第28話 探偵の拷問術
侵入者の死にざまは異常なもので、死に顔には自らの死への疑問で満ちていた。彼は予期せぬ死に心底驚いているかのような顔つきであった。
この哀れな男を死に至らしめたのは遅効性の毒であろうと思われた。
こうなってみると、真犯人がいるというラトの言葉は妄想とは言えなかった。侵入者への毒はまず間違いなく、元冒険者を雇った何者かが裏切りを恐れたか、報酬の支払いを渋って仕込んでいたものだろうからだ。
暗殺者を雇って若い男性を殺しただけに飽き足らず、その暗殺者自身をも始末しようなどとは想像を絶するほど残忍なやり口だ。
「汚れ仕事を押しつけられたあげくに殺されるなんてな。同じ冒険者のよしみってわけでもないが、さすがにこの末路は哀れ過ぎる」
「全くもってその通りだよ、クリフくん。しかしこうなった以上、誰もが幸福に終わる結末というものは存在しないだろう」
「何をするつもりだ、ラト」
「暗殺者が死んでしまった以上、村人に話を聞いて、口を割らせるしかないだろうね」
「何を言っても知らぬ存ぜぬのやつらにどうやって喋らせるっていうんだ」
「そりゃあもちろん、拷問術をしかけるのさ」
ラトは微笑みながらとんでもないことを口にした。
「拷問なんぞ時間のむだじゃなかったのか」
「これは一種の比喩的表現というものだ。僕が仕掛ける拷問術は肉体への暴力ではないんだよ。だいたい、そんなことをしたら探偵というより犯人になってしまうからね」
「よくわかっているじゃないか!」
「さて、この場合、重要な意味を持つのは何をやるかではなく誰に仕掛けるかだ。答えを知らない者が拷問を受けても意味はない」
「そりゃそうだが、俺にはお前のような観察眼は無いからな」
「いいや、そう謙遜することもない。今回、君は僕の目になって村を観察した。君自身がピンと来てなくても、僕が必要としているものを見ているはずだよ。思い出してくれたまえ、君が質問をして回ったなかで一番激しく問いかけを拒否したのは誰だい? 君の目を見ず、何度も繰り返して《知らない》と言ったのは」
ラトの不可思議な問いにクリフは戸惑った。
しかし、直観的に思い当たる人物がひとりだけ存在していた。
アイビス嬢だ。
彼女はラトの問いにも、クリフの問いかけにも知らないと答え、竜人公爵がいる間は視線を伏せたまま顔を上げもしなかった。
ラトは溜息を吐き、いつもよりずっと厳しい顔つきをしながら寝室を出て行った。
それから間もなく、室内にアイビス嬢の悲鳴が室内に響き渡った。
ラトに手を引かれて客室にやって来たこの哀れな娘は、壊れた窓でもなく、隣室に転がった本物の死体でもなく、ラトのレガリアの技能によって壁に大きく描き出された《黄金像と亡骸》を見つめたまま瞳を見開いていた。
その表情は恐怖に引き吊っていた。
ラトは座り込むアイビス嬢のかたわらに膝を着くと、彼女の手を取った。
それは優しさと親愛の情を示すためではなかった。
悲惨な現実から何とか目を背けようとするアイビス嬢を、しっかりと壁の絵へと向かい合わせるためだった。
「アイビス嬢、今度こそ正直に答えてください。彼のことを何も知りませんか? あなたが老いて寿命を迎え、女神も元に召されたとき、天の国の門の前で待ち構えていた彼と再会したとしても、あなたの恋人のことを何ひとつ知らなかったと言えるのですか?」
「恋人だって?」
思わぬ言葉に意表を突かれたクリフが鸚鵡返しに問うと、ラトは頷いた。
「その通りだとも。彼女はこの人物を愛している。心のうちに深い愛を抱く者ほど、激しく愛を拒むものだ」
いかにラトの人物評が鋭くとも、そんなことはあるまいとクリフは訝しんだ。
村の噂では、アイビス嬢には恋人がいないということになっている。
「何も…………何も知りません。この方は……私の知らない方です……。私はただの宿屋の娘で、貴族の方と恋人どうしだなんてとんでもない」
彼女は震えながら答え、両の瞳から大粒の涙をこぼした。
アイビス嬢の後から宿の主人も追いかけて来た。
宿泊客に連れ去られた娘を心配してやって来たのだろうが、彼もまた壁の絵を見た途端、絶句してその場に釘付けになってしまった。
それにくらべれば、窓の破壊も隣室の死体もささやかな問題だとでも言いたげだ。
クライオフェンの村人たちがこの亡骸の持ち主について知り尽くしているのだと言ったラトの言葉は、どうやら正しいようだ。
「アイビス嬢、どこまでも頑なにそう仰るのなら、この男の指先を見てご覧なさい。爪の先にインクが滲んでいるのが見えるでしょう。手のひらにはペンだこもあります。これは農民の手ではないが、領民から搾取するだけで働かない男の手でもない。それはあなたがよくご存知のはずです」
「いいえ……何も知りません……」
「では、彼がはいているズボンをご覧なさい。太腿の裏がわずかにすり切れていて、特徴的な皺ができている。おまけにひどい猫背で、両肩が同年齢の男性にくらべて内巻きになっている。背筋を支える筋肉の発達に片寄りがあるからです。首の下あたりと背中の真ん中には湿布薬まで貼ってありましたよ。これは長時間俯いたまま、椅子に座って事務仕事をする者の職業病です」
ラトがしていることはカーネリアン邸で竜人公爵にしてみせたことと全く同じで、しかし、その意味するところはあまりにも異なっていた。
アイビス嬢はとうとう嗚咽を上げ始めた。
「よく思い出してください。この男性の襟足から香るのは、高級な香水ではなく安物の髪油のにおいだ。彼は貴族なんかじゃないし、自分の身を飾り立てて喜ぶような男ではないのです。時計や指輪は、村人たちが寄ってたかってこの男の身元を偽り、竜人公爵への生贄に仕立てるために持たせた物に過ぎない。さあ、アイビス嬢。これでもまだ知らないと言い張るのですか?」
ラトの天才的な洞察力が、いま、アイビス嬢を徹底的なまでに追い詰めていた。それは類まれな拷問術だった。どんなに残酷な拷問官にもなし得ないものだ。アイビス嬢は肉体の痛みではなく、心の痛みによって苛まれている。良心と罪悪感とが悲鳴を上げているのだ。
このようなラトの仕打ちに先に音を上げたのは、アイビス嬢ではなかった。戸口に立ち尽くしたまま、娘の痛ましい様子を見守っていた宿の主のほうだ。
彼は父親の顔つきになり、泣き崩れる娘を抱きしめると、たちまち黄金像の遺体の正体が何者であるのか、そして死に至るまでに何があったのかを、次々に告白してみせたのだった。
「もうやめてくれ、全て話すから、娘を責めないでやってくれ。この男はエイベルだ! スフェン男爵領で働く税務官だった男だ!」
税務官というのは王国の様々な領地にある田畑の大きさや収穫量を調べ、納めるべき税金や年貢を計算する役人のことである。
宿の主人は苦しげに真相を語った。
竜人公爵と領地を接するスフェン男爵というのは、かねてから自分たち家族が特権階級でい続けるためになら、領民たちをいくらでも苦しめてもよいという考えの持ち主の領主であった。
これは貴族なら誰もが大なり小なり持っている典型的な思考である。
そういう男の下で働くこととなったエイベルは、偶然というより必然に近い成り行きで、スフェン男爵が領民に対して王家が法律で定めている以上の税を取っていることや、所有している麦畑の面積を実際のものよりも小さく申告し、王家に納めるはずの税金を懐に入れていることを知ってしまった。
「エイベルはスフェン男爵を告発しようとしていたのではないですか?」
ラトが鋭く問いかけた。宿の主人はひどく驚いた様子だった。
「いったいどうしてそのことを……?」
「この村の人々の態度は、エイベルに対してあまりにも敵対的です。クライオフェンは竜人公爵の土地だが、距離的に近くて大きな影響があるからでしょう」
確かに、不正がばれたスフェン男爵はエイベルを懐柔しようと考えた。
それというのも、男爵領ではこれまでも何人もの税務官に賄賂を渡し、悪事を隠蔽してきた過去があるからだ。エイベルも野心にあふれる若者だ。おいしい話を断るはずはないだろうと思われた。
しかしこの正義感の強い善良な男は、それまでの税務官とは違っていた。
エイベルはこの事実を王家に伝えなければという使命に駆られ、秘密裡に裏帳簿を持ち出した。そして王家からの使者と密会するため、祭日の人混みに紛れてクライオフェンまでやってきた。
後のことはクリフとラトも知っての通りだ。
エイベルは物言わぬ死体になって竜人公爵の城で発見された。スフェン男爵の悪行を隠すために、元冒険者の暗殺者によって殺されたのだ。
「何故、真実を明かそうとしたエイベルに協力しなかったんだ!?」
クリフの半ば呆れたような問いかけに、主人は声を荒げた。
「そんなことをすれば、スフェン男爵からどんな報復があるかわからない。男爵がクライオフェンに兵を差し向けたとしても、王家が我々を守ってくれるわけじゃない!」
それは悲痛な訴えだった。
貴族社会での階級というものは絶対だ。エイベルは名誉の告発者であるが、貴族に逆らい、仇を為す裏切者であることにも変わりはない。
実際に、彼が殺された夜、クライオフェンには祭日の人混みに紛れて王家からの使者もいたはずだが、その人物は名乗りもせず、一連の事件にいっさい姿を見せずに消えうせている。
告発者は誰からも見捨てられ、守られなかったのだ。
「だが、クライオフェンには竜人公爵がいるじゃないか」
「人間の男女の区別すらできない竜が何をしてくれるんだ。え? 奴は俺たちに関心がない。それでいて気まぐれに人を殺す。そんなもの、貴族と変わらない!」
宿の主が言うことは一理ある。
竜は確かに強い。王家ですら屈服させるほどだ。
だが、スフェン男爵が復讐のためにクライオフェンに攻め込んだとしても、人間に無関心すぎる竜人公爵が必ずしも村を守ってくれるとは思えない。
こうしたすれ違いの果てに村人たちは、貧しい人々を思って行動した若者を闇に葬る決断に至ったのである。
エイベルは村人の手によって身なりを変えられて、お忍びの上流階級の子息として、その存在をすっかり消されてしまう寸前だったのだ。
「王家に訴え出た以上、エイベルは確定的な証拠を持っていたはずだね。それは今、どこにあるのかな?」
ラトが問いかけると、アイビス嬢の嗚咽はますます強くなった。
「それはもう、この世のどこにもありません。私が焼き捨ててしまったのです」
アイビスは言った。
エイベルは男爵を訴えるために、スフェン男爵の居館から帳簿の写しを持ち出していた。アイビス嬢が涙ながらに語ったところによると、決定的な証拠となるこの帳簿をエイベルはアイビス嬢に手渡した。祭日の夜のことだ。
エイベルは追手がかかっていることを悟っていたのだろう。
しかし、父親と同じくスフェン男爵の報復を恐れたアイビス嬢は、恋人が命を賭けて持ち出した帳簿を焼き捨ててしまった。
エイベルはそうとは知らずに使者と会うため広場に行き、殺された。
あまりにもひどい裏切りで、クリフですら、アイビス嬢の行いを責めたくなる。
いや、責める寸前だった。
しかし、ラトがそれを事前に察知して、止めたのだった。
「クリフくん。クライオフェン村には暗殺者が潜んでいた。帳簿がアイビス嬢の手元にあると知れば、暗殺者は彼女を殺していただろう。村や父親を守るためだと思えば、筋が通らない話でもない」
「筋が通るとか通らないの問題ではない。考えてみろ、本当の悪人というべき男は今頃、自分の居館で高笑いしているんだぞ。それではあまりにもエイベルが浮かばれないじゃないか!」
事件に興味などないと言っていたクリフだが、あまりにもひどい真相を前にしては、持ち前の正義感は隠せそうもなかった。
「安心したまえ、パパ卿の名にかけて、僕は真犯人を野放しにはしない。必ず裁きを受けさせてみせるよ」
「証拠は全て消えたんだぞ。いくらお前でも、今回ばかりは無理ってもんだろう」
エイベルだけでなく暗殺者までもが毒殺され、証拠となる帳簿もすでにこの世に残っていない。真犯人たるスフェン男爵に繋がる糸口は全てが消え去ってしまったというのに、ラトとクリフという異邦人に何ができるというのだろう。
しかし、ラトはまるで真犯人の末路が見えているかのように、自信ありげに微笑しているのだった。




