第42話 顛末
ジュリアンとの決闘の顛末は瞬く間に迷宮街に知れ渡ることとなった。
そして噂話の避け難い宿命として、話には背びれやら尾ひれやらがつきまくり、カーネリアン邸の玄関をくぐる頃には正体不明の怪物に化けていた。
連日連夜、迷宮街のありとあらゆる冒険者クランの使者がカーネリアン邸に押し寄せ、巷ではどのクランがクリフを獲得するかで賭けまで行われている。
この変化は冒険者として活躍することを望んでいたクリフにとっては願ってもないこと――そのはずだった。
しかしクリフはどんな人物が邸を訪れてもいっこうに会おうとせず、それどころか窓にカーテンを引いて部屋に引きこもってしまった。
その態度に並々ならぬものを感じたカーネリアン邸の面々は、この若者をそっとしておくことにしたが、ご存知の通りそういう暗黙の了解というものを一才考慮しない存在が屋敷にはひとりいた。
彼はタブロイド紙の束をわしづかみにして、一切の交友を拒絶する頑ななドアを大きな音でノックするのだった。
「素晴らしい戦果ではないか我が親友よ! 世間は君への賛辞であふれている。君とジュリアン氏の戦いはまさに英雄的——とは少々言い難いものではあったが、しかし世間の評判は上々だ。見たまえ、こっちの紙面では、君はまるで言葉を知らぬ獣のように戦ったと書かれている。蛮族の民が信奉する鬼神のような強さだったとね。名探偵の相棒として相応しい活躍ぶりだよ!」
ラト・クリスタルはそう言ってクリフの部屋に押し入ろうとした。
開きかけたドアを、クリフは内側から足で押さえた。
ラトも全力で抵抗し、ドアは二人の間で絶妙な拮抗状態を保っている。
「ドアを閉めろ、ラト。俺は誰にも会いたくない!」
「まったく逆のことを叫びたい気分だよ!」
「だいたい、鍵はどうした! ドアには鍵をかけていたはずだぞっ」
「不思議なことをいうね。開けることを想定して作られた鍵は大抵のものが開くようにできているんだ、覚えておきたまえ」
「ドアに鍵がかかっているのはな、部屋に入ってくるなって意味だ!」
「そんなに開けてほしくないなら溶けた鉛でも流し込んでおきたまえ。それよりも君、どうして機嫌が悪いんだい? ジュリアン氏は君の望み通りの贈り物をくれたじゃないか」
今日だけで三度、冒険者のクランの使者がカーネリアン邸を訪れた。
クリフがドアの向こうで何か言いかけた気配を察知し、ラトは鋭く舌を鳴らしてみせた。
「もうわかってる。名探偵たる僕の前で言葉にする必要はない。君は気がついたんだ、そうだろ? 地下の、湿っぽくて黴臭い、陰気な洞窟の中で魔物ともみくちゃになることがいかに愚かな夢かということに。きっと僕の仕事を間近でみているうちに感化されたに違いない。真に価値のある仕事とは、知的探求とは何か――それはつまり僕の」
クリフは渾身の力でドアを押し込んで鍵をかけた。
ラトはある種の護身術に長けているが、純粋な力勝負ではクリフに分があった。
ラトがまた鍵を開けてしまわないうちにドアを塞ごうと苦心しているとき、窓の向こうが昼日中だというのに陰る。
カーテンを開けると、ロープを使って屋上から降りてきたラトが窓の外で逆さまになっていた。
「君の運命は、僕の相棒となることだと認めたまえ、クリフ・アキシナイト!」
クリフはクローゼットを運んで窓を塞いだ。
続いて、廊下側のドアをキャビネットで塞いだ。
ラトは窓の外でうるさく喚いているが、寝台に横になり耳を塞ぐことで耐えた。
ラトのやり方が非常識であるのはまちがいないことだが、クリフがまた、このようなやり方で他者を拒絶しているのにも訳がある。
わけがあるのだが――ラトにしろ、冒険者連中にしろ、それを理解してくれるようにはとても思えない。
噂にも寿命というものがある。その日が訪れ、クリフに対する過大な評価がこと切れるまで、じっと耐えるしかない。
しかしそうなるよりもずっと早くラトが窓の外で「いけない、頭に血がのぼってきた。モーリス、引き上げてくれ」と言うのが聞こえた。
それきり、窓の外は静かになった。
ほっとしたのも束の間。
今度はドアの外に気配がある。
三秒ごとにコンコンとノックする音と「すいません、旦那様」と哀れめいた物乞いのような声かけが繰り返される。
しばらく無視していたが、異常なまでに等間隔を保ったノックは続く。
やがて耐え難いほどイライラして、クリフはキャビネットをもう一度、移動させて自ら扉を開いた。
廊下には背中の大きく曲がった老人が立っていた。
「すいません、旦那様。ここがどこだか教えていただきたいのです」
老人がしわがれ声で繰り返すのを、クリフは呆れて聞いていた。
ラトは変装術の達人だ。しかもレガリアの力を駆使することで、容易に年齢や性別、体格まで変えてしまう。
「やめろ、ラト。お前の変装だってことはわかってるんだ。どうしてそう俺の気を引こうとするんだ」
「変装? はて、なんのことやら……私はただ、親切な坊ちゃんに連れて来られ、この部屋の旦那様が道を教えてくださると聞いたもんですから……」
「わざとらしいぞ!」
変装だとわかっていても、齢九十の老人に怒鳴り散らすのは気分が悪いものだ。
そうこうしていると、今度はカーネリアン邸の執事、モーリスが慌てふためいた様子でやってきた。
ラトにつきあってロープの上げ下げをしたからか、着衣は乱れて汗だくである。
モーリスは衝撃的な事実を告げた。
「クリフ様、ラト様は先ほど外出なさいました」
クリフは口をポカンと開けたまま、老人と見つめ合った。
老人は何も知らない、おそらくは帰り道すら忘れてしまい、昨日の晩ごはんも思い出せないだろう無垢で哀れめいた瞳でクリフを見あげたのだった。
その正体を知っているのはラト・クリスタルだけである。
もしかしたらラトも知らないかもしれないが、正体を当てられるのもまたラトだけである。
「モーリス、ラトはいったいどこに行ってしまったんだ!」
「それが、行き先については何にも仰いませんでした。黒ずくめの服を着た男たちが三人ほど迎えに来られて、その方々といっしょに辻馬車に乗り込んで下町のほうへ行かれました。……こう言ってはなんですが、かたぎのようには見えませんでしたよ」
「なんだって、それを先に言ってくれ!」
クリフは真っ青になって、慌てて外出の支度を整えた。
*
老人の世話はモーリスたちに任せ、クリフは街に走り出た。
ラトを迎えに来た怪しげな男たちの正体について、クリフは心当たりがあった。
おそらく彼らは、裏路地の安酒場に陣取り、この街の裏社会を牛耳っている例の男——ナミル・デマントイドの部下たちであろう。
既知の通りナミルという男――女かもしれないが――とはクリフを窮地に追いやった不可思議なミイラ事件の際に知りあい、その後、しばらくナミルとラトは友好的で親密な間柄にあった。
……のだが、先日、その関係を悪化させるような出来事が起きた。
それはラトが暇を持て余していた期間に起きた。
カーネリアン邸の安寧のため奔走していたクリフは、ラトを街のあちこちへと連れて出かけた。そのうちのひとつがナミルの縄張りにある賭場である。
この賭場で、ラトは少々問題を起こした。
ラトは控えめに言ってカードの達人であった。しかし賭博用のカードに用いられる数字や記号はその明晰な記憶力を満たすには少なすぎ、退屈を持て余した名探偵は、賭けの進行役であるディーラーのイカサマを見抜いてしまったのだ。当然、店の護衛たち――要するにナミルの手下——はかんかんに怒りだし、よせばいいのにラトは護衛をぜんぶ返り討ちにしてしまった。
クリフはラトを連れて命からがら逃げだしたが、いずれ何らかの報復があるだろうことは明らかだった。
裏社会の報復は恐ろしいものだ。
このままではラトは、ハゲワシのイエルクでさえ眉をしかめるような非合理的かつ非倫理的な拷問にかけられ、迷宮街の下水道に浮かぶことになるだろう。




