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第33話 胡乱げな農夫


 砦の姿を見たとき、クリフは大きなため息を吐いた。落胆の溜息だ。失望はとめどなく、できることならこのまま体中の息を吐き切って絶命したいとさえ思えた。

 彼の記憶にあるアンダリュサイト砦は、小さいながらも砦として最低限の機能を備えていた。しかし今はどうだ。あの、肥え太り、身の回りにだらしなくなった中年男性を思わせる姿は……。

 三人の農夫たちが農具を投げ捨て、(うね)を踏み越えてやって来る。背の高いノッポと、中くらいのヒゲ面の男と、小柄でふくよかな体格の老人の三人組だった。

 クリフは彼らを知っていた。

 何なら、その人となりまで知り尽くしていると言っていい。

 何故なら彼はここで生まれ、この砦で育ち、そしてこの土地に存在する全てのものごとに失望して故郷を後にしたのだから。


「みんな見ろ、ほんとうにぼっちゃんだ! とっくの昔に死んじまったろうと思ってたぼっちゃんだよ!」

「生きとる! たまげた、こいつはまだ生きとるぼっちゃんだぞ!」


 老人たちはクリフを歓迎する素振り(あか)にまみれた枯れた指を次々に(ふところ)に伸ばしてくる。

 クリフはその指が財布に届かぬうちに先んじて掴み、関節の向きとは逆に(ひね)ってやった。続いて腰のものに手を伸ばしてきた手のひらを順番に叩き落とし、少し離れて牽制(けんせい)する。


「やめるんだ、ノッポ、ヒゲ、チビ。お前たちはほんと、いつも通りだな。どれだけ離れても、お前らの性悪さは忘れようが無いぞ」


 ラトのほうをうかがうと、ステッキの先で一番小さいチビの胸を軽く突き、遠ざけていた。


「彼らはクリフくんとどういう知りあいなの? 客人の財布にまで手をつけようとするとは、ずいぶんと不躾(ぶしつけ)下男(げなん)たちだね」


 これを聞いて農夫たちはけたたましい笑い声を立てた。


「俺たちが何ものかって!? こりゃあいいや!」


 その様子は、地獄の(かま)の底から現れ出でて、現世を覗きに来た小鬼たちのようだった。邪悪とまではいかないが、ただの農夫や老人とは様相がちがっている。


「油断するなよ、ラト。こいつらは俺のじいさんの配下だった三人組だ」

「君のおじいさん、山賊か何かの頭領?」


 どこか茫洋(ぼうよう)としたラトの問いかけに、三人組はまた、(つば)を飛ばして爆笑する。


「なんだいオチビちゃん! なんにも知らねえでぼっちゃんについて来たのかい!?」

「俺たちゃ、ハゲワシの使いっ走りの死にぞこないよ。名前なんて()え!」

「聞いて驚くない。このお方こそ、悪名高きハゲワシの大旦那の血筋だ。イエルクの四番目の孫だよ!」


 ラトはクリフのことをじっと見据(みす)えた。顔つきは強張っている。信じられないという顔だった。


「君が、イエルクの孫……?」


 クリフはラトの怪訝(けげん)そうな視線を浴びながら、複雑な胸中を押しとどめようとして、結局のところそれは無理だと気がついた。


「そうだ。お前も言ってただろう、俺の出身地はアロン領グーテンガルド。現在の呼び名はディスシーン、アンダリュサイト砦だ。推理が合っててよかったな。俺だって、自分の祖父が聖女殺しのクソ野郎だなんて嫌で嫌でたまらない」


 そう吐き出すように言ったクリフの周りを、ここぞとばかりに三人組が取り囲む。


「ぼっちゃん、このおチビちゃん、どう料理しやす? 見たとこ育ちの良さそうなガキだ。人質にして身代金でも取りやすか?」

「お前たち、いい加減にしろ。そんなに簡単じゃない」

山羊(やぎ)ですか、羊ですか」

「こいつは(タカ)だ。ナメてると痛い目見るぞ」

「ほら、やっぱりぼっちゃんだ。きひひひひひ」


 仲間内でしか伝わらない隠語(いんご)にも瞬時に反応してしまう。それはクリフがこの砦で少なくない時間を過ごしたことの何よりの証明だ。

 もちろん、その様子は抜け目のない洞察力を持つラトには容易に伝わっただろう。

 彼は訳知り顔で頷いた。


「あの悪鬼イエルクの血筋にしては君はちょっとばかしどんくさいと思ったけど……でもそう考えると、納得できることが二つある。まずひとつは、ジュリアンたちが襲われていたとき、君が剣を抜く素振りもみせなかったこと……」


 クリフは内心で恐れていたことを言葉にされて、現実が足下からぐらりと揺れたのを感じた。あまりにもショックで、さり気なく《どんくさい》と言われたことにも気がつかなかった。

 迷宮街で竜人公爵に仲間たちが襲われていたとき、何故、仲間を見捨てたのか。結果としてジュリアンたちが殺されることこそなかったが、それでも見捨てたことに違いはない。

 過去は消せない。どんなに努力しようとも。

 そのことを突きつけられたようだった。


「そして二つ目は、この旅に君が大人しく従ったことだ。君は故郷の砦を壊されたくなかったんだろう?」


 クリフは自責の念から解き放たれ、我に返った。


「いいや、こんなクソ砦なんか、いつ破壊してくれても構わない」


 それは強がりなどではなかった。

 幼い頃から、クリフは砦の存在を憎みながら生きてきた。ここは王国が祖父イエルクを辺境に閉じ込めるためだけに作り上げた小型の監獄だ。祖父に関することで良い思い出なんて、ひとつもない。

 幼い頃の唯一の夢は砦を出て自由になることだった。

 クリフはその夢を叶えたのだ。

 それでもここに戻って来た理由がひとつだけある。


「ノッポ、キルフェはどこにいる?」


 それまで(しわ)くちゃな顔で下品な笑い声を立てるだけだったノッポは、違う反応を見せた。悪事がばれたような面持ちだ。あれだけ大胆に盗みを働こうとしていたのに、これだけは知られたくなかった、というような反応だった。


「はあ、キルフェ様でしたら森の東におられます。しかしぼっちゃん、お会いになられないほうがよいと思いますぜ」


 ノッポがそう言うと、ヒゲが続けて言う。


「そうだそうだ。あんなおっかないところ……。旦那様や婚約者である子爵様だってもう何年もキルフェ様にはお会いしてないんですから……」


 言い終える前に、クリフはラトや老人たちさえ置き去りにして畑の脇の小道を抜け、森へと分け入った。

 森の奥に小屋があった。急な坂道を降りていった先の、風の吹き溜まりにある、なんとも粗末(そまつ)な板を張り付けただけのあばら屋だ。

 (こけ)の生い茂ったいかにも陰気な雰囲気の小屋からは、森のにおいとは違う()えたにおいがただよってくる。


「ぼっちゃん、ぼっちゃん、待ちなせえ! 老い先短いわしらの頼みじゃ!」


 案外足の速い老人たちに追いつかれ、クリフは足を止める。

 ノッポとヒゲがクリフの左右の腕を掴んで固める。

 そのとき、あばら家の戸を開けて白衣に身を包んだ若い女性が現れた。

 少女と呼んでいい、か細い姿だった。エプロンをまとい、両手に手袋をつけ、頭や顔を厳重に布で覆っている。

 女性は外に積んである薪をいくつか抱えようとしていた。腰をかがめ、そして再び立ち上がろうとしたときに、彼女を見つめている視線に気がついたようだった。エプロンに包まれた膝の上から薪が地面にすべり落ちる。

 彼女は立ち上がった。薄暗い森の中に咲いたスズランのような立ち姿だ。

 そしてクリフにはっきりとした視線を向けながら面覆いを外す。

 白い頬の脇のあたりから白金色の髪が幾筋か流れ落ちる。瞳は氷のような水色だ。

 痩せた頬、(ひび)割れた唇。やつれた顔に化粧はない。

 手入れを怠ってはいるが、もともと美しい顔であると一目でわかった。


「ぼっちゃん。キルフェお嬢様は何を思ってか、小屋に流れ者の病人を集めて世話をしていますのじゃ。あそこには村の者も近づきませなんだ。近づけば、ぼっちゃんも病をもらいますぞ」


 開け放たれた戸の奥には、藁の上に敷布(シーツ)をかぶせた粗末な寝台に倒れ伏した病人の姿が見えた。

 三人の農夫たちはどこか寂しそうに溜息を吐いた。


「彼女は何者なの?」


 ラトが訊ねる。

 問いかけに、弱り切った表情で答えたのはチビである。


「キルフェお嬢様はわしらの旦那様、アンダリュサイト砦の城主オスヴィン様の、二人目の奥様の養女ですじゃ」


 田舎の砦に引っ込んだ後のイエルクには家族があった。

 王国出身の妻を(めと)り、一男一女をもうけた。一女のほうははやくに亡くなったそうだが、男子は無事に成長し、それが現在の城主であるオスヴィン・アンダリュサイトである。オスヴィンは最初の妻との間に四男をもうけた。

 ちなみに、二人の妻には共に死別されている。どうも女系に難のある一族のようだ。

 キルフェはチビの言う通り、オスヴィンの二人目の妻が嫁入りした際に連れてきた娘だった。オスヴィンはこれを養女とし、以降、クリフの血の繋がらない妹として、二人は共に育てられたという。

 キルフェしばらく何か言いたげな瞳をクリフに向けていたが、言葉を発することはなく、再び静かに面覆いをつけて小屋の中に戻って行った。

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