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名探偵ラト・クリスタルの追放  作者: 実里晶
ハンスはどこへ行った?
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第29話 ハンスはどこへ行った?


 数日後、王都でとんでもない大騒動が起きた。



 白銀の大竜が宮廷に現れ、こと切れた男の頭部を玉座の前に投げ捨てて行ったのである。もちろんこの竜は竜人公爵であり、投げ込まれた頭部はスフェン男爵のものであった。青ざめた男爵の額には血文字で《王家への反逆者》と書かれており、生者への憎しみに歪んだ唇が咥えていた記憶鉱石には、スフェン男爵と息子のコーニーリアスが民に不当な重税を課していたことを認める内容の会話が記憶されていた。

 宮廷に集った死体にか、竜の存在にかはわからないものの貴族たちはすっかり脅え、震えているばかりだったという。

 パパ卿が寄越した手紙には事の経緯というものが余すことなく書かれていた。

 スフェン男爵はラトが宣言した通り、悪事の報いを受けたのである。

 ラトとクリフはクライオフェンからカーネリアン邸に戻り暖かな暖炉の前で手紙を広げていた。クライオフェンも滞在中は悪くないと思えたが、やはり火の暖かさがもたらす文明には代え難いものがある。


「昔、パパ卿はよく《ハンスはどこに行った?》ゲームをして遊んでくれたんだ」


 ラトは久しぶりの紅茶の香りを楽しみつつ、子ども時代を懐かしんで目を細めた。


「僕が《ハンス》と呼んで大切にしていた人形を家のどこかに隠して、その居場所を突き止める楽しい推理ゲームだ。だけどあるとき、パパ卿がとんでもなくややこしいところにハンスを隠して、天才的な知性をもってしても探し出せないことがあった。そのとき僕はどうしたかというと、納屋に行って油をまき、火をつけたんだ」


 納屋は勢いよく燃え始め、大量の煙がパパ卿の屋敷に立ち込めた。


「そしてタイミングを見計らい《ハンスがいない! パパ、ハンスを助けて!》と泣き叫んだ。するとパパ卿は危険をかえりみず、煙が充満した屋敷に飛び込んで行ったというわけさ」

「父親殺しの告白か?」


 クリフはパパ卿直筆の手紙の束から顔を上げ、眉をしかめた。


「違うよ。この話の肝は僕がわざと火事を起こし、パパ卿を操ることによってハンスの隠し場所を見事に見つけたという点だ。人というものは窮地に陥ると、大切なものの場所へ自ら先導してくれるようになるんだよ」

「ちなみに何歳のときのエピソードなんだ?」

「五歳だ」


 推理ゲームに勝利するためだけに躊躇なく自宅に火を放つとは、末恐ろしい五歳児がいたものだ。そう考え、クリフは自分の思考の明らかな間違いに気がついた。その末がいまこの場にいるラト・クリスタルなのだと。

 スフェン男爵の悲惨な末路と宮廷の混乱は、まず間違いなくパパ卿の教育を受けた最高傑作がもたらしたものだった。

 そして、そのために必要なものはわずか数枚の封筒と手紙、そして使いこまれた革表紙の手帳だけであった。





 クライオフェンの宿屋親子がエイベルの末路について涙ながらに告白したその翌々日、クリフとラトはスフェン男爵の居館に乗り込んで行った。

 男爵領はまさに北方の辺境領という趣であった。

 畑は明らかに寒さや麦の病に悩まされていて、領民の顔つきは総じてみな暗く、子どもたちの瞳に光はない。

 領民たちには木の皮を剥いで食べるような暮らしをさせているというのに、男爵の住まいは威厳溢れるたたずまいであった。

 豪華な調度品や絵画で飾り立てられている広間で相対したスフェン男爵はたくましい指に真っ赤な紅玉の指輪をはめ、威厳と自信に満ち溢れ、幅の広い肩幅を持ち、顎髭をたくわえた五十がらみの男だった。隣に並んだ長男は小奇麗な顔をしているが、立ち振る舞いは父親の縮小版といったところだろうか。

 酒でもてなされたが、ラトとクリフは手をつけなかった。

 もちろん、スフェン男爵が送り込んだ暗殺者の最後を知っていたからである。

 スフェン男爵はラトの口から暗殺者とエイベルの死とその経緯を聞かされても、なんら動揺しなかった。

 暗殺者は極めて雇い主に忠実であったし、男爵もその末路についてはよく知っているはずだ。あくまでも「何の事だかわからない」といった態度をくずさない。

 男爵はエイベルのことを完全に格下だと思いこんでいる。それにクライオフェンの民が報復を恐れて男爵に有利に立ち回るだろうことを知っているのだろう。

 しかしその顔色が変わるような出来事が起きた。

 ラトはサイドテーブルに何通かの手紙を載せた。


「エイベルは非常に慎重な人物ですね、そうは思いませんかスフェン男爵。彼は恋人への恋文に貴方の悪行に対する告発文を紛れ込ませていたのですよ」


 手紙には、アイビスをいかに愛しているかということ、しかし民を苦しめ、王家を欺く男爵を許すことができないことについて、辛く苦しい胸の内が打ち明けられている。


「確かに奴の筆致ですね」


 男爵の息子であるコーニーリアスが手紙を改め、口走った。

 スフェン男爵に睨みつけられるまで、それがうかつな発言であることに気がつかなかったところをみると、男爵よりも息子のほうが軽率で御しやすい人物だと思われた。


「大した証拠にはなるまい。奴の勘違いということもあり得る」

「果たしてそうでしょうか、男爵。ご存知かとは思いますが、エイベルが残した裏帳簿の写しは、実は二つあったのですよ」


 ラトは続いて、茶色い手帳を見せた。

 コーニーリアスが手にした手紙には、念のために帳簿の写しを二つとり、そのうちの一冊をアイビス嬢に預けるとも書かれていた。《愛するアイビス、そして女神よ、私の正義と信仰を守りたまえ》――そのような文言が遅効性の毒のように回り始める頃あいに、ラトは交渉を一歩前に進めた。


「とはいえ、僕も聖人ではないのでね。男爵、あなたは不正を追及したエイベルを買収するのにいったいいくら出すと仰ったんですか?」


 スフェン男爵はむっつりと黙り込んでいた。

 しかしこの男が邪悪な存在であることをラトは確信していた。


「あなたが王家に背き、得るであろう利益の三パーセントを頂戴したく思います」


 それが決定的なラトの誘い文句であることも気がつかずに、男爵はにやりと表情を歪めてみせた。


「二パーセントではどうか?」と男爵は言った。


 この世の全ての人間は、どんなに清冽な人物であろうとも結局は黄金の魅力にひれ伏すのだとでも言いたげであった。


「構いません、それで十分でしょう」

「いいだろう。交渉成立だ」


 ラトは手帳を男爵に渡した。

 手帳の内容を確かめた男爵は眉をひそめた。

 そこには思ったような数字の羅列は一切なく、ラトの字で《事件は解決。僕は天才》と書かれていた。


「これは何だ? どういう意味だ!?」

「帳簿のうつしがあるというのは嘘です」

「嘘だと!? 嘘で金をだまし取ろうとしたのか!?」

「金なんか僕には必要ない。あなたが自らの不正を自らの口で認めたという事実が欲しかっただけ……」

「では、ここにある手紙はなんなのだ?」

「それは僕が書いたニセモノです。エイベルがアイビス嬢に送った恋文の字を真似て書き写した贋物なのですよ。彼女は父親を守るために証拠を消したが――恋文は捨てられなかったのです」


 ラトは言いながら、一人用のソファの上で両手を重ねあわせ、目を閉じたままだ。


「竜人公爵、出番ですよ」


 そう告げた瞬間、広間の硝子窓と壁の一面が勢いよく砕け散り、吹き飛んだ。

 轟音が鳴り響き、粉塵が舞い上がる。

 鋼の顎が居館の壁をまるで羊皮紙のように食い破ったのだ。

 舞う煙を引き裂いて、巨大な金色の瞳が爛々と輝く。

 金剛石をはるかに超越する眩い輝きが、恐怖に慄く男爵を捉えた。

 銀色の鉤爪が逃げる男爵を背中から押し潰し、牙がその体に食らいつく。

 スフェン男爵は腹部を食い裂かれ、血飛沫を撒き散らしながら一瞬で絶命した。

 コーニーリアスはというと、無情にも竜に襲われた父親をあっさりと見捨て、広間を飛び出して行った。

 すぐさま屋敷から逃げ出せばいいものを、このような状況でも主人を救おうとする召使たちを跳ね飛ばし、父親の執務室に入って行く。そしてタペストリーの裏側に隠された秘密の金庫を開け、中から帳簿を取り出す。

 それこそがエイベルが写しを取った裏帳簿の本物だ。それさえこの世から消え去れば、後で何とでも言い訳がつくと思ったのだろう。帳簿ごと不正の証拠をすべて暖炉の火にくべようとしたとき、彼の首筋に冷たい感触が這った。


「正しく裁きを受けるか、今すぐエイベルと再会するか、どちらか好きな方を選ぶといい」


 クリフは冷たい声音で、彼の首筋に剣を突きつけながら言った。

 コーニーリアスは絶望し、青ざめて、この世のどんな生き物よりも哀れめいた眼差しをクリフに向けていた。しかしながら永遠に引き裂かれたエイベルやアイビス嬢の悲しみを思えば、これでも手ぬるい罰である。


 このときコーニーリアスから奪った裏帳簿は現在竜人公爵が保管している。


 王は近く、裏帳簿と引き換えに竜人公爵に恩賞を与える予定でいる。パパ卿の目算が正しければスフェン男爵家は取り潰しになり、その領地は全て竜人公爵に与えられることになるだろう。

 国王陛下の解釈によれば、竜人公爵はあくまでも王家を侮辱したスフェン男爵を処罰しただけに過ぎない。宮廷に遺体を投げ込むという粗暴なふるまいについては、王は寛大さを示して不問に処すとのことである。

 それについて、パパ卿は手紙にこう記している。


《少々やりすぎだよ。知性の力はあくまでも王国のためにあるということを忘れないでくれたまえ、僕らのかわいい息子よ》

 

 これらの全ての成り行きは、竜人公爵が仕組んだことではない。

 黄金像に隠されて竜血の君へと献じられた遺体は、決して公爵を陥れるためのものではなかった。

 だが、スフェン男爵やクライオフェンの村人たちは竜人公爵を領主としては軽んじている。だからこそこのような事件が起きたのだと、そして竜の恐ろしさを思い出させるためにはこのようにすると良いと進言したのが他ならないラト・クリスタルである。


「パパ卿は少し勘違いしているね。いくら名探偵でも、地上最強の魔物を御せるわけがないじゃないか」


 ラトはこの件についてそのようにコメントしたが、明らかな謙遜と過剰な自信の賜物であった。

 一連の事件の結果として竜人公爵は男爵領を手に入れ、北方での影響力を増した。

 そして竜ならではの狂暴さをいかに発揮すれば、人の社会において有利に立ち回れるかということを学習したのである。

 余談ではあるが、この件以降、竜人公爵はヒマになるとアレキサンドーラの上空に現れるようになった。そのうちにカーネリアン夫人のことを気に入るようになり、二人は互いに領地経営について助言を送り合う仲となった。

 今ではカーネリアン夫人は竜人公爵という強大すぎる後ろ盾を得て、三人議会の力関係が大きく揺らいでいるという噂である。



《ハンスはどこに行った? おわり》





・新しい鉱石技能《知識の限界》レベル1

 ラトが観察した対象物を画像として保存し、いつでも取り出せる能力。

 あくまでもラトが観察した結果を出力するのみで、証拠能力はない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。うまく手玉に取りましたね。公爵も立場を強めたし得したのでは。
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