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名探偵ラト・クリスタルの追放  作者: 実里晶
迷宮産ミイラの謎
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第14話 灰色の男

 灰色の男が座っていた。



 男はずんぐりした筋肉質な体を、鼠色をした毛皮の外套で覆っている。

 四角張った顎のあたりには髭がまだらに生えており、もみあげのあたりから針金みたいな灰色の毛髪に繋がっていた。瞳の色は琥珀色で、ほんの少しだけ血のような赤味がさしている。目つきはひどく悪い。たったいま人を殺してきたばかりだと言いだしても何ひとつおかしくはないくらいだ。

 男は金の指輪をはめた太い指で新聞を摘まむようにめくっていた。

 そこにラトとクリフがやってくると、新聞をひょいと放り出して舌打ちし、不機嫌そうな顔をふたりに向けた。


「どこかの馬鹿たれが、俺の店でわけのわからない因縁をつけ、俺の部下を小突きまわしたらしい。それで、腕を折っちまったのはどっちの馬鹿やろうなんだ」


 クリフはにっこりと笑ってラトの肩を軽く叩いた。

 ラトは「まさか折れるとは」と言って、さも驚いた様子をみせた。


「ふむ。もうひとりの部下は、拳闘ごっこでみごとなカウンターをきめられ、前歯を折ったと泣き言をもらしているんだがな」


 クリフはまじめな顔で「まさか折れるとは」と言い、うしろを振り返った。

 ラトたちは、あちこちに蜘蛛の巣が張った薄暗い酒場で大勢の男たちに囲まれていた。

 ここに来たときより増えていなければ、たぶん十五人ほどだろう。みんな黒ずくめの服の下に武器を隠し持っている。

 彼らはラトとクリフが叩きのめした用心棒四人組の、その仲間たちだ。

 目の前にいる色彩を欠いた男はナミル・デマントイドという男で、黒ずくめの連中の主人である。きっと指先を少し動かしただけで、男たちが束になって襲いかかってくるのだろう。

 もちろん闇の世界の住人であろうことはクリフにも簡単に想像がついた。


「それだけのことをしでかしたなら、俺だったらいますぐにでもケツをまくって街を逃げだすぜ。わざわざ親切にもけがをした部下をアジトに運んできてくれるとは、ちょいとおつむが足りないんじゃねえのかい?」


 クリフもこのナミルという男と同じ意見だった。ラトは古物商の用心棒をみごとなステッキ捌きで()()()後、たくさんの仲間が待ち受けていることがわかった上で、ここまで案内させたのだった。


「知らないかもしれないから教えとくが、ラト、こいつはやくざだ」

「もちろん、知ってるよ。やくざ者じゃなかったら、わざわざ会いに来る必要なんてない。どうもお初にお目にかかります、ナミル氏。こちらも急いでいるもので、お茶はけっこうです。椅子も必要ありません。この酒場のどの椅子に座ったとしても、僕の上等のサリビア産シルクが汚れてしまうでしょうからね」


 ラトはおおまじめに言った。少なくとも顔つきはまじめそうだ。

 ナミルはじっとラトのことを睨みつけた。地獄の門番はこんな目つきをしているんじゃないか、とクリフはもっと真剣に、心の底から真面目に思った。


「俺は誰の骨も折ってません」


 クリフは重ねて主張した。さっきの乱闘でラトも少しは動けるということはわかってはいたが、大人の男十五人はむりだろう。


「でも前歯を折った」


 ラトは告げ口をした。


「お前たち、死にてえのか?」


 ナミルは額に青筋を立てながら凄んだ。


「どこのどいつか知らねえが、赤毛のとっぽい兄ちゃんと、ジャルーダ産シルクのおべべを着たお嬢ちゃんが、俺の部下の骨と前歯を折りくさって、生きて帰れると思ってやがるのかって聞いてんだよ」

「あなたがそうしたいなら、僕たちも無事では済みませんね。しかし訂正しますよ、ナミル氏。僕の着ているこのドレスに使われているシルクはサリビア産です」

「馬鹿言え、サリビア産のシルクってのはな、もっとこう、カスタードのような色の照りがあるんだ。お前のそれは天地がひっくりかえっても、ジャルーダ産シルクなんだ! 俺がそうだと言ったらそうなんだよ!」


 激高したナミル氏は酒瓶を手にして、机の上で叩き割った。

 中身と、キラキラしたガラスの破片が飛び散って、部屋じゅうの温度を少しばかり下げた。硝子の破片に部下たちの青い顔がうつりこんでいる。

 そのとき、いささか唐突なタイミングで、ラトは言った。


「あなた、ずいぶん爪がおきれいですね」


 ナミルは自分の掌を見下ろした。クリフも思わずそちらに目をやった。確かに、全身が灰色に塗れたような男でも、爪は垢汚れひとつなく、丸く整えられていた。


「だから何だって言うんだ!!」


 ナミルは力いっぱい叫んだ。

 荒くれ者の嵐のような怒りはそれだけでは収まらず、彼は分厚い掌で思いっきり机のうえを叩いた。そしてこの部屋にあるものはすべて、酒瓶やペンや封筒やインク壺や埃や、うしろの男たちでさえ、飛び上がって震えた。

 クリフは泣きたい気持ちだった。あしたの朝、自分の死体が迷宮街のドブ川にうち捨てられているところがありありと想像できたからだ。


「おい、ラト。勝算があって、こんなところまで来たんだよな。そうだと言ってくれ」


 こんな目にあうなら、殺人容疑で捕まるほうがまだましだろう。

 けれど、ラトは気楽なものだ。


「大丈夫だよ、クリフくん。彼はたぶん、僕たちを奥の部屋に案内して、もてなしてくれるし、親切にシネーラ嬢のことを教えてくれると思う」

「いいや、俺はそうは思わない!」

「もてなして、僕たちの話を聞いてくれますよね? ナミル氏」


 ラトのわけがわからない申し出に、ナミルの怒りはいよいよ頂点に達しようとしていた。

 彼の顔は真っ赤に腫れあがっていて、特大の爆弾のようになっていた。


「気が狂ってんのか!」

「いいえ。確信があるんですよ。ちょっといいですか」


 ラトはナミルのほうに顔をよせ、何事かを囁いた。

 それは虎と内緒話をしているようで、次の瞬間にもラトがドレスごと引き裂かれていてもおかしくない、あまりにも恐ろしい光景にみえた。

 ナミルは立ち上がり、後ろの壁に掛けられた織物をめくりあげた。

 そこには真っ暗な空間がある。


「入れ」とナミル氏は言った。


 うむを言わさぬ声音だった。





 地獄の入口だろうか。

 それとも、この先には拷問部屋でもあるのか。


 永遠に続くかと思われた隠し通路の先に、ナミル氏の個人的な仕事部屋があった。

 部屋の正面には非常に大きな鍵付きのクローゼットと姿見があり、ここで寝起きしているのか、部屋の隅には寝台も置かれている。

 ナミルは姿見の前に丸椅子を寄せ、そこに腰かけた。


「用件を聞こう」


 と、彼は言った。

 狼狽えたのは、事情が呑み込めていないクリフだけだ。


「どういうことだ、ラト。おまえ、何を言ったんだ?」

「ナミル氏の許しがあるなら、喋ってもいいけれど。どうですか、ナミル氏。事情をひとつも理解してない僕の相棒のために、あなたの秘密の扉を開いてくださいますか」

「まあ、いいだろう」


 ナミル氏はクローゼットの扉を開けてみせた。

 その扉の内側は色彩に満ちていた。ほんとうに素晴らしい、色とりどりで、様々な風合いの生地を用いた女性もののドレスがずらりと並んでいたのだ。ちりばめられたスパンコールも宝石もすべてが極上だ。ただし、女性もの、とひとことで言っていいかは不明だった。それらのドレスは、ふつうの女性のものより明らかにサイズが大きすぎるのだ。


「確かにこいつは俺の趣味だ。どうしてわかったんだ?」


 ナミル氏は呆気にとられているクリフを無視し、ラトにたずねた。


「爪を整えていたからか?」

「それも着眼点のひとつではあります。こういう職業には案外そういった嗜好の方が多いですからね。あなたのわざとらしい男らしさの演技は、自分の本当の心を誰にも気づかれまいと遠ざけるためのものです。が、細部までは隠せません。たとえば、ふつうの男性は、女性が着ているシルクの産地なんか気にも留めませんよ。布地なんてみんなどれも同じだと思ってる。ターラタンとリネンのちがいもわかりゃしないでしょう」


「嘆かわしい低能ぶりだ」と言って、ナミル氏は項垂れた。「しかし、俺が盗品の扱いで絹の産地に詳しいんだと言い張ったらどうするつもりだったんだ」


「ほかにも参考になりそうな事実はありますよ。あなたの外套の襟首のあたりに粉が落ちています」


 ラトに言われて、クリフも気がついた。言われなければ、単なる汚れだと思うような痕跡だ。


「それは化粧の粉でしょう。オレンジ色のおしろい粉です。オレンジは青と補色の関係にありますから、髭の剃り跡を隠すために使われているのでしょう。それから、目元にカミソリの跡がある。ほんのわずかに眉も整えていますよね。眉尻を少しばかり下げた形は今期の王都の流行りです」

「おお、これに気がついたか。部下のバカどもは誰も気がつかないってのによ」


 ナミルは何故か嬉しげに、自分の眉を撫でている。


「つまり、どういうことなんだ?」


 クリフは混乱しながら、ラトに助けを求めた。


「僕はあのとき、彼にこう言ったんだ。《あなたの心は女性そのものですからね》って……。彼は女性だ。見た目はちがうが、心はそうなんだ。あのドレスこそ、彼女が着るべきほんとうの衣服だ」


 その言葉は、クリフにとっては裏社会を牛耳っている男性に対する最大限の侮辱に聞こえた。だが、ナミルはラトを殴りもしないし、銃を取り出して引き金に指をかけることもなかった。


「クリフくん、君は最悪の事態を想像しているのだろうね。僕も彼の弱みを利用した手前、強いことは言えないけれど、彼が僕を殺すとしたら、ただ単に無礼だからだ。彼は自分を恥じてはいないんだよ。そうでしょう? ナミル氏。いえ、デマントイド夫人とお呼びしましょうか」

「命が惜しけりゃやめておけ、お嬢ちゃん。確かにこれが俺の本当の顔だが、もうひとつの顔が全くの嘘というわけじゃないぞ」


 ラトはうなずいた。


「僕たちはシネーラという冒険者と取引をしていた裏社会の人間を探しています。どうでしょう。話を聞いてくれたら、そのお礼に僕があなたをエスコートして、ワルツを踊ると誓いますよ」

「そのまえに、お前さんはいったい何者なんだ」

「僕はラト。名探偵ですよ」

「メイタンテイ?」

「優れた探偵のことです。知性と洞察力によって真実を見抜く者のことです。今まさに僕はあなたの心の内に秘められた真実を見抜いてみせました。探偵とは、だいたい、そんなようなことをする者のことです」


 ナミルはいかにも理解し難い、という顔をしている。


「シネーラは誰かと組んで違法なレガリアの売買を行っていたはずなんです」


 ラトはここまで来た経緯をかいつまんでナミル氏に伝えながら、シネーラが裏稼業に関わっていたと判断するその根拠について説明しはじめた。



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