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25話

荊州で袁術を反面教師とした講義が行われていたころのこと、遠く離れた涼州は郿に一人の策士が帰還していた。


「ただいま戻りました」


「おう。ご苦労さん」


涼州人には珍しく恭しい態度をとるのは、董卓軍が誇る軍師賈詡。

鷹揚にその礼を受けたのは、大将軍董卓その人であった。


「で、どうだった? あったか?」


「はっ。太傅様のおっしゃる通りにございました」


「そうか。で、地元の連中は?」


「同士討ちやらなにやらで四氏まで減らしました。今では互いを憎みあっており、手を結ぶ気配もございません。攻めるなり懐柔するなりお好きなように」


「さすがだな」


「あの程度の連中であればなんのこともございませぬ」


事実、策士を自認する賈詡にとって、今回の仕事は簡単なものであった。

後に詳細を聞かれた際に「一番苦労したのは移動であった」と語る程度には簡単なものであった。


では賈詡がしていた仕事とは何か。


それは敦煌(とんこう)と呼ばれる地の開発に関することであった。


漢にとって敦煌は涼州のはずれもはずれ。

わざわざ人を派遣してまで開発しようとは思っていなかったし、匈奴や羌族らが跋扈する土地でもあったため、半ば放棄されていた土地であった。


そんなところに董卓が賈詡ほどの人材を送り込んだのは何故か。


太傅こと李儒から指示があったからだ。


というのも、現在劉弁陣営が完全に保持している農耕に適した地域は司隷しか存在しない。

荊州も大半は抑えているものの完全ではないし、幽州や并州も高原で繋がっているものの生産性が低すぎる。涼州は一部で農耕が可能になっているものの、まだまだ開発の途上にある。


開発するには金がかかるし、買うにはもっと金がかかる。


今はまだ腐敗した名家たちから徴収した資財があるからなんとかなっているが、それだって無尽蔵にあるわけではない。


そういった状態であるため、食料を得る方策を練ることは長安陣営にとって喫緊の課題であった。


ただし、そういった諸々の懸念に関してどこぞの外道はしっかりと対処していた。


洛陽からの流民を無駄なく流用したり、画期的な農業政策を推進させたのは記憶に新しい。


そんなところに気が付く彼が、長安政権を襲う資金不足に対応しないはずがない。


その答えが……。


「あそこに眠る金鉱はかなりの規模にございますぞ」


これである。


イシク湖周辺に多数存在する鉱山。その中でも世界屈指の金鉱山と知られるクムトール鉱山こそ李儒が狙っていたモノであった。


かの鉱山は露天掘りで多大な成果を挙げている鉱山なので、採掘技術がそれほど発達していないこの時代でもそれなりに行けると判断したのである。


結果は当たり。現地の騎馬民族も山から金が取れることは知っていたようで、西から流れてくる商人との取引に使っていたくらいであった。


そこまでわかれば話は早い。


現地にいた四〇近い氏族たちは賈詡の策によりいがみ合い、殺し合い、その数を減らしている。


こうなればもう董卓の胸三寸。


賈詡がいうように攻めるも懐柔も好きにできるだろう。


ここまでは賈詡も得意満面で報告ができた。


問題はここからである。


「で、そいつらの死体はどうした?」


「……馬騰に引き取るよう指示を出しております」


「湖があるらしいが、水は十分にあるのか?」


「……はっ。加工に必要な分はあるかと」


「そうか。なら大丈夫だな」


「……鉱夫の当てはあるのですかな?」


「今のところは罪人とその家族。あとは()()()()()()()()()羌や胡の連中だな」


「なるほど。それなら初期に送り込む人員としては十分ですな」


「おう。死んでも加工できるから安心だぞ」


「……」


金鉱山を開発するためには現地に人を送る必要がある。

そして現地に送った人間を食わせる必要がある。


遊牧民族なら羊だけでも十分かもしれないが、漢人はそうではない。


また、遊牧民族とて穀物があれば食べたいと考えているので、農地改革は必要不可欠。


その農地改革に必要不可欠なのが有機肥料である。


だが、有機肥料は特定の成分が多すぎるとかえって土地を悪くしてしまう。

それを薄めるために水が必要なのだ。


それら一連の流れは賈詡とて理解している。


また古来より鉱山開発とは奴隷や罪人にやらせる労役の一つである。

その過酷さは突出した死傷率の高さを見るだけでも明白で、開発の初期段階に至っては半数以上が死ぬと言われているほど危険な作業だ。


よってそれを罪人にやらせるのは当然のことである。

これから傘下に収める羌や胡の連中とて、董卓に敵対した以上その覚悟はあるだろう。


つまり、董卓はなにひとつ間違ったことは言っていない


漢には金が必要だし、金を掘るには人手が必要だし、人手を養うには食料が必要だし、食料を作るには農地改革が必要だ。死んだ人間を有効活用するのは当たり前のことだ。


それはわかる。

だがどうしても有機肥料については抵抗があった。


李儒や司馬懿が聞けば『悪辣な策で敵を殺すのはいいのに、その残骸を有機肥料として活用するのが駄目な理由がわからない』と首を捻るだろう。


昔は董卓も抵抗があったようだが、自分で作業しないのなら大丈夫なのか、今ではにこやかに農政についての話を振ってくるくらいだ。


尤も、溺愛している孫娘の董白に現場を見せる心算は欠片もないので、やっていることの非情さはしっかりと理解できているようだが、それを止めないのであれば同意しているのと同じことである。


(やはり味方はいないのか……)


絶望する賈詡だが、それに代わる有効な手段があるわけではない。

代案のない反対はただのいちゃもんだ。


董卓にはそれなりに言えるが、李儒相手にいちゃもんをつける勇気などあろうはずもなく。

賈詡はこの件について抵抗することを早々に諦めることにした。


「……長安ではご親征の準備が整いつつあると伺いましたが、実際のところはどのような状況なのでしょうか?」


「順調にいけば来年の春には出られるだろう」


「それはそれは。劉焉もさぞ首を長くして待っていることでしょうな」


「まぁな。今までは準備させられたままずっと待機させている状態だ。予算も兵糧も馬鹿にならねぇくらい使っただろうよ」


「ですな。このままでも勝手に潰れそうですが?」


「それじゃあ陛下のご威光にならねぇんだとさ」


「なるほど。勝ち方に拘るほどの余裕があるとみるべきか、それとも勝ち方に拘らねばならぬ事情があるとみるべきか」


策士である賈詡にとって戦とは作業だ。

楽に勝てればそれに越したことはないと思っている。


その上で、勝った者が歴史を紡げばいいとさえ考えていた。


だから極論、勝ち方などどうでもいい。野戦だろうが攻城戦だろうが、火攻めだろうが水攻めだろうが、暗殺だろうが虐殺だろうがなんでも構わない。


だが、皇帝には皇帝の勝ち方があるということも理解している。


「正々堂々、正面から叩き潰す。確かにそれができれば最善でしょうが……」


「あぁ。劉焉とて馬鹿じゃあ……いや、今の長安に逆らっている時点で馬鹿ではあるが、袁術ほどの馬鹿じゃねぇ。勝算の一つや二つは用意しているだろうさ」


董卓がその気になれば、長安を落とすこと自体は不可能ではない。

しかしその後が続かない。涼州勢を食わせるだけの食料もなければ、政権を維持するだけの政治力がないのだから当然の話である。


涼州勢にできることは戦って奪うことだけだ。

生み出すことができなければ先はない。


しかも、彼らが奪えるのは長安まで。

どれだけ頑張っても半ば要塞化された弘農や、今も着実に要塞化されているであろう荊州へ足を延ばすことはできない。


関東に行けば? 無理だ。なまじ広いからこそ統治できない。

各地で反乱を起こされて、それを鎮圧しようと差し向けた部隊が各個撃破されるだろう。


特に厄介なのが涼州騎兵に並ぶ騎兵を持つ公孫瓚と、攻城戦や山岳戦にも強い孫堅だ。


彼らを効率的に使える腹黒外道の存在も忘れてはならない。


彼らがいる限り、董卓が長安を落としたところで意味はないのだ。


結局、荊州にいる腹黒をなんとかしなければ董卓が天下を取ることはできないのである。


そもそも、董卓はもう五〇歳を超えている。

いつ死ぬかわからないのにそんな冒険したくない。


それが偽らざる本音であった。


翻って劉焉はどうか。


彼は董卓よりも年上である。

後継者に関しても、男子が四人いたそうだが、今はそのすべてが長安に囚われている。


自身は老い先短く、後継者は死に体。

この状態で長安と敵対してどうしようというのか。


さっさと降伏して子供だけでも助けるか、もしくは養子を迎えて家だけでも残せるよう交渉するべきではないか。というか、それしか道はないのではないか。


そこまで考えが至れば劉焉の狙いも見えてくる。


「劉焉の勝ち筋は一つだけ。耐えて耐えて時間を稼ぎ、譲歩を迫る。これしかございません」


「そうだな。そのために陽平関に精鋭を集め、絶対に漢に下らない張魯とかいう宗教家を入れた」


黄巾の乱によって打撃を受けたこともあって、今の漢は宗教に厳しい。

道教の教祖である張魯がどれだけ善政を敷いても、それを認めることはないだろう。


認められないなら抵抗するだけ。

張魯は必死になって漢と戦うだろう。

それが劉焉にとっての数少ない活路となる。


「荊州からの中入りは?」


「ご親征は正々堂々正面から、だ。少なくとも最初はな」


「あぁそうでしたな」


相手の思惑に乗りつつ、それを正面から乗り越える。

確かに王道だ。それができれば誰もが皇帝を認めるだろう。


だが、そんなことが簡単にできるのであれば誰も苦労はしない。


「一度は失敗しますか?」


「その可能性は高い。二度目、三度目はどうかわからんがな」


不遜と思われるかもしれないが、軍人は事実を語るものだ。


董卓から見ても陽平関は難所である。そこに追い詰められた軍勢が篭っているのだ。

いくら三万の官軍と一万の西園軍を擁する軍勢とて、簡単に突破できるとは思えない。


なればこそ、一度目の失敗をどう活かすかが重要になるだろう。


「そういう意味では、一度目は勝てなくても失敗とは言えねぇかもしれんが、それを騒ぐのが文官どもだからなぁ」


数年前と比べればかなり風通しがよくなったとはいえ、未だに名家たちは滅んではいない。

少しでも失敗したり停滞すれば、彼らは孫堅にそうしたように『新帝の失態だ!』と騒ぐだろう。


「あぁ、いや、もしかしたらそれが狙いか?」


「……ありえますな」


敢えて隙を見せて騒がせて、のちに騒いだ輩を処罰する。


身中に残る虫を見つけるための手段と考えれば悪くはない。


まぁ、それもこれも官軍側に無駄な犠牲が出ないことが条件だが。


「とりあえず今回は見学だ」


「御意」


皇帝劉弁と逆賊劉焉。

諸侯が見守る中、両者がぶつかる刻はゆっくりと、だが着実に近づいていた。

閲覧ありがとうございました





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