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8話。弘農にて②

交渉第一弾。かなり短めです


文章修正の可能性あり。

司隷・弘農郡・弘農県 宮城内議郎執務室


「ではそちらにおかけください」


「……は?」


「なにか?」


「いや、なにかって。え?」


司馬懿に面会を申し込み、その面会の場とされた執務室に案内された楊修は、端的に言って混乱していた。


まず、彼の実家である弘農楊家とは、累世太尉の家と称されるほどの名家であると共に、この時期、事あるごとに自らの家を「四世三公の家である」とを口にしていた袁紹に倣ったのか、楊彪が太尉に就いたことで四世太尉の家とも謳われる名家である。


蔡邕・馬日磾・楊彪・盧植らによって編纂された東観漢記をベースにして編纂されたとされる後漢書には、その祖は前漢期に丞相を務めた楊敞(ようしょう)であるとも記されているほどだ。


一応、これにあえて補足を加えるとするならば、四世の第一代とされる楊震の父である楊宝は、銜環(がんかん)の故事で知られる有名人であると共に、当時の主流学問であった欧陽尚書を修め、王莽や光武帝から召喚を受けるほどの人物であったということは広く知られている。 よって、たとえ楊敞がその祖でなかったとしても、弘農楊家という家は前漢の時代から士大夫を排出していた名家であることは疑いようもない事実である。


……結局何が言いたいかと言えば、彼の家は何故か同列のように語られている汝南袁家よりもその歴史は長く(汝南袁家は後漢初期に興った家である)、格式も高い。ということだ。それは無論、司馬懿の実家である河内司馬家など比べ物にはならない程だ。


そんな格式の高い家の長男。それも父が現役の三公ともなれば、本人が無位無冠の身であろうとも、当然その扱いは誰が言うまでもなくそれなり以上のものとなる。


実際、これまで楊修が他家を訪れた際には、どこの家であっても彼を下にも置かぬ待遇で迎え入れたものだ。


それが今はどうだ。


通されたのは来賓を迎える客間ではなく普段業務を行うであろう執務室だし、入室したかと思ったら、書類仕事の片手間に「お待たせしました。私が司馬仲達です」と挨拶をされ、慌てて名乗りを挙げたかと思ったら地面を指さされ、何かあるのか? と思ったら「そこに座れ」言われたのだ。


当然この位置は下座に当たる位置だし、勧められた場所に椅子はなく、あるのはそれなりに上質な筵のみ。


上質と言っても、この場に同僚の議郎として同席していた徐庶が「ここにもあったんだなぁ」と、どこか懐かしさを覚える程度の品質である。


(下座はともかくとしても椅子すらないだと? これではまるで罪人ではないか。いくらなんでも無礼に過ぎるぞッ! いや、まて。駄目だ。落ち着け徳祖ッ!)


自身の扱いが客ですらないことに気付き、込み上げてきた怒りに任せて糾弾の声を挙げようとした楊修だが、即座にその行いが自分たちに何を齎すかということに思い至り、怒りを鎮めることに成功する。


(……まさかこの扱いが司馬議郎の独断ということはなかろう。で、あるならば、だ。彼の上司である太傅様や陛下は私を罪人と認識しているということになる)


聡明さで知られる楊修である。少し冷静になって考えれば、名家としての常識をもつはずの司馬懿が己を迎えるために用意した場が不自然極まりないことや、その不自然さが何を意味するかを考察する程度のことはできるのだ。


(陛下が滞在する地に、陛下や太傅様が罪人と見なしている者が訪れたと言うのなら、それが何者であれ賓客扱いなどできぬは道理。もしもそのように扱えば自身が罪に問われるのだからな。なればこそ自ずとこういった扱いとなろう。即座に縄を打たぬことや、筵を敷いていることがせめてもの慈悲。そういうことか)


「……失礼する」


名家的常識に則って考察した結果「司馬懿は己に喧嘩を売っているのではなく、最大限に配慮しているのだ」と結論づけた楊修は、おとなしく指し示された通りに筵の上に座ることにした。


(この程度の扱いで激昂して席を立つわけにはいかぬ。重要なのは椅子の有無でも私の面子でもないのだからな)


実際のところこの演出は司馬懿の独断であり、楊修を客人扱いしたり椅子を用意したところで司馬懿が罰せられることはないのだが、元々「彼が激昂して立ち去ったり、自分に何かしらの危害を加えてくれれば、楊彪ごと滅殺できる。陛下も楊彪や奴が恩赦を与えた連中を殺す口実を欲しているからな。ここで得るのも悪くない」などと随分と物騒なことを考えている司馬懿や彼の従者である(実際は同僚だが本人は従者だと認識している)徐庶がわざわざそのようなことを教えるはずもなし。


それでも自らの行動が一族郎党の命と名誉に直結していることを自覚していた楊修は、若干の勘違いがありながらも司馬の鬼才によって仕掛けられた一手を回避することに成功した。


「……ほほう」

(うわぁ。座ったよ。あの楊修様が本当に地べたに座っちゃったよ)


予定では、そのまま激昂して帰るか、李儒や荀攸などに面会を願い、自分たちの行動に対する抗議を行うかのどちらかになると思っていたのだ。しかし、楊修が取った行動は、まさかの着座である。


(聡明とは聞いていたが、まさかここまでの人物であったとは予想外よな。いや、私の見積が甘かったというだけの話だ)


これが王允あたりなら自分の策が潰されたことで不機嫌になるのだろう。しかしながら、ここに座る少年は大陸中に策謀を巡らせる腹黒外道の極みの弟子である。


(それに、第一の矢が外されたのならば第二の矢を放てば良い)


その精神力は一つや二つの策が潰された程度で狼狽するほど脆弱ではなかった。


「この時期にわざわざ某との面会を求められたのですから、何かしら重要なご用向きがあったのでしょう。そのお話を伺わせていただきましょうか」


「かしこまりました」


『一応とはいえ目上に当たる人物にここまで覚悟を決められてしまえば、さしもの司馬懿と言えども予定になかった本格的な交渉をせざるを得ない』


(周囲にそう思わせることが司馬懿の狙いであり、配慮なのだ。分かりづらくはあるが、それとて試しと思えばわからないではない。……そうだ。私がこの程度に気付かぬ程度の者だった場合、向こうから「交渉の価値なし」と見切りを付けられていたのだ。ならばやはり、この扱いは配慮であり試しなのだ)


若干の勘違いをしつつも、無事に第一の試練を突破した楊修。


この日初体験となった筵の座り心地は、決して悪いものではなかったそうな。


先手、挑発。

後手、着席。


初手から殺しにきた司馬懿と、なんとか回避した楊修の図。


―――


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