第53話 科学という力
二通目の《赤い手紙》には事件のあらましが書き連ねてあった。
事件は三か月前に起きた。
場所は王都の片隅にある共同墓地。
この墓標ばかりが立ち並ぶ人気のない場所で、マラカイト家の霊廟が突如として崩れ落ちたのだ。
しかも霊廟は最近建てられたばかりの新しいものだったにも関わらず、である。
そして不運なことに、王都に住むひとりの新聞記者が崩れ落ちた霊廟の下敷きになり、絶命しているところを発見されたのである。
亡くなった新聞記者はニック・ナイジェルという男で、王都の片隅でゴシップ誌に、労働者階級でも理解できる低俗な記事を書いていた。
この墓地で起きた事件ははじめ、事故と思われていたが、状況の不自然さから探偵騎士団が介入した。
というのも、ニックは墓所で死ぬまえに、大手新聞社に記事を売りに来ていたのだ。
ニックはその記事が何であるかは具体的に口にしなかったが「いいネタだ」と自慢し、もしも買うならいくら払うかと交渉していたそうだ。しかもその内容は「王室の威信に関わるもの」ということだった。
王室の名をだされたら、探偵騎士団も無視はできないというわけである。
事件後、墓所は王陛下直属の近衛兵団が監視を続けている。
探偵騎士団が遺体を検分したところ、死因は崩れ落ちた霊廟に押しつぶされたことに間違いなく、生前に暴力を受けたり、毒物などが使用されたいかなる形跡もみられなかった。
この点はラトは信用しているようで、いつものように遺体を解剖したいとは言いださなかった。
もちろん解剖したがったとしても北方領のような寒冷地でもあるまいし、三か月も前の遺体など残ってはいないだろう。
ラトは手紙を手にマラカイト家の門を叩いた。
王都の中ではあるが、ペリドット家のタウンハウスからは離れた場所である。
下町の隅も隅、王都の端っこ、という表現が相応しいような場所だ。守護塔の光も遠くにあり、共同墓所へは散歩に行けるような距離だった。
マラカイト家は外観からして寂しい雰囲気を漂わせていた。
ほかの邸宅が庭造りや美観に凝っているのに対し、この家の庭木は枯れて倒れ、痩せた雑草が割れた地面にへばりついている。
家そのものも、あちこち塗料が剥がれ落ち、窓は埃で汚れて曇っていた。
ラトが戸を叩いても家はしんと静まり返っていた。
それどころか、鍵が開いたまま扉が半開きになっている。
なんとなく不穏な気配を感じたクリフは、ラトと示し合わせてそっと扉を開けた。
玄関から先には薄暗い廊下があり、左の手前に二階に上がる階段がある。
まっすぐ伸びた廊下の最奥に人影がみえた。
うつむいていて表情はわからないものの、医者のような白衣を着た男性だ。
彼は天井からぶら下がっていた。
だらりと手足を伸ばして、かすかに揺れている。
しかもその首には麻縄が巻かれており、縄の先は天井にあった。
男は首吊り状態だったのだ。
クリフは咄嗟に飛び出しかけて、何かに足を引っかけて床にもんどりうった。
「待ってクリフくん」
「なにするんだ、ラト!」
クリフの足を払ったのはラトのステッキである。
「よく見てごらんよ、クリフくん」
ラトに促され、埃まみれになったクリフはもう一度廊下の奥を観察する。
すると、首吊り男に激しい違和感がある。
男の身体は確かにそこにあるのだが、彼の体は半透明に透けていた。
背後の壁紙の柄や置かれたローテーブルが透けて見えるのだ。
そのことに気がついた瞬間、全身が粟立つのを感じる。
「ゆ…………幽霊!?」
次の瞬間、部屋のどこからか爆笑する声が聞こえた。
「ひーっひっひっひ!! ユーレイじゃと!? い、いかん、笑いが止まらん! ホーッホッホ! コリャ苦しくて堪らんわい!」
クリフはその声でなんとなく冷静になり、笑い声のするほうに歩いて行った。
玄関からは階段が邪魔してわからなかったが、首吊り男がいる手前に開け放たれた部屋の入口があり、その向こうの部屋に笑い転げる老人がいた。
老人は車椅子に乗っている。
白髭に白髪、額の上にゴーグルをかけ、白衣を着ている。
「幽霊なんかこの世におるわけなかろう!! これだから科学に目覚めとらん無知蒙昧な輩は!! ぷっぷぷー! あ、いかん!!」
老人はクリフに人差し指を突きつけて爆笑した挙句、車椅子から転げ落ちた。
「助けろ!」
地面でのたうつ奇妙な老人を助け起こす気にはとてもなれない。
すると、どこからともなく女性が現れる。
老人がいた部屋は暗幕で囲まれており、その向こうに隠れていたようだ。
彼女は慌てた様子で老人に駆け寄り、慣れた手つきで肩にかつぐと、ていねいに車椅子の上に座らせていた。
クリフは部屋の様子を観察する。
「これはいったいどうなってるんだ?」
部屋には老人を模した人形が吊るされている。
ちょうど廊下の奥にうつった幽霊と全く同じ姿をした、麻縄で首を吊られた不気味な人形だ。人形の体は透けることなく、はっきりとした実体を伴っており、手をのばして触れることができた。
その人形を強い光を放つ照明器具が照らしている。
「クリフくん。これはガラス板を使った簡単なトリックだよ」
ラトはそう言いながらのんびりとした足取りで後からやってきた。
そして幽霊のそばに立ち、その手前の空間を軽く拳で叩いてみせる。
こんこん、と固い音が鳴った。
どうやら、廊下の奥はガラス板で塞がれているようだ。
クリフが確かめると、ガラスの板は車椅子の老人のいる部屋に対して45度の角度をつけて置かれている。
次にラトが老人のいる部屋に入り、吊るされている人形のそばのライトを消すと、廊下の幽霊も消失した。
「反射を使ったトリックだよ。光源がないときは、ガラス板はただ廊下の奥の風景を透過させるだけ。でも隣の小部屋にライトがある場合は、その部屋にあるものを浮かび上がらせて、板に反射してみせるんだ」
「なるほどな。わかってみると単純な理屈だが……なんでこんなことを……?」
「それはもちろん、マラカイト博士が来客を小粋な科学ジョークでびっくりさせるため。すなわち、博士は僕との再会を歓迎してくれているということさ!」
ラトはそう言って、車椅子に座った老人に向き直った。
この家の主がチェネク・マラカイトという老人だということは、手紙に記されていたので知っている。
マラカイト氏は、くだんの霊廟の持ち主なのである。
だが、マラカイト氏とラトがどうやら旧知の仲であるらしいことはクリフにとっては初耳だった。
「お久しぶりです、マラカイト博士。再びお会いできて光栄です」
「久しぶりだのう、ラト! お前さんがいなくなった日にゃ、日頃ワシのことを無視しとる探偵騎士どもが押し掛けてきて、煮込み鍋の蓋まで開けてくほどの大騒ぎだったぞ、この悪ガキめ!」
「博士、こちらはクリフくん、僕の相棒です」
「お前さんに相棒? 正気か? ま~た変なガスとか吸っちゃったんじゃないか?」
「そんなことしてませんよぉ、パパ卿が卒倒しちゃう」
「ジェイネルはま~だお前さんが小鳥も殺せないような優等生だと思っとるらしい。親バカにつける薬はないのう」
マラカイト氏の漏らしたため息は本気のそれであった。
ラトはマラカイト氏と抱き合って再会を喜びあい、それからクリフに紹介した。
「クリフ君。こちらはマラカイト博士。王都一、いや王国一の科学者だ。幼い僕の知的好奇心に科学という導きを与えてくれた方だ」
「カガクってなんだ?」
「世界とは何かを、魔法を用いず、合理と客観性のみによって理解しようとする学問のことだよ。さっきのガラスのトリックも科学のひとつだよ。僕も幼い頃、パパ卿と同じくらいたくさんのことを博士から教えていただいたんだ」
「へえ、それじゃ、お前のもうひとりの師匠ってわけだ」
「その通り。僕は探偵術をパパ卿から学び、世界をどのように理解するかという筋道をマラカイト博士から学んだというわけだね」
「それはつまり、緑色の煙が出る煙草を吸ってみるとかそういうことか?」
クリフが言うと、マラカイト氏は口を「ヘ」の字に結んだ。
「ワシはまず、自分で吸わずにネズミやウサギで試せと言うたわい」
どうやら、ラトは王都にいた頃も似たようなことをしでかしたことがあるらしい。
「カガクとかカガクシャとかいう単語は何のことだかわからないが、ラト、お前の頭のイカレたところがこの人由来であるということは理解したよ」
「僕のことはともかく、マラカイト博士の科学はホンモノだよ。博士は昔、王室顧問をしてらしたんだ。王宮に呼ばれた博士が、貴族たちの目の前で魔法もレガリアも使わずに竜巻を生み出すところを見たら、君もその失礼な態度を改めると思うよ」
「竜巻を? そんなことできるわけないだろ」
「できるよ! この物分かりの悪い相棒に目に物見せてやってくださいよ、博士。博士の竜巻、久し振りに僕も見たいなあ」
ラトがうれしそうに言うと、老人は渋い表情になった。
「悪いがなあ、ラト。あの仕掛けはとっくに売り払ってしまったんじゃ。ワシの最後の研究費を捻出するためじゃ」
「そうなんですか? もったいない……」
「まだまだ若いお前さんと違って、ワシには時間というものがないからな。リサ、お客様をもてなしてさしあげろ!」
暗幕やライトを片付けていた女性はクリフとラトに向かって軽く会釈をすると、お茶をいれにキッチンへと入って行った。
首吊り男の人形を取り外された居間は、マラカイト邸の外観と同じく質素な家具が並ぶ寂しい空間だった。陰鬱、と言い換えてもいいかもしれない。
その間もラトはマラカイト博士がいかに素晴らしい学者であるかを滔々と説明していたが、クリフには何もかもピンと来ないというふうで生返事である。
ラトはそのうち、しびれを切らして苛々してきた。
「クリフ君、これだけ言っても君はまだ科学の凄さがわからないようだね」
「レガリアや魔法なしで竜巻を作るって言われてもな。そんなことができれば凄いとは思うが、レガリアでやればいいだろ?」
「なんてことだ!」
ラトは口をあんぐりと開けたまま、血の気の引いた顔をしている。
「ねえマラカイト博士、聞きましたか!? きみ、さすがにそれは頭が悪いにもほどがあるよ。何とか言ってやってくださいよ、博士!」
ラトが大騒ぎをするかたわらで、リサは黙って、欠けたティーカップを三人分並べ、お茶を注いでいる。
リサは喪服のような黒い服を着こみ、眼鏡をかけた女性だった。
マラカイト博士はカップを傾けながら、フンと鼻を鳴らす。
「マ、王侯貴族にしろ、王国民と名のつくモンはそんなもんじゃろう。しかし、おぬしが先ほど何もない廊下に向かって幽霊! と叫んだことは純然たる事実じゃぞ」
「ぐっ……!」
それを指摘されると、クリフに分が悪い。クリフがさきほど、レガリアでも魔法でもないものに恐れを抱いたのは誰の目にも明らかだからだ。
「それにな、若造。レガリアで竜巻を起こせるならレガリアを使えばいいとか言っておったが、じゃあお主、レガリアを持っとるんか? ん?」
「うっ………まったく言い返せない」
「見たとこ食い詰め冒険者って格好じゃのう。そ~んな大層なレガリアを持ってるようには見えんわい。なあ、若いの。お前さんが腰につけてるもんは、魔法が作ったものでもレガリアが生み出したものでもないぞ」
そう指摘され、クリフは自分の剣を見下ろした。
「それは炉と火と鉄によってできたものじゃ。レガリアなんてかけらも存在しなかった時代、人が持っておる純粋な知恵だけで生み出されたものじゃ。たしかにレガリアは素晴らしい力を秘めておる。しかしロンズデーライト王国は長いことそれに頼り過ぎた。金と権力があり、レガリアを持てる奴らはいいが、貧しい連中はどうすれば良い? 魔法の力を振りかざし、ふんぞり返っているお偉い人達の言うなりになって小銭を拾いあつめるだけか? ん?」
マラカイト博士は思いのほか、真っすぐな視線をクリフに向けている。
それは真摯な問いかけであった。
ロンズデーライト王国はレガリアの力によって王国を守護している。ロンズデーライトの星に照らされるロンズデールの都がいい例だ。
だからこそ王侯貴族はこぞって強力なレガリアを手に入れようとする。強いレガリアをたくさん持つ事ができるということは、強い軍事力を持つということだ。
この国の権力はレガリアの保有量と比例しているのだ。
それに対抗できるのは、竜人公爵のような生まれながらの強者だけだった。
「それが良い国かね? わしは違うと思っておる。科学があつかう力とは、万人が持つものじゃ。男であれ女であれ、平民であれ王族であれ、仕組みを知りさえすれば誰でも使える力なのじゃ」
重ねられた問いかけには、思いがけない誠実さがあった。
しかしクリフには応えることができなかった。
マラカイト博士はどうやら奇抜なだけの老人ではない。彼なりの信念があってここにいるのだということもわかった。
そして同時に、彼の考え方の危険さも瞬時に悟っていた。
誰でも使える力など、王国の貴族たちは見たくも聞きたくもないだろう。
王国でなくとも、ありとあらゆる権力者が忌避するはずだ。
王家が敬われるのは武力や財力などあらゆる力によって国民を守護するからであり、誰もが力を持つようになった世界はいったいどうなるのか、その先には暗黒が待っているようにしか思えないからだ。
かつては王宮で竜巻を披露していたマラカイト博士が、今はこの王都の端で、うらぶれた小屋のような家に住んでいる理由はおそらくそこにあるのだろう。
「それで、ラト。わしのところに来た理由はなんじゃ。どうせあれじゃろ、探偵騎士の使いじゃろ。もっと言うと、ワシの墓じゃろ?」
「ご明察! さすが博士です」
「かーっ!! 探偵騎士ども、王室顧問の座をワシから奪った挙句、墓まで暴くつもりかーっ!!」
ちがうかもしれない、とクリフは考えを瞬時に改めた。




