第4話 無罪放免・上
ラト・クリスタルとクリフ・アキシナイトは無罪放免、揃って太陽の元に出ることとなった。
もちろん、この結果はクリフにとっては納得のいかないものだ。
パーティメンバーの遺体を素面で解剖した狂人が五体満足で野に放たれ、クリフは顔面にみっともない青あざができているのだ。
「いったい何故こんな奴を外に出したんだ……?」
「決まってる。カーネリアン夫人の采配だよ。この街で真正面から冒険者ギルドに物が言える人物は限られてるからね」
ラトはハンカチを丁寧に折り畳みながら説明する。
アレキサンドーラはいかなる国家にも属さない自治都市であり、街の実権を握るのは《冒険者ギルド》、《選挙で決められた街の代表者一名》、それから《カーネリアン家当主》で構成される《三人議会》である。
カーネリアン家は街の権力の三分の一を握っているのだ。
だが、クリフが聞きたいのはそういうことではない。
「なんでそんな立派な人間がお前なんかを外に出してやる必要があるんだ」
「知りたければ、僕と一緒に来るといい」
ラトは返してもらったステッキをくるりと回してみせた。
持ち手はぴかぴかの金色。柄との繋ぎ目に赤い宝石、反対側に緑の宝石が輝いている。それなりに高価そうな杖だった。
「どこに……?」
クリフは恐る恐る聞いてみた。
「もちろん、カーネリアン邸だよ。あそこが全てのはじまりだ」
「ばかじゃないのか、今度こそ殺されるぞ」
何とか誤解が解けたからこそ、クリフは帰って来れた。でも手紙の差出人が直接訪ねていけば、今度はただではすまないだろう。
けれどもラトには別の考えがあるらしかった。
「殺されたりしないよ。それに、一緒に来れば面白いものが見れるかもしれない」
「なんだ、面白いものって」
ラトは思わせぶりだ。
「《女神レガリア》…………って知ってるかい?」
「ただのレガリアじゃなくて?」
「そう、特別なレガリアだ」
「いや、知らない」
「うん、そうだろう。いかにも平凡で田舎者の君らしい返答だね」
「なんだと?」
気を悪くしたクリフとは対照的に、ラトは上機嫌そうに続ける。
「教えてあげよう。女神レガリアは世界に四つだけ存在するという、特別なレガリアだよ。もちろん、四という符号は創世神話に通じている。女神レガリアは四賢人のレガリア、《約束》のレガリアだ。手に入れた者は世界の秘密の四分の一を手中にする。そのうちのひとつがカーネリアン邸にあるはずなんだ」
「聞いたこともない話だ、大ぼらに決まってる」
「レガリアを求めて魔物のひしめく迷宮をさ迷えば、いずれは栄光が手に入るというのも、大ぼらみたいな幻想物語だと僕は思うけどね」
その皮肉は、成功を求めて冒険都市にやってきた全ての若者の神経を逆撫でしそうなものだった。
「知りたければ行動あるのみだよ、クリフくん」
ラトは迷いなくカーネリアン邸に通じる道を進みはじめる。
もちろんクリフには、これ以上この変人に付き合う理由などなかった。
言うことをうのみにして、ひどい目に遭ったばかりなのだから。
もう二度と会うことはないだろう。
三歩ほど、互いに別方向に進んだ。先に振り返ったのは、ラトだった。
荷馬車や冒険者の行きかう忙しない通りで、ラトは声を張り上げた。
「ねえ、クリフくん。思ったんだけどさ、君にはまだ嫁入り前の妹がいるよね。ちがうかい?」
クリフは無視しようとした。
しかし、いつまでもそうできるほどの度胸の持ち主ではなかった。
*
カーネリアン一族の現在の主はグレナ・カーネリアンである。
グレナは夫を二十年前に亡くしており、それ以来、女手ひとつで家を切り盛りしてきた。
ひとり息子のエストレイはというと、アレキサンドーラで育った若者の例にもれず、冒険者を目指した。
当然ながらそれはグレナの意向に沿う将来設計とは言い難かったが、幸運なことに彼はその道に才覚を発揮し、クラン《銀狐》の仲間とともに生き延び、それなりの地位と名声を得ることができた。
エストレイが亡くなったのは六日前のことだ。
場所はアレキサンドーラの北のはずれ、白樺の森。そこで地元の猟師が眠るように横たわる彼とカーネリアン家に仕えるメイドの遺体を発見したのだ。
先に述べた通り、迷宮の内部で死んだ冒険者は、迷宮の内部であれば蘇る。
しかし、彼らの死は街の外でのもの。もはや手遅れであった。
「ありがちな心中事件じゃないか……」
カーネリアン家に降りかかった悲劇の一部始終をラトからかいつまんで聞き、クリフは興味なさそうに呟いた。
エストレイの死は、悲しみだけをもってアレキサンドーラの住民に迎えられたわけではない。身分違いの女性がそばに連れ添ったこともあって、ふたりは心中したのだとされ、由緒正しいカーネリアン家の醜聞として広がったのだ。
「とんでもない。これは心中なんかではないよ、クリフくん」
ラトは大げさに驚いてみせたが、クリフには驚きの理由が理解できない。
「考えてもごらんよ、心中なんかする理由がないじゃないか。エストレイはカーネリアンの血を継ぐ最後のひとりなんだよ? どんなに身分の卑しい恋人でも、この人が伴侶でなければ後は継がないとゴネれば、グレナは飲まざるを得ないんだ」
「一般的な市民感情として、母親の了承を得られない結婚というのは辛いものだ」
「そんなもの、死ぬほどではない。だいいち、そんなくだらない理由で道連れにされたメイドがかわいそうだ。彼女にとっては母親でも何でもないんだから」
「義理の母親だぞ」
「義理の母親っていうのは、《他人》の別の言い方だよ。何度も言うけれど、エストレイは自殺なんかしない。殺されたんだよ」
「お前の妄想を聞かせるのはよしてくれ。傷が痛む」
ラトとクリフは言い合いながら、クリフにとっては見覚えのある玄関口に立った。
アレキサンドーラの一般的な住居は、入り口以外の部分は石灰岩に直接彫り込まれた洞窟のようなものだ。けれども、改めて見るカーネリアン邸は見上げるほどの大きさで、セピア色の柱が立ち並ぶ立派な宮殿のそれだった。
ラトがやけに上機嫌にその戸を叩いたとき、クリフは使用人に門前払いを食らうか、それとも屈強な用心棒が現れて再び殴られるか、そのどちらかの未来を想像した。後者だったら、ラトを抱えて逃げなければならない。
もちろん、ラトを連れて行くのは心配だからじゃない。
拷問されたときにクリフの居場所を吐きそうだからだ。
しかし、すべての予想を裏切って、カーネリアン家の使用人はラトが例の《手紙》の差出人だと知ると二人は本当の客人のように迎えられた。
そして瞬く間に二人の前に臙脂のドレスをまとった女性が現れた。
褪せた金髪を高く結い、年齢に伴う皺を深く刻みこんではいるが、青い瞳は力強く、鋭かった。
「私がグレナ・カーネリアン。当家の主です」
夫人は豪華な調度や高級な絨毯に囲まれていても実に堂々としている。
高貴な女主人としての威圧感と風格を備えていた。
彼女がグレナであるというのは、疑いようのない事実だ。
恐縮しきっているクリフとは対照的に、ラトは応接間のソファに勝手に腰かけた。
「そうですか。僕はラトです。ラト・クリスタル。つい昨日まで冒険者だったのですが、解雇されました。嘆かわしいことです」
高貴な夫人が起立したままなのにだ。
ついでに勧められたわけでもないのに「暖かいお茶を下さい」と言ってのけた。
すべての礼法が灰燼に帰した瞬間であった。
クリフは恥じ入るばかりだが、夫人は寛容なようすでメイドたちに命じ、暖かい紅茶を持って来させた。
紅色の液体が白磁のカップに注がれるとラトは満足そうだった。
それから開くとなるとすぐさま《不躾》が飛び出してくる口を開いた。
「それで、カーネリアン夫人。エストレイを殺害した犯人はぶじに捕まりましたか」
「おい、ラト……よさないか」
気丈な様子に見えても、目の前にいるのは息子を亡くしたばかりの母親なのだ。
「だから、何度も言ったじゃないか。エストレイの事件は他殺だ。絶対に自殺なんかじゃない。何より、カーネリアン夫人自身がそのことを信じている」
「その通りです」
カーネリアン夫人は思いのほかしっかりしたようすで答えた。
「ですから、何かと理由をつけて葬儀の日取りを遅らせたのです。貴方が連絡してくださったおかげで、犯人と思しき者たちも捕まりました。むしろ、貴方たちには感謝しているのですよ」
落ち着き払って紅茶を飲むラトの隣で、クリフだけが驚いていた。
「犯人? 本当にそんなものがいるのか?」
「いるよ。エストレイを殺したのは彼の冒険者仲間だ。クリフくん、君を殴りつけた例の無礼者だよ」
クリフは二度驚いた。
飛び上がらんばかりだったが、ラトと対峙するカーネリアン夫人は、何もかもを見通したように落ち着いていた。




