2話
「ンンッ! ……切り替えようか」
「……はっ」
なんとも言えない雰囲気を払拭するためか、劉弁がわざとらしく大き目の咳ばらいをした後、机の上に広げられた地図に視線を向ければ、家庭内の問題に口を挟みたくない司馬懿もまた、劉弁の思惑に乗って地図に目を向け、その意識を陽平関の攻略へと向けた。
「要害を抜くことは簡単じゃない。で、正面からの攻撃で抜けないなら隘路を利用して守備側の隙を突くのが定石……と言いたいところだけど」
「難しいでしょう。地の利は向こうにあります故」
「うん。そうだよね」
元々漢帝国の正当後継者である劉弁陣営は、漢帝国が持っていた情報のほぼ全てを継承している。
その中には、諸侯が持つそれよりもよっぽど精密な漢全土の地図もあった。
加えて戦に先立つ当然の備えとして、益州出身の人間を多数動員している。
そのため、まったく地の利がないというわけではないのだが……如何せん、敵は長らくこの地に根差す集団である。当然、地元の人間しか知らない道や、水場を熟知している。
まして、劉焉は益州牧となった後、漢中と司隷を繋ぐ道を封鎖したり、自分たちしか知らない道を造ったりしていたのだ。
それらに関する最新の情報を持たない劉弁陣営が、防備を固めている相手に奇襲を仕掛けるのは現実的ではない。
というか、ここ数日は益州側からの奇襲を受けている状況にあった。
「んー。どうしたもんかねぇ」
事実、今日も今日とて、わぁわぁと、少し離れたところから兵士たちが挙げる喚声が聞こえてくる。
声色は大きく分けて二種類。
勢いよく突っ込んでくる攻勢側と、やや余裕がある防衛側が出す声だ。
「余裕はあっても油断はしていない……はずだよね?」
「無論です」
即座に肯定した司馬懿の言が正しかったことを証明するかのように、喚声は徐々に小さくなっていき、そして途絶えた。
「終わったかな?」
「そのようですな」
勝鬨は上がらない。当然だ。
こちらが万を数える軍勢なのに対し、相手は多くとも数百程度。
いかに敵が最初から死を覚悟している兵、所謂死兵と呼ばれる存在とはいえ、それはこちらも同じこと。
もし敵の数だけを見て油断をし、万が一にも本営まで敵の突破を許した場合どうなるか。
叱責? 足りない。
その場合は対応した部隊全員――しかもその家族まで――処刑されることになるのだ。
この際、処刑された者に与えられるのは『勇敢に戦った忠義の士』という名誉ある言葉ではない。
『油断して賊を通した無能者』もしくは『賊と通じた不忠者』という不名誉極まりないものになる。
なぜか。それは本営にいるのが、絶対君主たる皇帝劉弁その人だからだ。
もちろん、敵の数がこちらよりも多かったり、行軍中に隙を突かれたりしたという状況下でのことなら敵を通すこともあるだろう。その際は、先述したような咎めが与えられることはない。
だが、現状はそのどちらでもない。
数百の敵に対し、こちらは一万の西園軍。
軍勢も、本陣を構えたところから動いていない。
つまり防衛戦を行うにあたって万全と言える状態だ。
この状況下において『敵に抜かれる』ということは、言い換えれば『圧倒的有利な状況に胡坐をかいて油断をした結果、皇帝の前に敵を通した』ということに他ならない。
間抜けを晒した者たちに与えられる罪の名は怠惰。
一族郎党が処刑されても文句を言えない大罪である。
つまり、彼らにとっては一つの油断が、自分、親類縁者、果ては今は亡き父祖らにまで悪評を背負わせることになるのだ。
それは、名誉を何よりも重んずる社会に於いて、正しく死よりも恐ろしいことと言っても過言ではない。
故に、攻勢側以上に防衛側も死に物狂い。
死兵と死兵がぶつかれば、勝つのは練度と装備と数に勝る側と相場は決まっている。
よってこれは当然の勝利。
そもそもの話、日々戦闘訓練をして過ごしている皇帝直轄の精鋭部隊にとって、半農の兵に勝つのは当然のことではないか。
当然の勝利に上げる鬨はなく、敗死した兵から装備品を略奪して喜ぶような精神性も持ち合わせてはいない。むしろ面倒な後始末を前に顔をしかめているまである。
そういう風に鍛えられた集団なのだ、西園軍とは。
彼らのそうした強さと堅実さに一定の信頼を置いている劉弁もまた、本陣が襲撃された程度では動じない。
「無駄なことを……と言いたいところだけど、本陣がたびたび襲撃を受けているのもまた事実なんだよねぇ」
「先ほども申し上げましたが、地の利は向こうにあります故」
「だからしかたないって? よく言うよ」
信頼できる腹心、司馬懿が発した『致し方なし』という呟きを、劉弁は苦笑いをしながら吹き飛ばす。
確かに地の利は向こうにあるだろう。それは劉弁も否定しない。
しかし、それはあくまで陽平関を含む戦場全体を見渡した場合に限った話だ。
本陣周辺に関して言えば、地元の人間を使って周囲を念入りに調べたうえで陣を構えた官軍側にこそ利があると言えるだろう。
にも拘わらず、間道を通ってきた部隊に本陣が襲撃を受けている。
そこに意図を感じないほど、劉弁は愚かではない、つもりだ。
「まずさぁ。無駄な突撃を繰り返す向こうの狙いは、朕の動揺を誘うことでしょ?」
「その通りかと。陛下が『もう嫌だ!』と泣き言をいうまで続けるつもりでしょう」
「だろうね」
君主は危うきに近寄るべきではないし、忠臣は君主を危うきから遠ざけるべし。
その考えに則れば、身の危険を感じた時点で劉弁は『こんなところにいられるか!』と声を上げるだろうし、劉弁の周囲にいる臣下もまた『少しでも危険のある場所に皇帝の身を置くべきではない』と説くだろう。
まして総大将である劉弁は、戦場の”せ”の字も知らぬ小僧である。
当然戦場での振る舞いなど知らぬだろうし、長期間の遠征に耐えられるような精神性も有しているはずがない。
暑さ、寒さはもちろんのこと、食事の質と量だって宮中と比べれば劣悪そのもの。
その上、定期的に自分の命を狙う敵が襲撃してくるのだ。
宮中で苦労を知らずに過ごして来た小僧が、満足な睡眠すらとれないような環境に耐えられるはずがない。
よって、早ければ数日。
最大でも一か月続ければ音を上げて撤退する。
劉焉陣営はそう考えていた。
で、劉弁が退けば当然皇帝の親衛隊である西園軍も退くし、劉弁に付き合わされている(と思われている)官軍も退く。
その結果を以て皇帝の親征が失敗したことを世に喧伝し、劉弁の威信を落とすと同時に、反劉弁の気運を煽り、諸侯を暴走させる。
そうなれば、長安の目は攻め難く守り易い片田舎に潜む劉焉よりも、より危険度の高い中原の諸侯、具体的には袁紹や袁術といった反董卓連合に参加した諸侯へと向くことになる。
周辺全てが敵となったところで劉焉が講和の使者を立てれば、長安政権に断るという選択肢はない。
親征に失敗し、威を落とした劉弁がなんと言おうが、政の実権を握る楊彪らが講和を推し進めるだろう。
講和が成れば、あとは簡単だ。
長安政権の内部に味方を作りつつ、時を待てばいい。
劉弁側が勝てばそのまま長安政権の重鎮として居座ればいいし、負けそうなら反旗を翻すだけのこと。
その際は自分が皇帝の地位についてもいいし、新政権の重鎮という立場に落ち着いてもいい。
戦に敗れて講和を受け入れた劉弁はもちろんのこと、劉弁に打ち勝った陣営とて、劉氏の長老格であり、最初に反劉弁の声を上げて戦った劉焉を軽んずることはできないのだ。
ならば、どちらが勝ってもそれなりの地位に着けることは確定しているということ。
つまるところ、劉焉はここで劉弁を退かせることができれば、最良で皇帝、最悪でも政権の重鎮にはなれるという道が開けるのである。
劉焉に従い抵抗を続けている者たちもそうだ。
彼らは劉焉から『講和を結んだ時点で逆賊の汚名が晴れる』と説明を受けているのだろう。
だからこそ、彼らは官軍を前に一歩も引かず、それどころか死を恐れずに攻勢をしかけてくるのである。
残された者たちの手によって、自分たちの名誉が挽回されることを信じて。
「それで、こっちはこっちで敵の意図を理解しつつ、わざと隙を見せて襲撃を誘っているわけだ。……朕の忍耐力を高めるために」
「御意」
「いや、そこはもう少し隠そうよ」
「お気付きでないならそうしても良かったのですが。お気付きであるなら隠してもしょうがないでしょう?」
「まぁ、ね」
基本的に司馬懿ら弘農派と呼ばれる面々は、必ずしも皇帝である劉弁が戦場に立つ必要はない、と考えている。
しかしながら、それはあくまで『率先して戦場に立つ必要はない』という意味であり、間違っても『必要なときになっても戦場に立てない』ことを認めているわけではない。
自らの足で戦場に立てない、名ばかりの皇帝に諸侯が従うことはないのだから。
ましてこの乱世は、先々代と先代皇帝の無策によって引き起こされたものだ。
諸侯や土豪が厳しい目を向けているからこそ、皇帝を名乗る者は自らの意志と覚悟を満天下に示さなければならない。
このことを誰よりも知るが故に、劉弁は母である何皇太后が反対しようが、妻である唐后が反対しようが、弟である劉協から苦情がこようが、政権の重鎮である楊彪らから諫める書状がこようが、全て黙殺しているし、司馬懿や李厳、荀攸と言った劉弁に近い面々もまた、劉弁の行動を諫めようとはしないのである。
加えて、極々最近、支配者にとっての反面教師として挙げられる例となった人物がいる。
「陛下に於かれましては、間違っても本番にて袁術が如き行いをなされては困りますので」
「まぁ、アレはねぇ」
戦場で、敵が来たから、逃げた。
それも、前線で戦う味方への指揮を放り投げたうえ、数少ない精鋭を引き連れて。
たったそれだけのことだが、その行動が齎した結果は誰もが知る通り。
一〇万という大軍を擁したものの指揮系統と精鋭を欠いた袁術軍は、彼らの半数にも満たない兗州軍の手によって完膚なきまで叩かれたのである。
一応、追い詰めすぎて窮鼠になることを嫌ったことや、復興のために袁術軍が残していった物資の回収を優先した曹操が追撃を緩めたが故に半数以上は帰路につくことができたようだが、本来であれば袁術軍がここまで一方的に被害を出すような戦ではなかった。
最低でも前線で戦っている部隊に使者を立てたり、殿となる部隊に精鋭を残していたらもっと苦戦していただろうし、それに伴って袁術軍の損害も少なくなっていたはずだ。
実際に戦った曹操や鮑信はもちろんのこと、後から戦の経緯を知った者たちもまた、そう考えていた。
「確かに、どうあがいても勝てないと判断したのであれば、大きな損害を出す前に疾く退くべきでしょう。それは否定しません。ですが、それもしっかりと備えをしてからのこと。まして、勝てるかどうか微妙な際に総大将が率先して退く、いえ、逃亡するようでは勝てる戦も勝てません」
「そうだよねぇ」
司馬懿とて『皇帝たるものいつも背水の陣を敷く覚悟を持て』と言っているわけではない。
ただ『戦理に則った撤退と臆病風に吹かれた逃亡は違う』と『撤退するにしてもやることをやってからにしろ』と言っているのだ。
もちろん、劉弁はここで司馬懿が撤退の悪しき例を出してきた意味を理解している。
選択を促しているのだ。
残るか、退くかの。
現状、敵が篭る関を落とすには決め手を欠いている。
それどころか頻繁に敵兵が本陣へ襲撃をかけてくる始末。
このまま意地を張って残ったところで関は落とせないが、退けば劉焉に付け入る隙を与えることになる。
また、ここで退かなくとも、数か月すれば冬になり撤退せざるを得なくなる。
では『数か月以内に落とせる当てはあるのか?』と問われたところで、現状では否と答えるしかない。
手詰まりなのだ。
長安に残った者たちからも『このまま残って物資や兵の命を浪費するくらいなら、一度退いて仕切り直すべきでは?』という意見が上奏されている。
もちろん退けば劉焉に付け入る隙を与えることになるが、今であれば高祖の言葉を引用することで傷を最小限に抑えることは可能だし、何より時間は、年老いた劉焉よりも若い劉弁に味方している。
一度退いたところで、いくらでも巻き返せる。
むしろ今のうちに退かないと取り返しがつかないことになりかねない。
また、撤退にはもう一つ戦略的な意味を持たせることができる。
それは、対外的に勝利を喧伝するためにも、劉焉は配下に褒賞を支払わなければならないということだ。
信賞必罰こそ組織の要。
必死で戦った配下に褒賞を支払うのは当たり前。
まして勝ったなら尚更支払いをケチってはならない。
もし褒賞の支払いを躊躇すれば、それが不満や不信の種となり、内部崩壊のきっかけとなる。
そのことは劉焉とて理解しているだろう。
故に、支払うべきものは支払おうとするはずだ。
しかし、しかし、だ。
その褒賞に用いる資財はどこにある?
兗州に於ける袁術軍のように、敵が物資を置いていってくれたなら、それで賄うことができるだろう。
だが、今回の戦はあくまで籠城戦。
それも、機を見て積極的な攻勢を行い敵を追いやるのではなく、敵に撤退してもらうことを求めている戦だ。
劉弁だけならいざ知らず、皇甫嵩のような名将がいて、撤退する際にわざわざ物資を残していくような真似をするはずがない。
敵から得られないなら、自分の懐から出すしかない。
数万の兵を動員した際に掛かった費用も。
彼らを飢えさせないために必要な食糧を用意した費用も。
彼らの装備を揃えるために掛かった費用も。
そして生き残った者たちに与える褒賞も。
諸々全て益州の予算で賄わなくてはならないのである。
しかしながら、広さの割に人口が少なく、それに比例して生産力も低い益州に、全員が納得するような褒賞を出せる余裕などあるはずがない。
表面上は取り繕ったとしても、必ず不満を抱く者は現れる。
人は『他人が自分よりも恵まれた』というだけで嫉妬する生き物なのだから。
劉弁陣営は、そこを狙って仕掛ければいい。
つまり劉弁は、一度退くだけで、敵に経済的な消耗を強いることができると同時に、不和の種を蒔くこともできるのだ。
反面、残ったところで得られるものは、ない。
あったとしても、せいぜいが『戦を理解しない我儘小僧』という悪評くらいだろうか。
まさに、進めば地獄、退けば極楽。
ここまで状況が整えば、劉弁に求められていることは一つしかない。
「普通に考えたら撤退するべき、だよね?」
「そうですな」
多少の傷は許容して、次の機会を待つ。
手詰まりを打開するための定石だ。
また、今の長安にはそれを許容するだけの余裕があるし、手元には母や妻、家臣たちから戻るよう嘆願書が届いている。
戦術的な理由があり、儒教的な口実があり、戦略的に見ても退いたほうが得がある。
撤退の準備は整っていると言っても良い。
劉焉が劉弁の立場であれば、迷わず退くことを選ぶだろう。
董卓や李儒であってもそれは変わらない。
よって、この親征を見守る面々は『劉弁は一旦退くことを選ぶだろう。今後しばらくは介入する隙を探す劉焉との政治的な闘いになる』と考えていた。
しかし。それらはあくまで将帥の意見。
皇帝たる劉弁は、彼らの予測を飛び越える。
「残るよ。我慢比べだ」
「はっ」
退くべき時に退かない愚かな行為?
違う。
皇帝たるもの、一度軍を興したのなら、勝つまで退くべきではない。
少なくとも、兵数で勝り、物資も潤沢にある状態は退くべき時ではない。
宮中と比べて不自由? 当たり前だ。
命を懸ける戦場に何を求めている。
冬が来る? 来ればいい。
北方の騎馬民族はこの地よりもずっと寒い中で生活しているではないか。
というか、数か月あるのだから、その間に兵を常駐させる砦を築けばいいだけの話ではないか。
諸侯が騒ぐ? 好きに騒がせればいい。
董卓や李儒を残しているのはそのためなのだから。
物資の貯蔵は十分か?
こちらにはあるぞ。
関に篭る将兵に冬を越す覚悟はあるか?
こちらにはあるぞ。
冬を越したとしても農耕期はどうだ? 年単位の対陣を嫌がる将兵を強制的に従わせるだけの力はあるか?
こちらにはあるぞ。
「老害が、皇帝を無礼るなよ」
皇帝劉弁。
その身には、平民の出でありながら皇帝の寵愛を射止めただけでなく、宮中に於いて数々の障害を乗り越えて子を産むまでに至った母と、同じく平民の出でありながら数々の敵を下して位人臣を極めるまでに至った伯父と同じ、荒々しき血が流れていた。









