第18話 退屈はラトをも殺す
クリフの行動は速かった。吸いさしを無理やり奪うと花瓶に投げ込み、閉じたままの窓を開けて緑の煙を外へと追い払う。
「何するんだい、クリフくん」
「何もクソもあるか! そんなんだからお前はパーティ追放されるんだよ! 出せ! 隠し持ってるやつ全部!」
「何か勘違いしてるみたいだけど、これは吸うと魔力が上がる素敵な紙巻煙草だよ」
「魔力いらないだろ、いつ使うんだ。使えるならすぐに使って家賃くらい払え!」
大きめのクッションを振り煽いで、なんとか独特の臭いが漂う部屋の空気を外に押しやろうとするクリフを、ラトは鼻で笑った。
「家賃、家賃って、君はつまらないことを言うんだな。君が払える程度の金銭が莫大な財力を有するカーネリアン家の金庫に入ったとして、それってどれくらい影響があるのだろうね。せいぜい、帳簿をつけるときに妙な端数が加わって計算がややこしくなる程度で、それくらいだったら無賃で間借りしててほしいと思われるのが関の山ではないかな?」
「誠意だよ! 誠意! そういうのは気持ちが大事なんだ!」
「誠意ね――。むしろ、君の行く手を阻んでいるのは、その誠意とやらではない? 市井の冒険者たちは、君とは異なる《誠実さ》を信仰しているように見える。彼らが頻繁に酒や賭け事、女性との情事に耽るのは、仲間たちがそういう小さな悪事を共有できる相手かどうかを常に試しているからだ。君の善性や正義感は、彼らにとっては重大な《裏切り》だよ。だからいつまで経っても仲間に入れてもらえないんだ」
腹立たしいことだが、妙な煙草を吸っていたとしてもラトの洞察は限りなく正しいものだ。
クリフがいまひとつ冒険者たちに受け入れられない原因は、クリフのほうにある。その自覚もあった。命を秤にかけたときに正義を取る者の存在など、危険な仕事の現場では邪魔にしかならないだろうからだ。
「君がそのくだらない冒険者仕事に執着するんなら、せいぜい妥協点を探すべきだね」
「俺だって夢見がちな少年ってわけじゃない。だが、したくもない妥協をして投げやりに生きていくだけなら、わざわざ転職する必要もなかったんだ。努力するさ、生きたいように生きられるようにな」
ラトは懐から純銀製のシガレットケースを取り出した。
すかさずクリフはケースを取り上げ、中身を全部、花瓶の中に捨てた。
「あっ、何するんだい。せっかく暇つぶしを見つけたと思ったのに」
「暇つぶしで法を侵すんじゃない。働け」
「僕は探偵だぞ。それも世界一の名探偵だ。謎や事件がないとダメなんだよ」
「俺からすれば、名探偵のほうがなんなんだそりゃって仕事だけどな。そもそもそれは仕事なのか?」
「世界で一番知的な仕事だよ」
「金が稼げるのかって聞いてるんだ」
「僕のパパだって立派な探偵だった!」
「うそだろ? お前に親がいたのか……?」
「卵から生まれたってのか、そんなわけないだろ!」
ラトは苛々したようすで枕を投げてきた。
クリフは花瓶を持ったまま、ラトの部屋を出た。
中身は便所にでも捨てればそれでいい。問題はあの状態のラト・クリスタル本人をどうするかだ。
このまま放っておけばまたおかしな煙草に手を出すだろうし、子どもじゃないのだから四六時中見張ってるわけにはいかない。
かといって、同居人の評判が下がると割を食うのはクリフのほうである。
妙な悩み事を抱えたクリフだったが、解決の糸口は意外な早さで見つかった。
きっかけは夕食に同席したカーネリアン夫人の、何てことはない世間話であった。
*
カーネリアン夫人の友人であるルベライト夫妻は結婚生活の破綻を迎えていた。
とはいえ十二年ほどの婚姻期間のうち、夫妻が蜜月の関係にあったのは最初のほんの数年間だけで、大恋愛の末に結びついたカップルにはありがちだが、二人は大半の時間をお互いの価値観がいかに合わないか、やることなすこと、その振る舞いのすべてがいかに不毛で鼻につくかということの発見に費やしていた。
夫人の言葉を借りるなら、「こうなることは火を見るよりも明らか」だった。
彼女はそう言ったあとで、独身時代の二人を引き合わせた自分にも責任が少々ある、と言い添えた。
さて、ルベライト夫妻の結婚生活が破滅的な終わりを迎えた主な原因についてだが、カーネリアン夫人の偏見のまなざしを除いたとしても、かなりの責任が夫の趣味にあった。
夫は代々の商いで小間物商の仕事をしている。各地に店舗を構えているほか、宮廷にも出入りする権利を持っていた。商売のほうは誰がみても安泰であり、端的にいってそこらの爵位持ちよりもはるかに裕福な身分だ。
しかしその一方で、彼は築いた財産の大半を自分の趣味に費やす悪癖も持ちあわせていた。
その趣味というのが《鉱物収集》である。
彼は古今東西ありとあらゆる石ころを集め、邸宅に飾りつけるのを趣味としていた。
妻の方も、はじめは美しいエメラルドや大振りなサファイアを贈られて素直に喜んでいたのだが、それが毎週、毎月のこととなると不安にもなる。何しろ女性は宝石を喜ぶが、宝石のみを食べて生きているわけではないのだ。
そこで実家に頼んで財政状況を詳しく調べてみたところ、もしも夫がその趣味をやめたなら、毎日飲むワインをもっと上等のものにできるだろうことがわかった。それだけでなく、下着から赤ん坊のおむつまで絹で誂えることができるだろうことや、教会の献金やメイドの給金を出し渋って嫌味を言われることもなく、さらには子どもたちひとりずつに一流の家庭教師をつけ、王都で教育を受けさせられることも判明した。さらに「どうしても」と言われて差し出した結婚持参金を彼が何に使ったかというと、灰色の、ゴツゴツした《鉄隕石》とかいうわけのわからない石くれを業者から買い込むためだったという事実も明らかになった。
妻は怒り狂い、「離婚」を言い渡して実家に戻った。
けれども、この夫はみじんも反省することがなかったようだ。
離婚に異を唱えなかったばかりか《貴女に差し上げた婚約指輪だけは、あれはとても稀少な宝石を使っているものなので、当方に返却されたし》という書面を送り付けたのだ。これはラト・クリスタルがカーネリアン夫人に送った手紙と同じくらい無礼なものだ。
奥方がどれほど怒り、夫を憎しみ抜いたことか……。
こうなると、二人の「離婚」はかえって困難な手続きとなってしまう。
言い出したほうの奥方側は、より有利な条件で離婚するために弁護士を雇い、裁判所に訴え出たが、だからといって彼女の目的が「多額の慰謝料」ばかりではないことは明らかだ。
彼女が望んでいるのは夫の誠意であり、彼が執着している石ころなんかよりも、妻と子どもが価値のあるものだと認めさせることなのだ。
しかし、この試みは大いに外れたと言えよう。
もともとこの夫は一般的な家庭生活を営むには精神的に何かしら欠けたところのある人物だったのだろう。裁判を言い渡されてからも、というより、むしろますますの情熱でもって、彼は鉱石収集に熱意を燃やしはじめた。
そこで、思わぬ事件が起きた。
「宝石が消えちまったんだそうだ」
ラトは部屋のソファにだらりと寝そべったまま、自信満々にそう言うクリフのことを倦んだ目つきで見上げ「へえ」と言った。




