第5話 無罪放免・下
「君を殴った男、レガリアを所持していたんだろう? この街でレガリアを複数所有し、カーネリアン邸に出入りできる冒険者が誰かなんて、冒険者ギルドに行って受付職員に賄賂を渡して問うまでもなくわかるものだ……。つまり、エストレイの仲間。クラン《銀狐》のうちの誰かしかない」
「エストレイの仲間が、エストレイを殺したのか?」
「そうじゃなかったらどうして君を殴るの? どんな理由があって?」
「そりゃ、お前が不躾だからだ」
「少しくらい礼を欠いた態度をとられたから殴るなんて、気が狂ったやつのやることだと思うよ、クリフくん」
クリフは、一瞬、自分が間違っているのではないかと思い始めてきた。
自信満々にとんでもないことを言い出すラトの口ぶりをまともに聞いていると、正しいものが間違っていて、悪いものが善いものに思えてくるのだ。
しかし、それでいて、本当にほんものの狂人は目の前にいるラト・クリスタルなのだ。
わけがわからないと思うのも無理はない。
「彼はべつに、死体を解剖しようとしたから怒ったわけじゃない。それよりもエストレイが自殺じゃないってわかったら、困るんだよ。だから怒ったんだ。あなたは息子さんの遺体を解剖したんですよね、カーネリアン夫人?」
夫人は銀製のティーセットが置かれたワゴンから、螺鈿細工が施された箱を取り出してみせた。
蓋を静かに開ける。
箱の内側には薄水色の布が敷かれ、氷の魔術が働いている様子が見てとれた。
異様なのは、そこに鎮座している赤黒い肉の塊だ。
それは取り出された人間の肝臓だった。
ただし、そこにあるものは紫色に変色し、表面には不気味な縞模様が浮かび上がっている。
「あなたから手紙を受け取った後です。死者を切り裂くだなんて冒涜的だとは思いましたが、その通りにしてみたところ、これが…………」
流石に気丈な夫人も、痛々しい表情で顔を背けている。
クリフも飲み物を吐きそうになった。
平然としているのはラトだけだ。
「健康な人間の肝臓はこのような色ではないし、縞模様が浮かび上がったりしません」
ラトは箱を受け取り、ルーペを取り出してじっくりと中身を観察している。
「やはり思った通り、僕の実験結果と同じです。毒ガエルですよ。迷宮の第四階層、神秘の泉に棲んでいる魔物です。奴らが吐く毒ガスは猛毒です。水溶性で空気よりも重たい性質のため、あまり広範囲には広がらないとはいえ、かなり強力なものです」
「あっ、もしかして……!」
澱みなく説明するラトに、クリフはたまらずに声を上げた。
実験結果、毒ガエル、迷宮の第四階層。そのキーワードが出そろう奇怪な話を、クリフは冒険者ギルドの地下牢で耳にしたばかりだった。
「まさか、仲間を皆殺しにして腹を切り裂いたっていうのが、その《実験》なのか!?」
「腹を切り裂いたのではなく、解剖したんだ。魔物の毒によって人体にどのような変化があるかは、実際に見てみなければわからない。だから実験した」
「それは殺人だ」
「大げさだなぁ。冒険に失敗し、全滅し、そして蘇生術によって復活する。それが冒険者の当たり前の日常というものだ。僕はそのサイクルをほんのちょっとだけ利用させてもらっただけだ」
「第四階層の毒ガエルは、周辺に出る魔物と比べても力の弱いものです。どうやってパーティを全滅させたのですか?」
夫人が質問すると、ラトは肩を竦めた。
「さあ。食後のお茶を飲んだあと、皆、急に眠気に襲われて寝入ってしまって……。地面に溜まっていた毒ガスを吸い込んだんだと思います。あれは不幸な事故でしたね、ほんとに……」
迷宮の外でならともかく、魔物がひしめいている環境で、冒険者たちにそんな油断が起きるとは思えない。
誰かが睡眠薬をしこんだのだ。
誰が? もちろん、答えは決まっている。
クリフはラトの胸倉を掴み、宙づりにした。
「何が事故だ、殺人鬼め……!」
「ちがう、探偵だ。それに、エストレイが他殺であると証明するためには必要な犠牲だった。そうでしょう、夫人」
ラトが救いを求めて、哀れめいた眼差しを向ける。
夫人は苦渋の表情で頷いた。
「この方の罪を許してあげて。今となっては、その通りなのです。冒険者ギルドには私から申し伝えましょう」
「感謝します、夫人」
「目の前で犯罪行為を権力によって無かったことにするのは止めてくれ。それに、それがどうして他殺の証明になるんだ?」
クリフが訊ねる。
ラトは胸倉を掴まれたまま、かわいそうなものを見る目つきでクリフを眺め、《やれやれ》とばかりに溜息を吐いた。
「考えてごらんよ。エストレイが発見されたのは白樺の森。毒ガエルはいない。つまり彼は死んだ後に運ばれたんだよ。本当の殺害場所は第四階層の泉だということになる」
「そんなことくらい流石にわかる。だが、なんでわざわざそんな面倒なことをしなけりゃならないんだ」
「そりゃもちろん、疑いの目を自分たち以外の人間に向けるためだ。そして彼の死を自殺に見せかけるため。あともう一つ理由が考えられる……。これはあくまでも僕の想像だけど。聞きたいですか、カーネリアン夫人」
ラトは珍しく前置きし、夫人のほうを気づかわしそうに見つめた。
夫人は黙ったまま頷いた。
「《《拷問するため》》です。迷宮の内部だったら、人は何度でも生き返るので」
「なんてこと……」
気丈そうに見えていたカーネリアン夫人は呟き、眉間のあたりを押さえたまま項垂れていた。
逸らした顔に深い影がうつりこむ。
それまでの高貴な仮面は剥がれ、青ざめた顔を隠すための厚化粧がわざとらしく見えた。
「夫人の前でこれ以上、暴力的なまねはよさないか?」
そう言われ、クリフは渋々、ラトを解放するしかなかった。
「貴方の息子さんは誇り高い人物でした」
ラトは夫人のそばに行き、優しく語りかけた。
「彼は最後まで喋らなかったんだと思います。だから、薄汚い連中はエストレイを殺すしかなかった……。殺して、荷物に隠して迷宮から運び出し、女神の加護が存在しない森に捨てたのです」
そして蘇生が不可能になるまで黙っていた。
あまりにも残酷な仕打ちだった。
「一緒に殺されたメイドは人質だったのでしょうね。でなければ、実力者で、レガリアも所有しているエストレイがそうやすやすとおびき出され、殺されるはずがありません。エストレイの仲間たちはあなたが捕らえたのですか?」
「ええ。葬儀での騒ぎを聞き、何かがおかしいと思いました。エストレイが本当に他殺なら、犯人を探し出して罰を受けさせるべきです。なのに忠告者を殴るなんて。ですから、家人に言いつけて捕らえさせました」
カーネリアン夫人の瞳には、怒りが宿っていた。
息子を殺され、本当は今にも悲しみと屈辱に倒れ伏しそうなのを、怒りと復讐心が支えているのだ。
「賢明です。クランメンバー全員が檻の中にいると考えてもいいのですね」
「実は……ひとりだけ。ガルシアという男が逃げているのです。息子や仲間のレガリアを奪っていて、素人では手出しできないのです」
「それはいけない!」
そのとき、クリフは見た。
夫人は顔を伏せていたし角度的に見えなかったが、クリフには見えた。ラトは掌の下で笑っていた。はっきりと、笑顔を作った。まさに悪魔の笑みだ。
「ガルシアはきっと逃げ伸びて、また狙ってきますよ。あなたは息子さんの意志を受け継ぎ、守らなくてはいけません。おそらく彼らの狙いは《女神レガリア》です」
何かたくらんでいるのを察し、止めようとクリフが腰を浮かせたそのとき、ラトはとんでもないことを言い出した。
「実は、そんなこともあろうかと手練れを雇って来ていたんです。葬儀のときは油断させるために殴らせませたが、こちらのクリフくんは実は王都で近衛兵団を指揮していた男なんですよ」
「はあ!?」
「証拠もあります。これは王様からの書簡です」
ラトはよくわからない紙きれを懐からちらりと出し、さっさとしまう。
完全に怪しい手口の詐欺師だ。怪しい詐欺師ではない。手口も覚束ない素人詐欺師だ。
「さあ、僕らを案内してください。偉大なレガリアを悪人の手から守らなくては」
「本当なのですか?」
もちろん違う。ラトの言うことに事実などひとつもない。嘘もいいところだ。
クリフは慌てふためいてラトを手招きすると、声をひそめた。
「俺は指揮官になったこともないし、近衛兵でもないぞ」
「もちろん、知ってる。近衛兵になるなら、貴族じゃないとね」
「お前、どこからどこまでが嘘なんだ?」
「エストレイが拷問されたかなんて、僕は知らない。そんなの知る術がないし。でも、その可能性は限りなく高いし、君だって見たいだろ? そんじょそこらじゃお目にかかれない特別なレガリアだよ」
「お前……!」
クリフは拳を握り締めた。
もう我慢することはない。
ラトをぶん殴り、こんなところは出ていってやろう。そういう腹積もりだった。
ただし、ラトがにやりと笑い、
「妹さん、おいくつ? 結婚相手を探しているなら僕なんてどう?」
と、囁くまでは。
クリフは居住まいをただし、精いっぱい堂々とした素振りで、夫人に向き合った。
「……俺たちをレガリアの元に案内してください。その、女神のレガリアとやらのところに」
彼は一瞬で近衛兵隊長になる決意をした。
どんな嘘をついたとしても、その嘘のせいで王家を侮辱した罪により死刑になるとしても、ラトが妹婿なんかになるのは嫌だったからだ。




