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名探偵ラト・クリスタルの追放  作者: 実里晶
ハンスはどこへ行った?
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第25話 クライオフェン村


 こうしてラトとクリフはちょっとした小旅行に出かけることになった。


 竜血の君の居城があるのは王国の北端、スファレス山の奥深くである。

 地図を確認すると、早馬に乗り、次々に乗り捨てたとしても三日から四日はかかる道のりだ。もちろん実際には馬を乗り捨てるような旅はできないから、とてつもなく長い時間がかかる。――――そんなクリフの予想を完全に覆した形で二人は翌日の朝にはスファレス山の麓にあるクライオフェン村に到着した。

 ただし、それは移動速度と引き換えに快適さを著しく損なった旅路であった。

 目的地に到着したとき、クリフとラトはふたり揃って幽霊なみに青白い顔をし、全身に薄い氷を貼りつかせていた。手足は凍傷になりかけており、震えが止まらず、頭のてっぺんからつま先まで大きな氷のかたまりと化してしまったかのような有様だったのだ。

 二人は一目散にクライオフェン村の宿へと飛び込むと、物も言わずに暖炉の前に陣取り、ありったけの薪をくべて炎にかじりついた。それでもいっこうに体温が上がらないので、見かねた主人が沸かした湯を桶に入れて持ってきてくれた。熱い湯に両足を突っ込み、ようやく体の震えが穏やかになった。

 なぜ彼らが凍死寸前まで凍えていたかというと、その原因は迷宮街から彼らを北部山岳地帯の麓へと運んだ乗り物にある。

 このふたりをクライオフェンまで運んできた問題の乗り物というのは、なんと変身を解いた竜血の君自身だったのだ。ラトとクリフの二人は公爵位を持つ竜の背に(またが)ってここまで辿りついたのである。

 その旅路は陸路を行くよりもずっと過酷なものだった。確かに空を飛べば起伏の多い地上を進むよりもずっと素早く目的地に辿り着く。けれど(さえぎ)るもののない上空で吹き付ける冷風は容赦なく体温を奪い取っていく。

 結局、ふたりは険しい山岳地帯の奥にある竜人公爵の居城に辿り着くことなく、その手前のクライオフェンに降りて暖を取ることになったというわけだ。

 

「エストレイたちの寒冷地装備がなければ死んでいたかもしれない……」


 クリフは呆然としながらそう言った。

 ラトとクリフはカーネリアン邸を出る前、夫人の厚意でエストレイや彼のパーティが使っていた毛皮や底の厚いブーツなどの装備を借り受けていた。クリフが着ている鎧下(よろいした)や外套などは、まさにエストレイが使っていたものだ。

 母親のもとから息子の形見を奪い取るようで心苦しかったが、それらの品が無ければ生きて目的地に辿り着くことはなかっただろう。


「人間は魔物よりもずっと(もろ)くていけないな」


 竜人公爵は宿の主に差し出された葉巻に火をつけながら、じつに嬉しそうなニヤニヤ笑いを浮かべていた。最初は竜人公爵が背中に人を乗せるなど、プライドの高さが許さないのではとクリフは訝しんでいたが、どうやら人を苛める楽しさが勝ったらしいとようやく理解した。

 旅費がかからないかわりに惨めでむなしい旅だった。

 そこに宿の娘が暖かい牛乳に練乳を限界まで()かしたものを持ってきた。

 何か体が温まる飲み物を、と言って頼んでおいたものだ。


「なんだ、酒じゃないのか」

「お酒だとかえって体温が下がりますから……」


 娘は竜人公爵が恐ろしいのか、娘は床に視線を落としたまま呟くように返事をした。


「お嬢さん、君は竜血の君の城にあるという死体について、何かご存知?」


 ラトが寒さで強張った声で訊ねると、娘は「いいえ、私は何も知りません」とか細い平坦な声で答えた。


「そう。それが誰なのかもご存知ないのかな?」

「ええ、もちろんですとも」


 そう言って彼女は目を伏せ、そばかす顔を床に向けたまま、足早に奥へと戻っていった。

 クリフはラトほうへ体を寄せた。


「いいか、ラト。知らなかったようだが、若い女性に死体について話しかけたりすれば、気味悪がられるに決まってるんだ」

「後学のために聞いておきたいんだけど、君は若い女性に話しかけるとき、何の話をするのかな。まさか天気の話だとか? 驚きだ。若い女性っていうのは天気の話が好きなんだね」

「それは単なる挨拶だ」

「挨拶ねえ……。僕は単なる挨拶をしたつもりはないけど。ところで、閣下、例の遺体のことは村の方々に既にお伝えになったのですか?」


 竜人公爵は頷いた。


「ああ、ちょうどこの宿の主に訊ねてみた。狭苦しい村だから、一人に聞けば隅々にまで話は伝わる。だが、誰も知らないと言う。人間というのは肝心なことを何も知らぬものなのだな」


 返事を聞いて、ラトはじっと考え込んでいる。


「ねえクリフくん、僕はこれから、閣下の城にお邪魔しようと思う。だけど、僕が思うに、君はこの村に留まったほうがいいんじゃないかと思うんだ」

「どうしたんだ、いったい」

「君も閣下の城に置かれた黄金像と遺体の謎に興味があると思う。だからこんなことを言うのはとても心苦しいんだけど、城に上がったら、僕は遺体の検分にかかりきりになってしまう。遺体の状態をじっくり観察して、死因や死亡した時間を特定しなけりゃならないんだ。つまり、必要とあらば解剖することになると思う。君はその一連のことすべてに知的好奇心をくすぐられるだろうが、僕は忙しくてかまっている暇はない」


 解釈をするのに時間がかかる台詞だった。

 脳細胞がかちんこちんに凍り付いているせいではない。それそのものが難解だからだ。温めたミルクを何口か飲み干してやっと、ラトは旅の同行者を気遣おうとしているのだと思い至った。


「いや、全然、興味ないから苦しまないでくれ。ぜひとも俺をこの村に置いてきぼりにしてくれ」

「そうかい? ついでといっては何だけど、君にちょっとした用事を頼んでも構わないだろうか。夜には君も気になっているだろう遺体の詳細な情報を持ち帰ってみせるからね」


 永遠に帰って来なくて構わない、とクリフは思った。

 この何週間か、ラトの奏でる騒音(オーケストラ)のせいで眠りが浅いのはクリフも同じだ。遺体のことにも興味はないし、何の対策もなしに手ぶらで竜のアジトに乗り込んでいくのも恐ろしいだけだ。

 竜の棲み家だとか、竜人公爵の居城だとか、都合のいい言葉で誤魔化しているだけで、今からラトが行こうとしているところは要するに迷宮(ダンジョン)なのだ。しかも、王国においては最難関の迷宮だ。踏破し、その主を打ち負かしたなら、百代先まで勇者として名前が語り継がれることだろう。

 しかしよけいなことは口にすべきではない場面だというのは明らかだった。

 クリフは暖炉の火に当たって尖った神経を温め、舞台役者もかくやというほどの、そつのない善人じみた笑顔を浮かべてみせた。


「そんなにあせらなくても構わないさ。その用事とやらはきっちり果たしておくから、お前はじっくり好きなだけ遺体を切り裂いてくればいい。明日でも明後日でも、好きなだけな」

「ほんとかい、クリフくん。やっぱり持つべきものは相棒だね!」


 このときだけは相棒という言葉を否定しなかった。

 心の中では否定していたが、七転八倒の末に、否定したい気持ちを打ち負かし、ねじ伏せたのだ。

 こうしてラトは上機嫌で、簡単だがなかなか面倒な仕事をクリフに押し付け、城に向かった。しかし、面倒な仕事とラトとどちらがいいかと言われれば、面倒な仕事だ。間違いない。

 竜血の君が変身を解いて白銀の翼を広げ、おぞましい鉤爪でラトを掴んで連れ去っていくのを、クリフは実に晴れ晴れとした気持ちで見送った。

 巨大な竜の姿が、スファレス山の向こうにちらりと見える灰色の城にすっかり消えてしまうと、クリフの目には世界中の全てが輝いて見えた。

 色彩というものが絶えた貧相な枯れ木立も、女神の恩寵をまとってみえる。粉雪がまう灰色の寒空も、何もかもがすばらしい奇跡の賜物(たまもの)のように感じられた。

 最悪の旅だと思いこんでいたが、思わぬところに楽園はあったのだ。

 クリフは勝った。何に対しての勝利かは今ひとつわからないが、確かに勝った。彼は凍え切った大気を受け入れるように、大空に向かって思いっきり、その両腕を広げてみせた。


 自由だ。


 このとき、満面の笑みを浮かべているクリフを、広場の影から見つめる怪しい眼差しがあった。

 だが、そのことに彼はまったく気がついてはいなかった。

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