことなく、内側から崩壊する、だ。
「なまじ実力があるからこそ、黄祖はあきらめないかもしれません。降伏したところで逆賊として処刑されることが確定していますしね。ですが彼に従う兵士はその限りではございません」
「な、なるほど。我らは敵の船を攻めると同時に、兵の心を攻めるのですな」
「その通り」
例外的に”やけくそになって徹底抗戦に及ぶ”というのもあるが、四面楚歌の故事を顧みればわかるように、ほとんどの場合やけくそになるのは将帥だけであり、兵士はその限りではない。
彼らにとって大事なのは生き残る事であって、黄祖や大義も名分も関係ない。
よって覆せない状況だと理解した時点で降伏を促せば下るのだ。
つまりこちらは、どれだけ個の力が優れていようと、数の前には無力だと直接見せてつけてやればいい。
生産力の差は、戦力の決定的な差なのだということを認識させてやればいい。
無学故に統治者に使われている兵たちにもわかるように、徹底的に削ってやればいい。
それでもまた抗うというのであれば、潰してやればいい。
どれだけ優れた戦術家でも兵がいなければ策を実行できないのと同じように、どれだけ優れた技術を持っていようとも、一定数の船が無ければ彼らは最強足りえないのだから。
あとは、そうだな。
勘違いがないように言っておくか。
「無論、削るだけではありません。勝てると判断したときは勝ちに行きます。物資を消費することは覚悟の上ですが、無駄な浪費は控えるべきですからな」
重要なのは一つの方策に拘らないことだ。
せっかくいくつも手を打てるだけの下地があるんだから、打てる手を打たないのは不作法というもの。
戦は勝てるときに勝つ。それが大事。
「納得していただけたのであれば準備に移っていただきます。すでにそれぞれが担当するところを決めておりますので、まずは指示に従って動いて下さい。疑問があればその都度聞きましょう。よろしいか?」
「「「御意!」」」
「結構。では征きましょう」
「「「はっ!」」」
さてさて。
本腰を入れたこちらに対して、向こうはどう動くだろうか。
どれだけ抵抗して、どれだけの物資を失うことになるのやら。
おおよその見当は付くが、それが正しいとは限らない。
本音を言えば、今後に差しさわりがない程度で済めばいいと思っているが、これは甘えかな?
いや、仮にも孫堅を討ち取った名将だ。
なんちゃって知恵者の俺程度が油断して勝てる相手ではなかったわ。
とはいっても、消耗戦に引きずり込んだ時点で戦略的に勝っているのだ。
軍議に参加した孫堅や蒯越らの顔を見れば、これからの巻き返しは彼らでも難しいのだということがわかる。
それでも黄祖なら、黄祖ならナニカをしてくるかもしれない。
そんな思いが消えてくれない。
『高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する』とは誰の言葉だったか。
戦の前の心構えとしては完璧だな。
今の自分では、どう頑張ってもその域には辿り着けないと自覚せざるを得ない。
「……名将にはほど遠い、か」
数手先を読むのは一〇〇年早い。
一歩一歩を確実に。
まずは目の前の敵に勝とう。
次のことは勝ってから考えよう。
凡夫でしかない我が身にはそれがお似合いだ。
閲覧ありがとうございました
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